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» 2014年12月22日 10時33分 UPDATE

頭脳放談:第175回 ポリオキソ金属酸塩分子1個が世界を変える?

もはやトランジスタの微細化も限界に近付いてきている。そんな中、ポリオキソ金属酸塩(POMs)という新しい素材を使ったフラッシュメモリが提案された。分子1個でフラッシュメモリと同様に、データを保存できるとか。POMsは世界を変えることができるのか?

[Massa POP Izumida,著]
頭脳放談
System Insider

 目の前のノートパソコンは「お求めやすい」価格帯の普及品だ。「お求めやすい」その中に最低でも何百億個か入っているはずのトランジスタを数えようと思ったことは、ついぞない。かろうじて意識するのは、USBメモリなどを買う時に、8Gbytesでウン百円、安いなぁ買っておくか、などと思うときの「Gbytes当たり」の単価くらいだろう。1個1個のトランジスタとして想像をめぐらすならば、それは、10のマイナス何乗分の1円といったコストとして意識され得ないような金額である。

 消費者としてはそんなものだが、設計者としてはどうか。設計者の立場で考えても昨今は1個1個のトランジスタの重みは昔に比べたら軽い。その昔は1個1個のトランジスタを手書きで設計していた(何という昔だ!)なら意識もしたけれど、このごろは数百万個、数千万個のトランジスタの設計でも論理合成である。

 何のことはないソフトウェアと変わらない。「NANDゲート1個がトランジスタ4個」といった低レベルのところまでは、まず降りて行かない。たまにそういう低レベルを見るのは、バグでも作って1個のトランジスタが全システムを道連れに誤動作でも引き起こし「たかが1トランジスタ、されど1トランジスタ」などと言ってホゾを噛むときばかりである。経験者は語る、か。

 さてしかし、1個のトランジスタが世界を変えると思っている人物も一部にはいる。彼らは、何やら怪しげで高価な装置を携えた研究者であって、どこか遠くにいる他者との見えない競争に血道を上げている。彼らデバイスの開発者にとっては、他を打ちのめす新しいトランジスタ1個は、1台の装置に数百億個か数千億個か使われ、その装置が数十億台も売れる、と見える。その「レバレッジ」の倍率はめくるめくようなもので、確かに世界を変えずにはいられないようにも思われてくる。

 「本当か!?」。そしてまた、その目標も節穴でなければ誰の眼にも明らかだ。ともかく「小さいことはいいこと」の世界にあって、「今」のデバイスは膜の厚みの原子の数が何十個などといって数えられるような世界にまで到達してしまっている。そこにブレークスルーをもたらすとすれば、原子なり、分子なり1個1個を操るようなものでなければならないことは、もはや明らかなのである。かくして原子、分子のレベルでの競争を勝ち抜けた先に世界の変革を見出すものたちがいる。

 「またしても」と言うべきなのかどうなのか。その競争に新たな出場者の登場である。英国のグラスゴー大学とスペインのロビラ・イ・ビルジリ大学の研究チームが、POMs(polyoxometalates:ポリオキソ金属酸塩)という材料を使った記憶素子を提案している(英国グラスゴー大学のニュースリリース「New molecular storage devices could bridge memory gap」)。以前から何度かフラッシュメモリ代替の新メモリを取り上げているが、同様な狙いの新材料、新規記憶のメカニズムである。それだけフラッシュメモリが物理的な限界に近付いており、かつ、その巨大な市場に、勝機ありと見ている人が多いのであろう。

 化学者でも物理学者でもない筆者には、その分子が記憶するメカニズムを説明することはできないが、大抵の半導体屋が持つであろう疑問を彼らに投げ掛けることはできる。第一に「商業的に成り立つような製造方法なの?」 第二に「信頼性は大丈夫なの?」 第三に「性能はでるんだろうね?」といったところだ。ポテンシャルのある技術でも安く大量に製造できなければ商業的な成功、それこそ世界の変革といったインパクトは持ち得ない。使って一週間で動かなくなりましたでは実用にならないし、いくら集積度が高くても既存のデバイスよりもとても遅くなるといったら用途は非常に限られるだろう。当然そんなことは筆者に聞かれなくとも、彼らもよく分かっていて、その辺に対する回答は抜かりがない。

 第一への回答は、「この材料は既存の製造設備で製造できる」というものだ。業界の誰もが、半導体工場への数千億円といった大型投資にげんなりしているところに、「全く別の工場にまたお金を使ってくださいとは言いません」と言いたいのだろう。実験室の中だけでは世界を変えられない。商業的な成功のためには資本と結び付かなければならない。が、そこの入り口は低く設定できるはずということだ。

 しかし本当にそうなのかはまた検証が必要である。「ちょっとした材料の変更」でも半導体工場の対応たるや大変なものだ。なかなか思ったようにうまく行かず、すぐに何カ月も時間がかかる。下手をすると何年もである。そして工場を使った時間は明確にお金に変換可能だ。それも膨大な金額となる。ましてや提案のPOMsは、今まで経験のない材料だと思うので、「原理的にはOK」といっても現実的には誰かがやってみないことには最後のところは分からない。研究室で1個作れたというのと、量産工場で量産にできたという間にはグランドキャニオンかサハラ砂漠に匹敵するギャップが存在する。この谷間で死んだモノも数多い。まずはそこに踏み込めるのか?

 第二への回答の一部は、「熱的に安定」というものだ。信頼性には本質的に熱や温度の問題がつきまとう。温度が高いとダメというのでは後々苦労するのが目に見えると誰もが思うだろう。取りあえず入口は「OK」そうだ。でもそれだけではない。特に狙っている不揮発メモリの分野は、どれだけの時間記憶を保持できて、どれだけの回数、記憶を「確実」に呼び戻せるかという点にかかっている。今のフラッシュメモリなどに関わった先人の工数の総和たるや天文学的な数字だろう。本当に大丈夫なのか、過去に痛い目を見た人であればあるほど厳しい目で見ることだろう。だから今のところは回答の一部でしかない。

 第三は「他の候補に比べたら抵抗が低い」というシンプルなものだ。つまり速い回路が作れる「はず」ということ。しかしこれまた一筋縄ではいかない。回路構成によっては素子そのものが速くても、その速さを生かせないということがままあり得る。特に「小ささ」が命のメモリデバイスでは、素子より配線の方が大きさを決めてしまったりもするから、実際に動作可能な回路にまでしてみないと速さと大きさのトレードオフの本当のところは分からない。

 この研究をしているグループのメンバーを知っているわけではないが、その所属を見て思うところがある。英国の大学というが、よく見れば、スコットランドであるし、スペインの大学というが、実際にはカタルニアである。奇しくもどちらも「独立志向」の強い地域として知られている。どういうわけか、どちらの「国」の半導体屋とも付き合った経験があるのだが、どちらもユニークで人とは違ったところに活路を見だすタイプだった。今回グループのメンバーがスコットランド人なのか、カタルニア人なのかは知らないが、きっと狙っているんじゃないかと思う。

 「世界を変えた」といえば、幸いスコットランドには大先達、J.C.マクスウェル(イギリスの理論物理学者。古典電磁気学を確立)もいる(マクスウェルは奇をてらわぬ正攻法だったような気もするが……)。死の谷で野たれ死なずに乗り越えてきてくれ。そうしてもう一歩先のニュースを目にしたいものである。でも時間も大事だなぁ。ライバルも多い。参入可能な「時間ウィンドウ」の幅というのは、そんなに甘いものじゃなさそうだから。


Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサーのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサーの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサーを中心とした開発を行っている。


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