極上エクスペリエンスのつくり方eビジネスが生み出すエクスペリエンス(3)

» 2001年10月02日 12時00分 公開
[鈴木貴博(ネットイヤーグループ株式会社),@IT]

今回の内容

  • 顧客の妥協を特定する
  • 妥協を打ち破るブレークスルーを創造する
  • きめ細かい配慮をはりめぐらせる

 eビジネスを中心にエクスペリエンスが注目を集めている。日本語に訳すと「いままでなかった極上の体験」とでもいうのが正しいだろうか。ちょっとしたキーワードを提示するだけで調べたかった内容がすぐに見つかる、ワンクリックで欲しかった本が翌日には自宅に届く。成功するeビジネスは、最高級のエクスペリエンスばかりである。

 一方で、世の中の多くのeビジネスは、エクスペリエンスとは似て非なる体験をユーザーに与えている。面倒くさい、使いにくいWebサイトが多すぎる。

 今回は、ネットイヤーグループの過去の経験も踏まえて、どうすれば極上のエクスペリエンスを設計・実装できるのかについて述べていきたい。

 良いエクスペリエンスをつくるには3つのステップが重要である。それは、

  1. 自分たちが提供してきたサービスで、顧客に妥協を強いていた部分を特定する妥協を強いていた部分を特定する
  2. 顧客の妥協を打ち破るブレークスルーを発見し、新しいサービスの骨格とするブレークスルーを発見し、新しいサービスの骨格とする
  3. 新しいサービスが、流れるような極上の体験となるように隅々まできめ細かい配慮を張り巡らせるきめ細かい配慮を張り巡らせる

というステップとなる。以下、ステップごとに実例を見ていこう。

顧客の妥協を特定する

ファストフードの顧客も、実は“妥協”を強いられている

 サービス業や小売業の多くに共通することは、コストを抑えるために顧客に妥協を強いることだ。

 例えば、ファストフードはメニューを絞ることでコストを抑えてきた。ほかのものが食べたいお客さまは別の店にどうぞ。その代わりハンバーガー、チーズバーガーならばどこよりも安く食べられますよ──。スーパーマーケットも同様。特売の商品はめちゃくちゃ安いですよ、でも定番の商品は本当は安くはありません──といった具合だ。

 そこで歯磨き粉はホワイト&ホワイトと決めている顧客は、デンターライオンが特売で98円、ホワイト&ホワイトは特売品でないので198円という中で、「高いなあ」と思いながらホワイト&ホワイトを買う(198円も相当安いと思うが、同じような商品が横で98円で売っていると高い買い物をしたような気がしてくるから不思議である)か、ないしは妥協して98円のデンターライオンを買って3カ月ぐらい違う味に我慢をするか──値段か味のどちらかを妥協することになる。

 私個人も、最近妥協して冷蔵庫を買った。本当に欲しい機能とデザインの機種は4センチ大きすぎてキッチンに入らなかった。やむを得ず別のメーカーの冷蔵庫を買うことにしたのだ。消費者にとって購買行動は妥協の連続である。

 もちろん、製造業を中心に顧客に妥協を強いなければコスト競争が成り立たなくなる製品は数多い。というより、ほとんどの場合、顧客ニーズに“大体”合う量産品がビジネス的には最も成功している。しかし、サービスの作り手がいつの間にかこの顧客に妥協を強いるやり方の心地よさに慣れてしまい、何年間も顧客に意味のない妥協を強いていることに気が付かないでいるケースも実は多いのだ。

 例えば、ほとんどのECサイトではショッピングカートを導入している。クリックすればカートの中身が見えて便利ではある。ところが、よくよく見てみると便利なショッピングカートも顧客に妥協を強いているのだ。

 ネットイヤーグループが、ユニクロドットコムのサイトを担当したときには、この妥協に目を付けた。衣類を何着も購入するプロセスで顧客が最も気にするのはカラーコーディネートである。カーキのボトムを買ったのであれば、シャツはカーキに合う色目で、さらにアウターを買うのであればボトムとシャツの色を参考にというのが自然な消費者行動だ。ところが、ショッピングカートが商品のページとは別にクリックしなければ見えないのでカートをのぞくときにはカートのページに飛んで、そのカートの中身を暗記してから、また商品のページに戻ってということを繰り返さないと良い買い物はできない。

