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» 2018年05月29日 05時00分 公開

頭脳放談:第216回 量子コンピュータがやってくる?

Intelが量子コンピュータのプロセッサを発表した。普通のコンピュータなら何百万年もかかる計算も、量子コンピュータなら一瞬で解ける、などといわれているが、今回のプロセッサにはそこまでの性能も汎用性もないようだ。それでも、着々と量子コンピュータの足音が近づいて来ているようだ。

[Massa POP Izumida,著]
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 5月になってIntelがQuantum Computing(量子コンピュータ)に関するプレスリリースを出していたので、今回はそれを取り上げさせていただく(Intelのプレスリリース「The Future of Quantum Computing is Counted in Qubits」「Quantum Computing」)。最近のプレスリリースの通例に漏れず、「分かりやすい」図版あり、「短時間でよく分かる」動画ありで、華やかなものだ。

Intelのプレスリリース「The Future of Quantum Computing is Counted in Qubits」 Intelのプレスリリース「The Future of Quantum Computing is Counted in Qubits

 2018年初めに開催されたCES 2018でも発表していたので、「その焼き直しじゃないのか?」という気がしないでもないのだが、あまり突っ込まないでおこう。文章と数枚の写真といった旧態依然のプレスリリースに比べたら見た目はいい。「報道してくれ」「バズってくれ」という広報担当者の気持ちが素直に伝わってくる。まぁ、そのお先棒を担いで、こうして書いてしまっているわけだが。

まだまだ汎用的に使えるチップじゃないかも

 プレスリリースを見ていると、「INTEL'S 49-QUBIT PROCESSOR」というキャッチコピーと「Tangle Lake(タングルレイク)」という開発コードがまず飛び込んでくる。とたんにIntel Xeonか何かの既存プロセッサ系列のプレスリリースとのアナロジー(類推)が頭に浮かぶ。第7世代のCoreプロセッサは「Kaby Lake」、第8世代は「Coffee Lake」と、Intelの最近の開発コードは、「×× Lake」となっているからなおさらだ。

「Tangle Lake」の写真 「Tangle Lake」の写真
Intelが開発した量子コンピュータチップ「Tangle Lake(開発コード)」(「The Future of Quantum Computing is Counted in Qubits」より)。

 今にもデータセンターで必須のオプションボードとして使われるのか? 値段はいくら? 市場規模の予想はどのくらい? といった感覚になってくるのだが、違う。だいたい20mK(ミリケルビン、セ氏マイナス273.13度)に冷やさないと動作しないようなチップを普通の場所で使えるはずがない。

 一般に「量子コンピュータ」というと、普通のコンピュータで解読に何百万年もかかる暗号を一瞬で解ける、といった「応用例」が流布されてきている。だが、今回のIntelのチップでそれが実現できるわけではない(と思う)。間違っていたら申し訳ないのだが、そういう計算が本当にできたら、ある意味、現代社会の情報インフラに崩壊の危機をもたらす巨大なインパクトである。今のところそういう心配はしなくてよさそうだ。

 もっと端的なところでいうと、その手の問題が解けるような「汎用性」があるのならば、「××コインのマイニング」などは一瞬でできるはずだ。もしそうなら、採掘用にチップを売ってぼろもうけしているらしい、Intelの「目の上のたんこぶ」ともなっているグラフィックスチップで有名なN社のチップの値段が暴落すると思うが、そうもいかない。

ちょっと昔のアナログコンピュータの話をしておこう

 昔話に脱線する。アナログコンピュータというものを触ったことはあるだろうか。筆者は大学の頃に少しだけ使ったことがある。40年も昔のその当時でもすでに旧式感が半端ない「装置」であった。

 端的に言うと微分方程式を解くための装置といってよかろう。主として機械系の制御など、微分方程式で記述できるものを解いたり、場合によっては実時間で制御したりするために使われていた。ボードの上に抵抗、コンデンサー、アンプといった素子で、その微分方程式と等価な回路を作り、電気を流すと測定したい部分の電位が時間とともに変わり、それを拾ったペンが回転するドラムの上の紙にグラフを書いていくのだ。難しい方程式でも等価回路さえ組めれば短時間で解が得られる。

 まだデジタルコンピュータの性能が十分でなく、コストも高かった時代に、計算尺では時間が大幅にかかるような設計を可能にした装置であった。物理現象そのもののアナロジーによっているから、人手では解けないような微分方程式も解けるのだが、解というのは「測定値」であって、まさにアナログである。使用した部品精度や測定精度に依存する近似解と言っていいだろう。

 なお、この手の計算手法は今もなくなったわけでなく、デジタルコンピュータが安く高性能になった現代では、Matlabなどにとって代わられている。自動車業界などで流行のMBD(モデルベースデザイン)用のブロック図がアナログコンピュータのボード代わり、ともいえる。

量子コンピュータは現在のアナログコンピュータ?

