“気付き”のコミュニケーション――機能や仕組みの説明は理解に結び付かない何かがおかしいIT化の進め方(21)(1/3 ページ)

» 2005年10月29日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

中小企業のIT化では、ITの有効性や必要性について、経営者の“気付き”の問題が外部の人たちの間で議論され、大企業では上手なIT活用方法を求めて提案要求のタライ回しがされている。この場合の気付きとは、単に知っているというレベルと、新しく何かをつくり出せるレベルとの間を埋めるものとして求められるものだ。今回はこの気付きの問題を掘り下げてみる。

 中堅・中小企業のIT化では、ITの有効性や必要性に対する経営者の“気付き”問題が、外部の人たちの間で議論されている。

 大企業では経営者や事業(業務)部門がIT部門に対して、IT部門では情報子会社やベンダに対して、情報子会社ではベンダやアウトソース先に対して「提案力不足が不満だ」という“不満のタライ回し”が起こっていることが、さまざまなアンケート結果に表れている。

 立場は入れ替わってはいるが、ともに「うまいITの活用に対する“気付き”」について、自分の至らない部分のカバーを、相手に要求しているように感じられなくもない。

 ここでいっている“気付く/気付かせる”とは、一体どういうことをいっているのだろうか。

 「これは知らなかった。うっかりしていた。教えていただきありがとうございます、早速着手します」といったレベルの問題ではないのは確かだ。「話としては聞いていたが、本当のところがよく分からない」や、「新しいアイデアを生み出したり、自分で判断ができるほど具体的な理解ができていない」など、“単に知っているだけ”というレベルと、“新しく何かをつくり出せる”あるいは“納得して行動に移れるレベル”との間にある、理解度の差を埋めるものとしての“気付き”ということのようである。

 自ら理解やアイデアを創造する問題では、問い掛ける自分と、問い掛けられる自分との間における、自問自答のプロセスでの“気付き=真の理解・発見”の問題ということになる。

愛知万博のゴミのリサイクル・システム
―1つの言葉がもたらす“気付き”の瞬間

 愛知万博の閉幕日も近づいた9月の半ば、NHKの番組で、会場のゴミのリサイクルについての担当者の苦労話が放送されていた。愛知万博ではゴミの分別回収システムを取っているが、各パビリオンの人たちがなかなかルールを守ってくれない、当人たちはルールに従っているつもりでも、結果はそうはなっていないというものだった。

 生ゴミと一緒に捨てられていたスプーンで、ゴミ処理の装置が故障してしまい、この装置の担当者はパビリオンを1館ずつ回って、正しい分別の依頼と説明をしようとする。しかし、そもそもゴミのリサイクルなどやっていない国も数多くある。このような国から来た人にとって、“ゴミを分別して出す”という面倒くさいことを、なぜ厳しくやらないといけないのかということは、容易には理解できない問題だ。しかし、理解してもらわないと正しく運営してもらえないことも、また明白だ。

 TVはこんな画面を映し出していた。あるアフリカ(?)の国のパビリオンの人たちと、先のゴミのリサイクル担当者との話し合いの場である。まず担当者が、アルミ缶の回収とアルミの再生の説明をするが、反応がない。そして生ゴミについての説明の場になって、「その生ゴミは何になるのか?」という質問が出た。そこで担当者が「野菜の肥料にする」といい、生ゴミから作った肥料で育てたトマトを取り出した。その瞬間、「すべての合点がいった! それ以上説明はしなくても良い」という雰囲気に全体が変わった(この後に映された全員でトマトを食べている画は芝居くさかった)。

 パビリオンの人たちにしてみれば、「アルミ缶を再生すれば、精錬に必要な電力が節約できて、地球環境の保全に役立つ」という話や、「回収したペットボトルを粉砕して再生すると、フリースの衣料ができる」という仕組みの説明を聞いても、おそらく建前論や理屈の世界だけのピンとは来ない話に感じられていたであろう。一方、野菜を育て、その肥料にするというのなら、それは彼らにとっても、日常的な身近な問題として十分理解でき、共感・納得の得られる言葉であったのだと思う。人は理解して納得できれば、自律的な行動に移ることができる。1つのことが理解できると、周辺にあった疑問も一挙に氷解する。生ゴミが分かれば、アルミ缶にも想像力が働くようになる。

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