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人材紹介会社のコンサルタントが語る
第1回 キャリアは自ら切り開くもの

テクノブレーン
人材開発事業部 部長
龍野 尚夫
2002/9/11

求職者は、人材紹介会社のコンサルタントに転職相談だけではなく、職場の不満、自分の夢などを語ることが多いという。そうした転職最前線に身を置くコンサルタントだからこそ知っている、ITエンジニアの“生”の転職事情や転職の成功例、失敗例などを、@ITジョブエージェントの各パートナー企業のコンサルタントに語っていただく。

結婚が転機の動機

 今回紹介するのは、実際にあった典型的な転職成功例と失敗例について紹介しましょう。ただし、名前、所属する会社名などについては、すべて個人のプライバシー保護のため、分からないようにしています。

 小柴氏(仮名。当時30歳)は、A社に入社して2年6カ月間ほど勤務していました。小柴氏は、A社の研究所で通信系のベースバンドのIC設計・開発/研究を行っていたそうです。その当時は、まだ携帯電話の売れ行きがよく、通信系のハードウェアやソフトウェアのエンジニアは、若くても引っ張りだこの状態でした。

 小柴氏が勤務していたA社は、東証一部上場企業で、給与も高く、小柴氏は将来を嘱望されていたそうです。しかし、会社の人材を使い捨てにするような傾向を、自分の将来と重ね合わせて不安に感じただけでなく、技術力の向上についても、将来A社は通信業界の勝ち組に回れないと本人は感じていたそうです。そのため、自分の技術力アップと結婚を機に、妻となる人の住む東北のある県に勤務地を絞り込んで転職活動を行ったのです。

キャリアより勤務地を優先した結果

 小柴氏のコンサルティングを行ったのが、私でした。彼の実力・学力・従事している業務分野などから、優秀な一部上場企業に入社できるだろうと判断し、B社、C社、D社といった、今後日本の通信業界をしょって立つであろう会社を、小柴氏に強く提案しました。

 ところが、東北のある県での勤務ということが譲れない条件であったため、結局私が提案した会社の子会社であるE社に入社しました。しかし、結婚生活はうまくいかず、結局5年後に再度キャリアアップをするべく、小柴氏は転職市場の門を再度たたくことになったのです。

 E社転職後、ハードウェアの設計開発業務からソフトウェア開発業務へと専門分野が変わっていました。ソフトウェアは3年ほどの経験でしたが、29歳という年齢にしてはソフトウェア経験が短いこと、それに求人市場が最も厳しい時期と重なってしまい、E社以上の会社はなく、現在のE社にとどまらざるを得ない状況になってしまいました

 年齢が30歳前後になると、ソフトウェアであろうがハードウェアであろうが、企業側からある程度の技術力を要求されるだけでなく、できれば部下を管理した経験があれば……、というようなことも要求されるのが普通です。

キャリア採用とは企業がキャリアを買うこと

 小柴氏の失敗は、勤務地を限定して地方に無理に転職したこと、転職した会社が大手の子会社であったため(会社が悪いのではない)、会社の中で自分の専門が変わってしまったことです。

 キャリア採用とは、求職者の持っているキャリアを企業が買うということです。自分はできる(またはできるだろう)という言葉ややる気ではなく、職務経歴上やってきたことをきちんと証明できなければ、転職に際しては大変厳しい状況に追い込まれます。20歳代のキャリアは、30歳になったときにとても重要な位置を占めます。そうしたことを含めてキャリアを考えてほしいものです。

一流企業よりもキャリア付けを狙った転職

 吉村氏(仮名。当時24歳)は、有名私立大学で情報技術を学び、学生時代からソフトウェア技術についてはずば抜けた知識と経験を有していました。しかし、新卒採用の厳しい時期に当たったためか、あるメーカーに採用されたものの、自分の希望する部署とはまったく関係のない、塗装課にまわされてしまったそうです。しかし吉村氏はそこで約2年間勤務したそうです。会社には何度となく配置換えの願いを出していたのですが、会社からは受け入れられないまま。結局吉村氏は退職して、転職活動を始めたのです。

 ところが、吉村氏が転職活動を行ったころにはバブルははじけ、中途採用のスペックが上がって経験者の採用しかないという状況でした。吉村氏の希望は、一流SI(システムインテグレータ)などでしたが、いずれも書類選考の段階であえなく落とされてしまったのです。

 そこで、私は3年間を勉強期間として割り切り、今後伸びるであろう技術に目を付けて流通系のシステム開発会社F社にターゲットを絞り、徹底的にシステム開発を吉村氏に学んでもらうように提案しました。これは、吉村氏のキャリア構築のためにF社を利用してほしいという提案にほかなりませんでした。

苦渋の決断ャリア

 吉村氏にとっては、私の提案はプライドを傷つけられるものだったでしょう。また、提案を受けても3年間はつらい勉強期間となるのが明らかです。しかし、吉村氏は悩みぬいた末に一大決心をして私の提案を受け入れ、F社への転職と3年後までの技術力アップ計画を実行することにしたのです。この技術力アップのほか、私はさらに英語力アップとして、TOEIC 600点という課題まで提案しました。

 吉村氏はF社に入社し、その後の人生設計(キャリアを含め)再構築の生活をスタートさせました。その後、業務に没頭して頑張ったそうです。

 F社入社3年後、私の方から連絡して吉村氏に会ったところ、技術力が非常に高くなっていただけでなく、考え方や顔つきまでがしっかりとしており、この3年間を無駄にすることなく、しっかりと勉強したことが分かりました。

そこで得たキャリアが貴重に

 吉村氏によると、プログラマ(PG)レベルとはいえ、F社の大規模なシステム構築にかかわり、ネットワークの設計のほか、クライアント/サーバシステムによるWeb系のシステム構築では、オラクルのデータベースやJava技術にも触れることができたということで、テクニカル的には申し分のないキャリアをきちんと身に付けていたのです。さらに、彼は情報処理技術者試験やネットワークなどのベンダ資格など、数種類の資格収得も実現していたのです。

 私が不安に思ったのは、吉村氏が自分のキャリア構築のためにF社に入社したわけですが、非常にいい仕事に恵まれたため、なかなか転職を決断できない状況になったことです。

 吉村氏の成功のキーポイントは、業界トップの企業へのチャレンジが、結局すべて駄目だった経験をバネに、回り道になってもまずは自分のキャリア構築をメインにして会社の規模やレベルなども考えて絞り込んで転職したことです。このことは、キャリア変更を希望する人にとっては非常に重要なことで、かつ模範となる転職方法です。考えてみれば当たり前な方法かもしれません。しかし、あなたはそうしたことが実際にできるでしょうか?

 結局、吉村氏は最近、金融関連では非常に定評のあるシステムインテグレータ企業の流通部門に転職し、現在活躍中です。

 転職で大切なことは、近視眼的な結果を求めるだけでなく、ある期間で目標達成計画(人生設計を含め)を立てることです。さらに、それを実行するための最良かつ最短方法を見いだして実行することだと思います。


 

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