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» 2014年09月01日 18時00分 UPDATE

転機をチャンスに変えた瞬間(24)〜ひとり家電メーカー 八木啓太:ジョブズの言葉に後押しされて――「ひとり家電メーカー」ができるまで (1/2)

物があふれている世界で、新しい物を作る意味を問いたい――「ひとり家電メーカー」として独創的なプロダクトを送り出す八木啓太さんの美学とは。

[聞き手 クライス&カンパニー 松尾匡起,@IT]
転機をチャンスに変えた瞬間 ビジネス編
転機をチャンスに変えた瞬間

連載目次

 最小の構造で最高の光をもたらすデスクライト「STROKE」が国内外のデザイン賞を受賞し、一躍注目を集めたのがビーサイズ社長の八木啓太さんである。新しい価値と美しいデザインを提示するものづくりを斬新なやり方で成功させた背景には、どんな転機と決断があったのだろうか。

参考リンク:STROKE(ビーサイズ)

ビーサイズ 代表取締役社長 八木啓太(やぎ けいた)氏

八木啓太

1983年生まれ。大阪大学大学院電子工学専攻修了。大学時代から独学でデザインを会得し、コンテストで受賞を重ねる。2007年4月富士フイルム入社、医療機器の機械設計に従事。2011年1月末に同社を退社。同年9月ビーサイズを設立し、代表取締役社長に就任。

同年12月に最初の製品であるLEDデスクライト「STROKE」を発売し、経済産業省の「グッドデザイン賞」、世界的に権威ある独「red dot design award」を受賞する。

「ひとり家電メーカー」のプロダクトたち


「格好いい物」を作るには何が必要か?

八木啓太氏

松尾 八木さんは、子どものころから物を作るのが好きだったのですか?

八木 工作がものすごく好きでした。いつも外を駆けずり回っている子どもだったのですが、雨の日は家の中で工作していました。作った物を家族や友人に見せると「これ、どうやって作ったの?」「とても面白いね!」と喜んでくれました。それがまたうれしくて。「何か物を作って、誰かが喜んでくれる」という成功体験が潜在的にあったことが、おのずと今の道を選ばせたのかもしれません。

松尾 「ものづくり」を志すようになったきっかけは何でしたか。

八木 現在のような製品開発をやりたいと思ったきっかけは、初代iMacです。スティーブ・ジョブズがアップルに復帰して最初に出したスケルトンボディのPC。

 強い衝撃を受けて「自分もこんな格好いい製品を作りたい」と思ったのが、ものづくりを志す出発点になりました。それでいろいろ調べていくと、ダイソンの掃除機やバング&オルフセンのオーディオ機器など、世の中には格好いいプロダクトがあることが分かりました。

 では、どうすれば自分がそうした製品を作れるようになるのか。何を学べばいいのか、図書館に行って調べると、どうやら「電子工学」「機械工学」「デザイン」の三領域が必要だと。でも、電子は電子、機械は機械、デザインは芸大と分かれていて、3つを同時に学べる大学や学部はないんです。

松尾 ものづくりに目覚めたのが、ちょうど大学進学の時期だったのですね。

八木 そうです。「仕方がないので、一つずつ学ぼう」と、大学では電子工学を専攻することにしました。デザインは独学です。雑誌や美術館で世の中でどんなデザインが評価されているのかを勉強したり、インターネットでデザインコンテストを調べて、CGで描いたスケッチを応募したりして、自分なりのデザイン感を磨いていきました。

松尾 残るは機械工学ですね。

八木 大学と大学院で6年間電子工学を勉強したので、就職先で機械工学をやろうと思いました。それで、普通なら専攻の電子工学で新卒採用に応募するのですが、私は機械工学で就職活動をしたんです。

 ところが「機械工学をやらせてください」と言っても、やらせてくれる会社は全然見つかりません。同級生はどんどん就職先が決まっていくのに、自分はまったくうまくいかなかった。そこで諦めて電子工学で応募すれば簡単に就職は決まったと思うのですが、どうしても自分が考えるものづくりへのチャレンジを諦められませんでした。

 下手をすればフリーターになるかもしれない。そんなリスクもありましたが、「最後までやれるだけやってみよう」と思って就職活動を続けたら、富士フイルムが「そんなに機械をやりたいなら、頑張ってみなさい」と入社させてくれました。

