経営戦略は「持続的な競争優位を築く」ためにあるITエンジニアのための経営戦略入門(1)

ユーザー企業がシステムの設計・開発を依頼するとき、そこには経営的な判断が存在する。顧客の「経営戦略」をとらえたうえでシステムを設計・開発できるITエンジニアになろう。

» 2010年08月05日 00時00分 公開

 「経営戦略」という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。マイケル・ポーター、フィリップ・コトラー、ヘンリー・ミンツバーグ、ゲイリー・ハメル、イゴール・アンゾフなどの偉大な経営学者たちが、米国を中心として切り開いてきた分野である。英語では「Strategic Management」と呼ぶが、日本語では「経営戦略」と語順を逆にして訳される。

 ITエンジニアにとって経営戦略は「縁のない遠い世界」に感じられるかもしれない。だが、ITエンジニアとしてステップアップするためには、クライアントが経営の視点から「どんな」システムを「なぜ」必要としているのか、という理解が不可欠だ。こうした「経営まで見越した視点」「全体を見る視点」を、本連載では「戦略眼」と呼ぶことにする。

 本連載では、経営戦略について解説することで、読者が「戦略眼」を身に付け、経営視点を踏まえたシステムの設計・開発ができるようになることを目標とする。

 なお、ひとことで「経営戦略」といっても、多くの経営学者たちがそれぞれ異なる自説を展開している。本連載では、経営戦略の最も基本的な考え方を体系的に解説する。

 今回は、

  • 経営戦略とは何か
  • 経営戦略の構成パーツとしての「全社戦略(Corporate Strategy)」と「事業戦略(Business Strategy)」とは何か

の2点を解説する。

「持続的な競争優位を築く」ために

 経営戦略とは何か。諸説あるが、筆者は「持続的な競争優位を築くための指針」という表現が一番しっくりくる。

 一般的に、企業は常に競合他社と戦っている。駅前の居酒屋であれば、競合がどこかは周りを見渡せば一目瞭然(りょうぜん)である。周りにないとしても、隣の駅の居酒屋とは競合する。町外れの郵便局にも宅配便の集配所やコンビニエンスストアなどの競合他社がいる。競合していないのは電力やたばこなど、国の認可事業を営む会社くらいであるが、これらでさえ一部の事業は国際企業と競争している。

 また、いずれの企業も、目的が達成されれば解散することを前提としたプロジェクトベースではなく、未来永劫、持続的に成長していくことを前提とした組織として運営されている。「持続的な競争優位を築く」ことは、企業という組織の存続にとって不可欠だ。このための大きな方向性、方針が「経営戦略」である。

コラム:経営戦略論の歴史

 経営戦略論の歴史をひもとくと、開拓者としてイゴール・アンゾフ(1918-2002)とアルフレッド・チャンドラー(1918-2007)の名前が挙げられる。彼らはくしくも同じ年に生まれ、1960年代に経営戦略論を体系化したことで知られている。チャンドラーは『Strategy and Structure』(1962)、アンゾフは『Corporate Strategy』(1965)という著書を残している。この時期は米国の企業が多角化に乗り出しつつある時代であり、多角化・細分化する企業組織をどう共通の目標に向かって舵(かじ)取りしていくかが重要な課題となっていた。彼らはその課題に対して解答例を示したわけである。以降、多角化した企業をどう管理するか、立案した経営戦略をどう実行していくか、経営戦略そのものをどう策定するか、時代とともに経営戦略のテーマは変遷を遂げる。


何を基準に、どの会社を買収する?

 続いて、経営戦略の構成パーツとしての「全社戦略」と「事業戦略」について解説する。読んで字のごとく、全社戦略とは会社全体の戦略、事業戦略とはその会社に属する複数の事業のうち、それぞれの事業の戦略を指す。全社戦略の下に、事業戦略がぶら下がっていると考えてもらえばいい。

 これを理解するには、実際に問題を解いてみることが近道である。表1を見ていただきたい。東京都中野区に拠点を持つ中野グループは、傘下に5つの事業会社を保有しているとする。あなたは、この中から3社を選んで買収し、新たに複合企業体を形成することができるとする。手元にある情報はこれだけだ。さて、どの3社を選ぶのが最適だろうか? カギとなる要素は何で、何を基準に3社を選べばよいのか?

