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» 2016年04月18日 05時00分 UPDATE

Martin Casado氏が、今だから話せること(1):「OpenFlowの父」が振り返る、Niciraでの苦悩とヴイエムウェアに買収された理由 (1/3)

OpenFlowを開発した後、SDNベンダーNiciraを創業。ヴイエムウェアでSDN事業を年間売上6億ドル規模にまで育てたMartin Casado氏に、これまでを振り返ってもらう2回連載。今回は、Niciraの起業から、VMwareに買収されるまでを語ってもらった部分をお届けする。

[三木 泉,@IT]

 Martin Casado(マーティン・カサド)氏は、米ヴイエムウェアを退職し、2016年4月1日付けで、米ベンチャーキャピタルAndreessen Horowitzのジェネラルパートナーになった。同氏はその直前の3月下旬に来日。@ITは、ヴイエムウェアのネットワーク・セキュリティビジネス部門担当上級副社長兼ジェネラルマネージャーとしては最後の独占インタビューの機会を得た。そこで、SDNをめぐるこれまでの歩みを振り返ってもらうことと、IT業界で起業を考える人たちへのアドバイスをもらうことの2つを目的に、同氏から話を聞いた。

 今回は、Niciraを設立した経緯、初期の同社における苦悩、ヴイエムウェアによる買収を選択した理由、「ハイプ」(流行)としてのSDNに関する同氏の考えなどについて聞いた部分をお届けする。

リーマンショックで資金が調達できず、「確実に倒産すると思った」

im_ait_lcasado01.jpg OpenFlowの開発者で、4月にはベンチャーキャピタリストになったMartin Casado氏

 Casado氏は、2007年にスタンフォード大学で博士号を取得、このときの論文がSoftware Defined Networking(SDN)のブームにつながっていった。同氏はOpenFlowの最初の仕様を書き、このプロトコルの周りに、多数の企業や開発者が集まるようになっていった。一方でカサド氏は、同じ年にSDNのスタートアップ企業Niciraを設立した。Niciraは水面下で事業を進める、いわゆる「ステルスモード」で活動していたが、2012年2月に自社の活動をオープンにし、SDNのスター企業として、一躍脚光を浴びる存在になった。

 だが、注目を浴びる以前には、苦悩の時代があった。カサド氏はNiciraで製品開発を指揮していたが、一時は経営も担っていた。そのころ、株式市場の暴落で資金調達が困難になり、存続し続けられないのではないかと考えたという。その窮地を救ったのが元NetscapeのMarc Andreessen(マーク・アンドリーセン)氏らが設立したベンチャーキャピタルAndreessen Horowitz。そのころからの信頼関係が、Casado氏のAndreessen Horowitzジェネラルパートナー就任につながったという。

参考記事:

ネットワーク仮想化のNiciraがベールを脱いだ

Niciraは、あなたの考える(かもしれない)OpenFlowではない

「OpenFlowの父」が語る、OpenFlowとSDNの真実

――シリコンバレーでは大学や大学院を卒業してすぐに起業するのは自然だということですが、Casadoさんにとってはどれくらい自然だったのですか?

Casado氏 私にとっては自然ではありませんでした。父は欧州から移民し、ホテル事業から教授になった人で、大きなリスクをとるタイプではありません。私は「失敗は悪いことで、人に話すべきではない」といわれて育ちました。大学を卒業して勤めたのも政府機関で、リスクのある仕事ではありません。

 その後スタンフォード大学の博士課程に入って驚いたのは、人々が口々に「失敗したこと自体が成功だ」と言っていたことでした。米Netflixを創業したReed Hastings(リード・ヘイスティングス)氏が大学で講演し、「私が創業した最初の3社は失敗だった」と話したのを覚えています。私にとってはとても新鮮でした。博士課程の間に私は最初の企業(Illuminics Systems)を立ち上げました。当時26才で、若い方でもなく恐怖感はありましたが、最終的には成功しました(注:2006年に買収された)。「失敗してもいい」というのは、少なくとも当時はシリコンバレーならではの考え方でしたが、非常に強力だと思います。

――その一方、スタンフォード大学でSDNの研究をし、OpenFlowを開発したわけですよね。

Casado氏 ええ。実は博士課程を終えるときに、コーネル大学の教授にならないかという誘いを受けました。アイヴィーリーグ校で10年の雇用契約ですから、非常に魅力的でした。ですがその代わりに、起業することにしました。

 少しおかしな判断に聞こえるかもしれません。会社は誰でも作れますが、全米トップ校の教授職は、ほんの一握りの博士号取得者にしかチャンスがないのですから。それでも、SDNで、素晴らしいことができる気がしたのです。教授になれば、論文の執筆と指導に追われることになります。当時、私の周りには素晴らしい人々がいたこともあり、2007年に友人とともにNicira Networksを立ち上げました。

 ところが、2007年に創業し、少しずつ成長しようとしていた矢先の2008年に株式市場が暴落(注:リーマンショック)し、資金を調達できなくなって、「確実に倒産する」と思いました。最初の2年間は、非常に小さな会社のままでした。2010年になってようやく、(最初の機関投資家として)Andreessen Horowitzから資金を調達できました。あらゆるベンチャーキャピタルに断られる中、同社だけは私たちを信じてくれたのです。そこから全てが始まりました。人を雇い、規模を拡大し、顧客を獲得し、その後のヴイエムウェアによる買収につながりました。私は今でも、売上高との比較で見た(ヴイエムウェアによるNiciraの)買収額は、エンタープライズソフトウェアの世界における最高記録だと思っています。

――Niciraの創業は、あなたの開発した技術やアイディアが素晴らしいものだという、シンプルな考えに基づいていたのですか?

Casado氏 それ以上の部分もありました。業界は大きな変革期にあり、ネットワークは変わるべきだと考えたのです。実際に当時、GoogleやAmazonは全く異なる考え方でネットワークを構築していました。私やNiciraが変革を実現しなかったとしても、誰かが変えることになるだろうと思っていました。Niciraには素晴らしいチームがいて、製品のアイディアも優れており、私たちが変革を助ける役割を果たせるチャンスは大いにあると思っていました。

 最近、私が当時ベンチャーキャピタルに事業の説明をするために作ったスライドを見返しましたが、その頃私が約束したことは、結果的に全て寸分たがわず実行できました。これを(Andreessen Horowitzの共同創立者でジェネラルパートナーである)Ben Horowitz(ベン・ホロウィッツ)氏に話したところ、「ああ、そんなことはほとんどないよ」と言っていました。

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