銀行業に見るエクスペリエンスのパワーeビジネスが生み出すエクスペリエンス(2)

» 2001年09月04日 12時00分 公開
[鈴木貴博(ネットイヤーグループ株式会社),@IT]

今回の内容

  • eビジネス以前の銀行エクスペリエンスの歴史
  • eビジネスが生み出した銀行との新しい付き合い方
  • BtoBでの変化の兆し
  • 銀行が提供するエクスペリエンスの未来

 成功しているeビジネスモデルが例外なく顧客に提供しているのは「これまでなかったまったく新しい経験」、すなわちエクスペリエンスである。第1回では米国で注目を集めているエクスペリエンスというキーワードについて概括してみた。今回は、例として銀行業にフォーカスして、新しい銀行が提供しているエクスペリエンスのパワーを検証してみたい。

eビジネス以前の銀行エクスペリエンスの歴史

 eビジネスが生まれる前、1980年代、B2Cの世界つまりリテールバンキングで初めてエンドユーザーに新しいエクスペリエンスを提供したのは三和銀行だろう。いまでは珍しくない駅前の風景であるが、1980年代前半ごろから都市圏の主要な駅前に次々と三和銀行のATMだけの無人店舗がオープンしていった。それまでの銀行店舗というのは、新宿や渋谷のようなターミナル駅ならばほとんどの都市銀行(当時12行もあった)の店舗が存在するが、中野、高円寺といった普通の駅では2〜3の銀行店舗しか存在しないというのが常識であった。そのため、一般の消費者は自分の住む最寄り駅の駅前の銀行支店で預金口座を開き、もっぱらその銀行と付き合うというのが通常のスタイルであり、出先でお金が足りなくなった場合、駅前にあるほかの銀行で手数料を支払ってATMからお金を引き出すというのがそれまでのエクスペリエンスであった。

1980年代、三和銀行の無人店舗はユーザーに銀行の新しいエクスペリエンスを提供した

 三和銀行の無人店舗が急速に広がっていったとき、われわれと銀行との付き合い方が変わった。このころのリテールバンキングの世界では、三和銀行に口座を持てば、どこでも預け入れ・引き出しが可能で、引っ越しをしても新しい町には同じ銀行の店舗があるということで若者を中心に三和銀行が口座数を獲得していった。90年代初めの営団地下鉄の車内では、当時の三和銀行のキャラクターだった設楽りさ子を起用して「この路線の三和銀行の店舗はこの駅前にあります」と路線図上のほとんどの駅に三和銀行店舗があることを表した広告が目を引いた。

 そもそも銀行店舗の出店には大蔵省(現・金融庁)の審査と認可が必要とし、そのため出店の半年前ぐらいにまず不動産を確保し審査資料を作成するという面倒な手続きを行わなければ成らない。一方で駅前の一等地にタバコ店ぐらいのスペースというものがそうそう存在するわけではない。当時聞いた話では、水面下で三和銀行の店舗開発スタッフが東京・大阪など主要都市の駅前の不動産をまず押さえ切ってしまい、そのうえで一斉に出店の認可を申請したという。そのために、ほかの都市銀行は、三和銀行と同じ店舗政策を取りたくてもまず出店する場所がなく、あっても審査に時間がかかるということで追随するにしても数年以上の水をあけられてしまったそうである。

 規制の多い銀行業界で、三和銀行の次に新しいエクスペリエンスを提案したのがシティバンク銀行だ。米国ではさまざまな先端的金融サービスによりリテールバンキングのトップを走っていたシティバンクも、日本参入当時は外資として高額所得者を対象としたプライベートバンキングなどニッチマーケットを橋頭保に日本進出を模索していた。当時の店舗網は大手町、赤坂、青山など首都圏でも数カ所にすぎず、24時間稼働しているATMというのが唯一、深夜族にとっての新しいエクスペリエンスといえるような状況であった。

 1990年代中盤、シティバンクは1つの明確な戦略を打ち出した。「シティバンクに100万円以上の預金を預けてくれるお客さまには新しいエクスペリエンスを提供します」というのがその骨子だ。シティバンクの口座に100万円以上の預金を持つと、日本全国に5000カ所以上ある都市銀行のATMで預金を引き落としてもそこでかかる105円ないしは210円の手数料をシティバンクが肩代わりしてくれるというものだ。それまで手数料惜しさに自分の取引銀行目指して駅の反対側まで歩いていった手間がまったく要らなくなるような変化が起きた。