松尾 「機械をやりたい」という意思を通したと。

八木 そうです。「ジャンルは何でもいいから、とにかく機械をやりたい」と言ったら、入社させてくれたんです。私の人生で大きな決断があったとすれば、就職と起業がそれに当たると思います。諦めて電子工学で就職するか、機械志望を貫くのか。精神的には折れるかどうか紙一重というところでしたが、何とかこらえたことが現在の道につながりました。

前例がなくても「ただ作りたいからやる」

松尾 就職後はどんな仕事を担当されたのですか。

八木 医療機器の開発部隊に配属され、4年間で5製品の製品開発に携わりました。製品はどう作るのか、品質を維持するにはどうするのかを一通り学んだら、4年たっていた、という感じです。

 その辺りで電子工学と機械工学、デザインが自分の中で一体化してきた感覚がありました。以前は別個に存在していたそれぞれのピースがうまく結び付くようになり、「これなら一人で製品開発を全部できるんじゃないか」と感じるようになったんです。そこから「チャンスがあったら、自分でやってみよう」と準備を始め、2011年に独立しました。

松尾 その時点から「ものづくりを一人でやろう」と思われていたのですか?

八木 大学院を卒業したころは、まだ一人でものづくりをするのは不可能でしたが、ソフトウェアが安価になったり、製品を作ってくれるWebサービスが出現したり、一人でもできそうな要素が、ちょうど独立のタイミングと一致してぽつぽつと現れ始めました。

 「そうしたサービスをうまく数珠つなぎにすると、個人でもできそうだ」というイメージが見えてきたので、「最初は一人でやってみて、仕組みがうまくできたら社員を採用しよう」と考えていました。「まずトライアルしよう」と思ったのが一人で起業した理由ですね。

松尾 ものづくりの領域では、個人で独立という考え方は珍しいと思います。

八木 個人起業はソフトウェアやITでは一般化していましたが、ものづくり、まして最終製品を一人で作ろうという試みは、自分が知る限りでは前例がありませんでした。ただ、前例がないからできないとは考えませんでした。「ただ作りたいからやる」という気持ちの方が大きかったので。その時は「事業モデルをどう作るか」より、「作りたい物があるから、やってみたい」という思いが先行していました。

松尾 周囲からの反応はいかがでしたか?

八木 「メーカーを作ります」と言うと、「意味がよく分からない」「そんなの無理でしょ」といった反応が返ってくることが多かったですね。

 最初はデスクライトを作ることに決め、時間とコストを見積もると、10カ月と1000万円あれば発売までこぎ着けられそうだと分かりました。最初の1年近く、潜伏して製品開発しているような状態でしたから、友人も「あいつ大丈夫かな?」と思っていたでしょう(笑)。

松尾 潜伏している間はどんなお気持ちでしたか?

八木 すごく楽しい時間だったなと思います。ひたすら開発に没頭できましたから。ただ、純粋な開発は最初の数カ月だけで、その後は製品を量産するための準備をしていました。

 具体的には町工場に製造の協力を仰いでいくのですが、そのころ東日本大震災が起こったため「これを作ってください」と図面を持って行っても「今はそれどころじゃない」と断られたり、「個人からの仕事は受けられない」と言われたり。パイプの部分は加工が非常に難しいので「技術的にできない」と言われたり、なかなか依頼を受けてくれる工場が見つかりませんでした。

 全部で100社くらい回ったでしょうか。大半は断られましたが、心意気あるありがたい会社が15社くらい、引き受けてくれました。

松尾 町工場を探し、依頼するのも八木さん一人でやったのですか。

八木 そうです。富士フイルム時代からの付き合いの工場もあれば、工場のWebサイトやFacebookから探して連絡した工場もあります。部品が20点くらいあるので、一つずつ「これを作ってください」とお願いしていきました。

 そうやってメーカーとして物を作る仕組みを構築するのに半年ぐらいかかったでしょうか。10カ月で最初の製品を出したのは、今思えばかなりタイトでした。

松尾 最初の製品が出来上がった瞬間は、どう感じましたか?

八木 設計した製品が物理的な形になって出てきたときは、本当に感動しました。富士フイルムで初めてものづくりをしたときも感じたのですが、魔法を手に入れたような感覚です。自分が思い描き、最初はPCの画面の中にしかなかった物が、実際の形になる。ものすごい驚きと感動があります。

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