 あまり知られていないことだが、ECのプロセスでショッピングカートを見にいってそのままいなくなってしまう顧客は実に多い。やってみると分かるがダイヤルアップで何度もショッピングカートをのぞきにいくと、その待ち時間で嫌になってくるのが分かる。わざわざ顧客に嫌な思いをさせていなくなるように仕向けるか、ないしは妥協を強いるのが残念ながら世の中の多くのサイトだ。

 ユニクロドットコムの第1号サイトでは、商品表示ページに必ず買い物カゴが表示されるように設計を行った。2000年の冬の50色のフリースキャンペーンで、多くの顧客は色を比べながらたくさんのフリースをユニクロドットコムサイトを通じて購入していった。

 このように、ユーザーにとっての極上の体験を設計するための第1のステップは、顧客にあえて強いている妥協を発見することから始まる。

妥協を打ち破るブレークスルーを創造する

 ECサイトのショッピングカートのように割と容易に打ち破れる妥協もあるが、多くの妥協は存在する理由が必ずある。なぜ牛丼屋の椅子は硬いのか、それは多少居心地を悪くして回転率を高くするため。なぜ鉄道会社は一般に24時間運転しないのか、それは夜中に保線工事を行わないと安全が確保できないから。なぜ銀行は午後3時に閉まるのか、それは後方事務の処理に窓口が閉まってから3時間かかるから、行員が家族と一緒に夕食を取れるようにしようとすると3時に窓口を閉めないとダメなのである。

 第1回で紹介したハーツ#1クラブゴールドの例では、顧客に与えてきた妥協を打ち破るのに2年半はかかるぐらいのさまざまな困難な問題が存在していたという。空港に到着して最初に着いた駐車場に自分の借りる車がかぎ付きで置いてあるというシンプルなサービスを成立させるために、予約システム、サービスオペレーション、施設の改造、契約形態の変更など実にさまざまな理由を打ち破っていくことが必要だった。

 多くの場合、エクスペリエンスを形作るには組織の壁を越えるブレークスルーが必要だ。特にピュアプレイヤーと呼ばれるWebだけで完結するeビジネスよりも、クリック&モルタル型のeビジネスのほうが伸びている昨今では、成功のためにはクリック&モルタルのうちのモルタルの部分でのeビジネスへの協力が不可欠となる。

 面白いことに、多くのケースではモルタル側がエクスペリエンス創造の足を引っ張る役割をしている。新たなサービスの創造は、既存の流通の利益を減らしたり、チャネル間の競争を増やしたりすることになるために、“できれば変わらない”ことをモルタル側が望むことになる。また、政府の規制により変わりたくても変わりにくい場合も多々ある。オンライン上で酒類の製造メーカーがお酒を販売しようとしても免許がないため直販できないとか、タバコのメーカーがWeb上でのキャンペーンができないなど、できないことはたくさんある。

 従って、妥協を打ち破るエクスペリエンス創造には、ブレークスルーの発見と、粘り強い周囲の説得が必要となる。

きめ細かい配慮を張り巡らせる

 エクスペリエンス完成の最後のステップは、きめ細かい配慮である。実はこのステップが最も難しい。多くのサービス事業者が、新しいビジネスモデルを発見し、妥協を打ち破ることに精力を使い果たし、最後のステップを詰め切れていない状況に置かれてしまっている。

 前回の議論の中で、ジャパンネット銀行ソニー銀行アイワイバンク銀行など新たなビジネスモデルで参入したインターネット専業銀行について、彼らが生み出した新しいエクスペリエンスを述べた。ところが、Webビジネスの第三者評価機関であるGomezによれば、オンラインバンクの総合順位1位はこれらインターネット専業銀行ではなく三和銀行である。2位は三井住友銀行だ。三和銀行は使いやすさ・機能性でもダントツの1位となっている。

 実は、現在の三和銀行のWebサイトはネットイヤーグループが設計したサイトである。このプロジェクトでは、目的を持ってサイトを訪れたユーザーがいち早く目的地にたどり着くこと、やりたかったタスク処理がより素早く行えることを重視して、1200ページにわたるストラクチャをきめ細かく設計していった。