 実はこのサービスには、意外と便利裏技的な利用法が普及している。例えばどこの都市銀行でも他行への振込手数料は結構高い。ATMで行っても525円程度かかってしまう。ところが、あらかじめ主要な銀行のキャッシュカードを作っておけば、その銀行のATMでシティバンクの口座から現金を引き出して、同じATMでその銀行の普通預金口座に預けてしまう。そうすれば振込みをする場合でも自行あてとして行えるので手数料が210円とお得になるというものだ。

 シティバンクはこのように100万円以上預金をしてくれる“銀行にとってはおいしい顧客”に対して優遇を行うとともに、30万円以下の預金額の顧客には口座維持手数料2100円を徴収するという方法で、全国23店舗もかかわらず、成長を続けていくことになった。

eビジネスが生み出した銀行との新しい付き合い方

 さて、ここでインターネットバンキングが登場する。「インターネットバンキングで何が変わったの?」とよく聞かれることが多いが、私個人の生活はインターネットバンキングをフル活用することで大きく変化した。その概要を見てもらおう。

 さて、皆さんの財布の中には何枚のカードが入っているだろうか。私の場合、銀行のキャッシュカードが4枚、クレジットカードが3枚入っている。これは実はすべて日常的に必要としているカードである。これ以外に作っているカードということになるとキャッシュカードもクレジットカードも10枚を超えてしまう。キャッシュカード4枚の内訳は、給与が振り込まれる銀行、公共料金などが引き落とされる自分自身のメインバンク、住宅ローンが引き落とされる銀行、それと後述するソニー銀行のカードだ。

 本来であればこれらの口座は1つの銀行で十分なはずだが、実生活では多くの方が私と同様の状況になっているに違いない。学生時代に作った銀行口座にクレジットカードや公共料金などさまざまな引き落としの設定をしたうえで、就職した会社で給与振込先の銀行を指定されてしまうと自動的に2つの銀行口座を持つことになってしまう。そのうえで付き合いやらなんやらで次々と口座が増えていくといった状況になってしまう。

 インターネットバンク以前の私の生活では、非常に面倒なことにこのような状況下で毎月3カ所に定期的に振り込みを行わなければならなかった。つまり給与口座から自分のメインバンクへ資金を移す、家賃を大家さんに振り込む、家内の口座に生活費を振り込むということを毎月行っていた。またそれとは別に、平均して毎月3カ所程度振り込みが発生していた。

 いまではどうだろうか、私にとってはまったく新しいエクスペリエンスだが、以下のような変化が起きている。

  1. 深夜に無料で毎月のルーチンの振込みを行っている
  2. 急に発生する振り込みも、夜、自宅で振り込み予約を行っている。このほうが銀行に行くよりも安い
  3. 夜、現金が足りなくなったらコンビニエンスストアのATMで預金を下おろす。手数料は無料だ
  4. 自分の主要な4つの銀行口座の残高はPCの画面で確認している。残高が足りなくなったら無料で資金移動を行う
  5. 余剰資金は投資信託、外貨定期などで運用している

 このように書くと、インターネットバンキングを活用されている方は疑問を持つかもしれない。上記のサービスは一般的には無料ではないのではないかと。実はそのとおりで、私はこれらのインターネットバンキングサービスをアンバンドルすなわちうまく使い分けてサービスのよいところをつまみ食いしているのである。

 例えばシテイバンク銀行のシティダイレクト。この銀行ではあらかじめ指定した10の銀行口座については他行であっても振り込み手数料無料(注:2001年10月から一部変更になっています)である。定期的に振り込みが発生する口座を登録しておくことで住宅ローンの返済や、生活費の送金などルーチンワークの振り込みは無料になる。

 ソニー銀行やジャパンネット銀行を使えば、通常の銀行よりも他行への振り込みは安い。都度発生する振り込みも、一般の銀行であれば例えば3万円以上の振込みはATMで525円、インターネットバンキングで315円かかるところをソニー銀行ならば210円で済む。3万円以下ならばジャパンネット銀行が152円と業界最安値だ。あらかじめシティバンク銀行の振り込み登録先にこれらの銀行口座を指定しておけば、最安値で他行あての都度振込みが可能となる。