 何でそんなことを書いたかというと、現状、商用化を「狙っている」量子コンピュータというものは、ほとんど「アナログコンピュータ」だといわれることが多いからだ。計算途中の誤りなく完璧に動作できれば、それこそ暗号を一瞬で解けるはずだが、そうはいかない。「誤りナシ」とはいかず、「ある程度の誤り」があることを前提にしないと、計算ができないからだ。

 現状、近似解でも求まれば役に立つ、というような応用分野でないと適用できないはずだ。昔のアナログコンピュータが人手では解けないような微分方程式を近似的に解いて工学的な問題解決に役立っていたように、現段階の量子コンピュータは、現段階のデジタルコンピュータでは時間がかかりすぎて解けないような問題で、かつ近似的に解けるだけでも十分役に立つような問題にフォーカスせざるを得ない。

 そこで候補になってくるのが創薬といった分野である。素人考えであるが、薬は開発にたくさんの時間とお金がかかるし、ひとたび当たれば年間何千億円といった売り上げもついてくる。よって、近似解でも開発の役に立つなら使おう、というモチベーションはあるのかと想像する。量子コンピュータが一部で「熱い」だけでなく、本格的なブレークを果たすためには、量子コンピュータを使ってこんなにすごい(こんなに、もうかる)薬を発明した、といった事例が欲しいところである。そうなれば猫も杓子(しゃくし)も飛びつくことになる。まぁ、そのような成功事例の呼び水とするためのプレスリリースなのかもしれない。

 それにどうも「量子コンピュータ業界」内部の事情も大分絡んでいるように見受けられる。遠くから見ていると、この業界に「火」をつけたのは、カナダのD-Wave Systemsという会社だ。製品が発表された当初は、本当に「量子コンピュータなのか?」という議論が続いたようだ。

 素人にはよく分からない議論だったが、彼らのマシンが古典的な「量子コンピュータ」概念からは外れていたためだと思う。現在では「量子効果」を使っている、という意見が大勢を占めているらしいが。その真贋(しんがん)論争よりも、実際にマシンに組み上げたインパクトは大きかったんだと思う。

 「量子コンピュータ」向けに考えられてきた計算方式が「役に立つ」問題を解けそうな雰囲気が出てきたからだ。そのせいか「量子効果」を使っているのか否かにかかわらず「役に立つなら」いいじゃないか、という派が増えたように見える。

 中には「量子コンピュータ」に「インスパイヤ」されたけれど、量子効果は使っていません、と断言する方式まで登場するに至っている。「量子風」コンピュータか。「本格」量子コンピュータを作り上げるのは相当に困難そうだから、「量子風」方式でも「役に立つ」問題を解けるのなら早く立ち上げて主導権をとりたい、ということなのだと思う。

 主導権をとれれば、応用先も増え、実績も出て「エコシステム」が出来上がる。一度「エコシステム」ができると勝手に回り始める。何せ、先にどれだけの広がりがあるのかまだ分からない分野なのだから。手を上げるところが多いのも分かる。

 これに対して、Intelの「量子コンピュータ」に対する取り組みは、結構、本道じゃないかと思う。ちゃんと「量子効果」を使っている。プレスリリース文だけ読んでいると、今にも売り始めそうな勢いに見えるが、方向的には「量子コンピュータ」のあるべき姿に向けて取り組んでいる感がある。

 けれど「本格量子」でないライバルたちが、先行して何か実績上げてしまうのではないか、という危機感というか焦りのようなものは、ないのだろうか。取りあえず何か実績見せておきたいのではないのだろうか、と考えてしまう。でも、それで「アナログコンピュータ」というのは……。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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