 膨大なWebをきめ細かく整理するためにはインフォーメーション・アーキテクトというプロフェッショナルが活躍する。日本ではまだなじみのない職種だが、Web先進国アメリカでは一流企業のWebサイトは必ずといっていいほど、インフォーメーション・アーキテクトの手によって基礎が設計されている。例えれば、高層ビルを建てる際には、建物の基礎構造から骨格に至るまで構造計算を行ったうえで、一流の設計士(アーキテクト)が設計を行うのが当たり前のやり方で、平屋の家をどんどん増築して大きな建物にするようなやり方をしないのと同じだ。大きなサイトを運営するのであれば、それなりの基本構造を設計したうえで、使いやすいナビゲーションを設定してやる必要がある。

 三和銀行の場合は、人間の認知能力を前提に、例えばボタンの数は6種類以内にカテゴライズするとか、グローバルナビゲーションの形式はすべてのページで同じルールで運営されるなど、使いやすくするためのルール作りに非常に大きな配慮をしている。「当たり前のことをきめ細かくやり遂げるのがエクセレントカンパニーである」と言ったのは経営学の名著「エクセレントカンパニー」の著者トム・ピーターズだが、まさに三和のWebへの取り組みはエクセレントカンパニーの定義そのものである。

 このきめ細かい作業すべてに専門的なインフォーメーション・アーキテクトが必要かというと必ずしもそうではない。基本設計を行うのは高度な技術を持つ設計士がふさわしいが、Webサイトを最終的にきめ細かく作り上げるのはむしろ現場の頑張りだ。われわれの多くの仕事においても、現場が働きやすいようなガイドラインを設定して、ボトムアップで優れたコンテンツが出来上がるようなプロセスを好んで取る傾向にある。

 日本的経営の強みというのはボトムアップにありというが、日本では現場の労働者が非常に高い能力を持ち、能動的に改善提案を行ってビジネスプロセスを向上していくというのが得意の手法である。専門家に基本設計をさせたうえで、現場の判断できめ細かくエクスペリエンスを完成させていくような分担作業が理想的である。もっともWebビジネスというのはまだ歴史が浅いが故に、その構築プロセスの中にこのようなボトムアップでの改善手法をどうやって取り上げてよいのか方法論で苦慮しているというのが多くの企業の現状であると思われる。

 いずれにしても近い将来、意外と日本のeビジネスはボトムアップの力をフル活用して国際的な競争力を持つエクスペリエンスを完成できるところまで進化していけるのではないか。そのような期待を感じている。

追記:第2回で紹介したシティダイレクトの国内無料送金サービスは10月2日をもって終了するという案内がありました。前回の原稿で、インターネットバンキングの無料サービスのよいところを組み合わせて用いるアンバンドリングの考え方はいずれ銀行側のサービス変更でなくなるはずだと申し上げました。わずか1カ月で予測通りの状況となったのには、あらためてネット界の変化の早さを再認識させられます。今後、私の予測通りサービスが再度バンドリング化されていくのかどうか、興味深いところです。

シティバンクの案内



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著者紹介

鈴木貴博(すずき たかひろ)

ネットイヤーグループ株式会社取締役SIPS(ストラテジック・インターネット・プロフェッショナル・サービス)事業部長。SIPS事業部全体のマネージメントを担当している。組織改編以前は取締役チーフストラテジックオフィサー(CSO)としてビジネス戦略に携わる。

ネットイヤーグループ株式会社入社以前は、コンサルタントとしてボストンコンサルティンググループに勤務。ビジネス戦略コンサルティングを専門とし、13年間にわたり超大手ハイテク企業等、経営トップをクライアントとしてきた。エレクトリックコマース戦略、メディア戦略、モバイル戦略など未来戦略に 関わるプロジェクトの責任者を歴任。

ハイテク以外の業種に対してもCRM(顧客リレーションシップマネジメント)、金融ビッグバン対応、規制緩和戦略、日本市場参入戦略などさまざまなプロジェクトを経験。ネットイヤーグループ入社直前には、米国サン・マイクロシステムズ社のためM&Aの戦略立案を行った。

ネットイヤーグループ株式会社

日本で初めてのSIPS(戦略的インターネットプロフェッショナルサービス)会社。SIPSは「戦略」「テクノロジー」「ユーザーエクスペリエンス

デザイン」の専門チームにより成功するeビジネスを支援し、大規模なeビジネスのパートナーとしてビジネスモデル構築、ソリューション開発、ユーザーインターフェースデザインなどをエンド・トゥ・エンドで提供する。2001年2月にはeCRM事業部を立ち上げ、SIPS事業における戦略分野として、eCRM事業を推進している。

メールアドレス:jack@netyear.net

ホームページ:http://www.netyear.net/


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