 また、ソニー銀行ならば都内に多数店舗を持つコンビニエンスストア「エーエム・ピーエム」に設置されている@BANK(アット・バンク)のATMでの引き落としが現在無料だ。ジャパンネット銀行では回数制限はあるが、「エーエム・ピーエム」だけでなく「ファミリーマート」「サークルK」「サンクス」「ミニストップ」などのコンビニエンスストアが共同で設置しているE-net(イーネット)のATMでも無料で引き落としができる。

 このように各銀行が特に力を入れてサービスしているところをアンバンドルして使い分けることで、銀行との付き合いはより簡単に、そして安くなる。私の場合、上記のようなインターネットバンキングとの付き合いを始めた結果、銀行へ支払っていた手数料が年間2万5000円減った。それもこれまでは、わざわざ銀行に足を運んで支払っていたお金が要らなくなったわけである。

BtoBでの変化の兆し

 BtoBの世界でも銀行は新しいエクスペリエンスを提供している。読者の皆さんになじみのある世界で1つ、面白い例を紹介しよう。

 家電量販店のヨドバシカメラが運営する「ヨドバシカメラ・パーソナルストア」というECサイトがある。余談になるが、このECサイトでは多くの製品が秋葉原価格よりも安く買えるだけでなく、新宿西口などのヨドバシカメラ実店舗よりも特典がある。例えばヨドバシの店舗ではポイントカードの還元率が10%だが、このECサイトではポイント還元13%のキャンペーンを行っている。しかも店舗ではクレジットカードで決済するとポイント割引が少なくなるが、ECサイトでは13%還元のままである。

 さて、本当はクレジットカードで支払うのが最も得なのだが、ここで商品を買って支払いを銀行振込に指定してみよう。すると見慣れない支店口座に振り込むように指示が現れる。それは「あさひ銀行振込集中第一支店」という店舗である。さらに振込先はヨドバシカメラなのだが振込口座については「こちらの口座は、今回のご注文のお振り込みだけにご利用いただける1回限りの口座番号となりますのでご注意ください」と表示されるのだ。

 この仕組み、エンドユーザーであるわれわれの側から見るとなんのことか首をかしげたくなるものなのだが、販売するヨドバシカメラからすれば素晴らしいエクスペリエンスの仕掛けになる。従来のような振り込みの方法であれば、同じ銀行口座にさまざまな入金がある。毎日数千件の振り込みがあるのをいちいち確認して「スズキタカヒロ様」からの入金と、鈴木貴博という人物が購入した伝票とをマッチングさせなければならなかった。

 ところが、この新しい仕組みでは鈴木貴博の購入伝票と1回限りの口座番号が1対1対応しているために、もし入金があれば迅速に入金確認、発送手続き処理ができるようになるのである。

 この振込集中支店というビジネスモデルについては、三井住友銀行がビジネスモデル特許を主張しており、銀行業界ではその帰趨についても注目されているが、いずれにしてもこのような仕組みこそITがもたらす新しいエクスペリエンスといえるであろう。

銀行が提供するエクスペリエンスの未来

 このように銀行の世界だけで見ても新しいエクスペリエンスがインターネット登場以降次々と生まれてきて、われわれの生活が楽になる方向へと進化しているのが見て取れると思う。最後に、この先、エクスペリエンスがどのように変わっていくのか若干の考察をしたい。

 一つ、明確に予測できるのは、アンバンドルからバンドルにエンドユーザーであるわれわれの利用形態が戻っていくことである。この意味を以下に説明しよう。私が現在、各行サービスのお得なところをつまみ食いする形で安価に銀行のサービスを使っていられるのは、あくまで過渡的な現象だと思っている。各行ともビジネスでこうしたサービスを行っている以上、どこかで必ず優良なサービスについて課金化の動きに戻るはずである。現実にほとんどのインターネットバンキングサービスは2002年4月までというように期間を限定して無料サービスを提供している。来年の夏ごろには、予定では口座維持管理料ですら一定の預金残高を満たさない場合に徴収されるようになる。

 そのような状況になってくれば、銀行口座を10も持つような余裕はなくなってくる。そもそも銀行口座を10も持てるような状況は米国では考えられない。現に口座を持つのにコストがかかる米国では、数万円の預金しかない口座を放っておけば1年間で残高がゼロになってしまうのが当たり前である。