会社名 事業 売上高(百万円) 経常利益(百万円) 特徴
中野マーケット(株) 高級スーパーマーケット 31,342 261 中野に根ざした高級食材スーパーマーケットとして、一定の知名度と集客力を誇る。百貨店・鉄道系傘下の企業との競争は激しさを増しているが、数店ある各店舗ともリニューアルは終了しており、安定的なキャッシュフローが期待できる。地域へ流入する若年世代の取り込みと、売上高経常利益率の改善が課題。
(株)中野リストランテ イタリアンレストラン 15,097 195 食材を厳選した伝統的なイタリアン料理を提供するレストランチェーンを展開している。各店舗を違うコンセプトで作り上げているため、地元のみならず遠くからやってくるリピーターも多く、デフレの影響を最小限に抑えている。一方、顧客の要求に十分に応えられるような接客教育には時間を要する。現店舗の改装は2009年に終了し、長期化するデフレ対策として、よりカジュアルな新店舗「カジュアーレナカノ」の展開を検討中。
(株)中野ヴァン 酒輸入 10,507 587 現地で大量に直接買い付けすることによって、高品質・低価格を可能にしており、購買者からは好評を博している。最近ではサッカーワールドカップ南アフリカ大会の影響で、これまで手掛けていなかった南アフリカやチリなど非ヨーロッパ地域の商品に注目が集まっている。これらの地域の商品を手掛けることで事業拡大が見込まれるが、新規生産者開拓には買い付けから販売まで長期間を要することが問題点として挙げられる。
中野オフィスクリーニング(株) ビル清掃 2,102 105 オフィスビルのフロアおよびトイレの清掃を事業の中心とする。最近では警備・外壁の清掃・植栽管理などに事業を拡大している。地元の企業とは年間契約が多く、収益は変動が少ない。初期投資は不要で、キャッシュフローも安定している。現状では地域の雇用の確保にも一役買ってはいるが、景気が向上すると人材確保が困難になる。
中野ケアサービス(株) ケアセンター 23,535 688 訪問介護などの在宅介護サービスと、老人ホームなどの居住介護サービスを柱とする介護事業を総合的に行っている。居住介護においては通常の居住施設に加え、介護に必要な設備の敷設が義務化されており、多額の初期投資が必要となる。とはいえ、高齢化社会の進行と、介護保険の成熟化から、今後成長が見込まれる分野である。
表1 中野グループ傘下5社(企業名などは架空のものです)

 この試行が、すなわち「全社戦略」である。ポートフォリオ作りといってもよい。ポートフォリオとは現代では金融用語に用いられることが多いが、もともとは取っ手のないブリーフケースを指す言葉である。「会社」というブリーフケースの中にどの事業を入れるか、多角化する会社の事業のうち何を取捨選択するか、事業をどう組み立てるかが全社戦略なのである。

 問題のヒントを挙げると、考え方のポイントはドメイン、コアコンピタンス、キャッシュバランスの3つである。もちろん解答例はあるのだが、それは第6回で明かす予定である。

強みは生かし、弱みはさらさず

 このポートフォリオ作りの中で、それぞれの事業に対して大枠の方向性を与え、その方向性を各事業でより具体的にしていくこと、それが「事業戦略」だ。

 事業戦略を策定するには、自社分析と環境分析を合わせたものを用いる。「自社分析+環境分析」と聞いて、ピンときた方がいるかもしれない。これは「SWOT分析」(注)そのものである。SWOT分析は、戦略を策定する思考ツールとして、基本的な手法の1つである。

(注)SWOTとは、Strengths(強み)、Weaknesses(弱み)、Opportunities(機会)、Threats(脅威)の頭文字を取ったもの。複数形であることに注意。SWOT分析とは、目的を達成するために有利・不利な内部要因・外部環境を同定し、それらの観点から事業を評価する手法のことである。

 本連載ではこれ以降、SWOT分析の枠組みを使いながら解説していく。自社の強みと弱み、そして外部環境の機会と脅威を考えたうえで、それらの調和が保たれるようなストーリーを作ることが、戦略の策定である。換言すれば、事業戦略とは強みを生かしてチャンスをとらえ、弱みをさらさずにピンチを避ける筋書きを作ることである。

 全社戦略と事業戦略の概略イメージはつかめただろうか。第1回はこれで終了する。次回をお楽しみに。

筆者紹介

松浦剛志(まつうらたけし)

京都大学経済学部卒。東京銀行(現 三菱東京UFJ銀行)審査部にて事業再生を担当。その後、グロービス(ビジネス教育、ベンチャー・キャピタル)、外資系ベンチャー・キャピタルを経て2002年、戦略・人事・会計を中心とするコンサルティングファーム、ウィルミッツを創業。2006年、業務改善に特化したコンサルティングファーム、プロセス・ラボを創業。現在は2社の代表を務める傍ら、公開セミナー、企業研修の講師を務める。セミナーテーマは「経営戦略」「会計と財務」「問題解決」「業務改善」。

木山崇(きやまたかし)

2000年、東京大学工学系研究科修了。シティバンクを経て、外資系証券会社に勤務。日本証券アナリスト協会検定会員。ウィルミッツ、プロセス・ラボのアドバイザーとしても活躍。


※本連載は、筆者が講師を務める「戦略『眼』を身につける経営戦略1日集中講座」をもとに書き下ろした内容です。セミナーのスライドを編集したものはWebサイトから無料でダウンロードできます。



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