 来年のいまごろを想定して私が注目している銀行が3つある。1つは三和銀行インターネット支店だ。将来またバンドルサービスに戻るということであれば、都市銀行のようなフルラインサービスの銀行が有利な時代が再来するということになろう。三和銀行インターネット支店はフルラインサービスを維持しながら、店舗を持たないことによるコストダウン効果で同行が一般に提供するインターネットバンキングサービスよりもローコストのサービスを提供している。将来成長するのは1つはこのような分野のサービスであろう。

 2つ目はソニー銀行のようなサービス特化型の銀行だ。ソニー銀行はインターネット専業銀行の中でもユニークなポジショニング、すなわち「お金との付き合い方を相談できる銀行」という旗色を鮮明に打ち出している。総花的なサービスが闊歩する中、注目すべき企業であることは間違いない。

 3つ目はダークホースだがイトーヨーカドーグループが中心となって設立されたアイワイバンク銀行だ。実は、私は職業柄、新しいビジネスモデルのインターネット関連サービスが始まると必ず1回使ってみることにしている。アイワイバンクができたときにも早速セブン-イレブンに出かけてサービス内容を確認したのだが、首をかしげてしまった。高いのである。例えば振り込みを行うと3万円以上の場合420円と一見他の都市銀行と同じ手数料に見えるのだが、注意書きで「振込にはこれ以外に預金口座からの引き落とし手数料がかかります」とある。つまり19時以降の夜間に振り込めば合計で525円と高くついてしまう。さらにATMで夜間に預け入れを行う際に、4回目からは1回あたり315円の手数料を取るとある。私自身、預金を行うのに手数料を取る銀行に出合ったのは生まれて初めてだ。

 サービス内容がぱっとしない割に高いということで、私には珍しくアイワイバンクへの口座開設を見送ったが、コンサルタントという立場からは結構注目している。私はイトーヨーカドーグループ自体に、30年前に絶好調だったころの松下電器産業のような潜在力を感じている。かつての家電業界での松下は、他社がいろいろと工夫をして新しい製品を開発していくと、満を持して登場、より使いやすい製品を発売してその販売力を背景に一気にマーケットを獲得してしまうという手法で、これが同社の強さであった。イトーヨーカドーについてもそれと似たものを感じる。アイワイバンクが、実は世の中のインターネットバンキングサービスの帰趨をじっと観察しながら、ある時点で一気にマーケットを奪いにやって来るときが訪れる、そんな予感がするのである。

 さて、今回は銀行業界を眺めながらエクスペリエンスをより具体的に論じてみた。次回は具体的に新しいエクスペリエンスを設計するにあたってのノウハウについて論じてみたい。


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著者紹介

鈴木貴博(すずき たかひろ)

ネットイヤーグループ株式会社取締役SIPS(ストラテジック・インターネット・プロフェッショナル・サービス)事業部長。SIPS事業部全体のマネージメントを担当している。組織改編以前は取締役チーフストラテジックオフィサー(CSO)としてビジネス戦略に携わる。

ネットイヤーグループ株式会社入社以前は、コンサルタントとしてボストンコンサルティンググループに勤務。ビジネス戦略コンサルティングを専門とし、13年間にわたり超大手ハイテク企業等、経営トップをクライアントとしてきた。エレクトリックコマース戦略、メディア戦略、モバイル戦略など未来戦略に 関わるプロジェクトの責任者を歴任。

ハイテク以外の業種に対してもCRM(顧客リレーションシップマネジメント)、金融ビッグバン対応、規制緩和戦略、日本市場参入戦略などさまざまなプロジェクトを経験。ネットイヤーグループ入社直前には、米国サン・マイクロシステムズ社のためM&Aの戦略立案を行った。

ネットイヤーグループ株式会社

日本で初めてのSIPS(戦略的インターネットプロフェッショナルサービス)会社。SIPSは「戦略」「テクノロジー」「ユーザーエクスペリエンス

デザイン」の専門チームにより成功するeビジネスを支援し、大規模なeビジネスのパートナーとしてビジネスモデル構築、ソリューション開発、ユーザーインターフェースデザインなどをエンド・トゥ・エンドで提供する。2001年2月にはeCRM事業部を立ち上げ、SIPS事業における戦略分野として、eCRM事業を推進している。

メールアドレス:jack@netyear.net

ホームページ:http://www.netyear.net/


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