連載

頭脳放談
−プロセッサ デザイン現場の舞台裏−

第20回 日立がS-MAPでケータイを変える?

Massa POP Izumida
2002/01/25

 この頃では、携帯電話にデジタル・カメラ機能が装備されるのが普通になってしまった。デジタル・カメラといえば画素数競争というわけで、携帯電話でも再び不毛な戦争が勃発しそうな前兆が見え隠れする。その携帯電話も、いまや「電話」というよりも、メールをやりとりするツールになって久しい。いまや携帯電話は、Javaでゲームもできるし、音楽も聞ける。さらには、GPS機能で道案内や居場所も分かれば、アニメも見れるのだ。もはや「携帯電話」というよりも、「ケータイ」という愛称(?)で呼んだ方がふさわしいものになっているのかもしれない。

 すべての携帯機器は、携帯電話に飲み込まれるという、数年前に予想されたシナリオがかなり真実味をおびてきたようにも見えるし、頭打ち状況にある携帯電話市場の悪あがきにも思える。ただ、数年前の予想と異なるのは、ほとんどの機能がFOMAに代表される高速通信可能な3G(第3世代移動体通信方式:W-CDMAcdma2000などがある)での実現でなく、速度的には非常に低速な既存のPDC*1の枠内で実現されてしまったことだろう。

*1 PDCやGMSといった2G(第2世代移動体通信)の携帯電話において、パケット通信やJavaによるアプリケーション実行といった、3Gで実現するといわれていた機能を先取りしたものを、2.5Gと呼ぶことがある。

 3Gでなく既存の枠組で実現することになったのは、3G携帯電話のバッテリ駆動時間がまだ短いことに加え、この不況の影響も多少はあるのだろう。特に携帯電話業界は、2000年の活況が多分にバブル的であったため、在庫の山を築いてしまい、2001年中はその重圧にあえいでいたということがある。また、無償で電波を使っている日本はともかく、欧州では通信キャリアが電波の権利にお金を払い過ぎて新たな設備投資ができなくなったという事情もあるだろう。もちろん、もう携帯電話は普及しつくした、という見方もある。だいたい子供が払う通話料金にみんなが依存するような状況が成り立つわけがない。一方で、不況下でもADSLのサービス競争によって、日本でもブロードバンド化が進んだことを考えれば、アプリケーション次第で携帯電話市場もまだまだ活性化するんじゃないかと思われる。

 そして、その携帯電話のアプリケーション市場を「S-MAP(SuperH Mobile Application Processor)」が狙っているのだ。S-MAPといってもジャニーズ事務所ではなく、所属は日立製作所である。「スマップ」と発音する人と「エスマップ」という人がいるが、「S-MAP」のSは組み込みプロセッサ「SH(SuperH)」のSらしいのでエスマップの方が正しい発音かもしれない。これを聞いたとき「二重の意味でパクリじゃん!」と思ったことは否定できない。もちろん、国民的アイドル・グループともいえる「SMAP」と同じ名前だし、Texas Instruments(TI)が同じ市場向けに発表済みの「OMAP(オーマップ:Open Multimedia Application Platform)」とも1文字違いだ。ともかくTIのOMAPも日立製作所のS-MAPも、画像、音楽とマルチメディア化が進む携帯電話向けプロセッサである。どちらもプロセッサ+DSPという構成であることも共通している。

携帯電話にアプリケーション・プロセッサがなぜ必要なのか

 S-MAPとはどういうものか、という前に携帯電話の中の「アプリケーションでない」プロセッサとは何かを見ておこう。実のところ、これも多くはプロセッサ+DSPという組み合わせなのである。ただこちらは本来の通話機能を実現するために使われ、その主目的が音声の処理(音声は無線周波数に比べると格段に低い周波数の信号だ)であるために、「ベースバンド・エンジン*2」と呼ばれる。音声の伸長圧縮処理をDSPが、通信制御をプロセッサが受け持つというのが基本である。プロセッサにせよ、DSPにせよ、プログラマブルであるから、通話以外の機能でも、性能と記憶容量次第で実現できるのだ。現在出回っている携帯電話機のほとんど(新設計の一部も)は、いまでもこのベースバンド・エンジンだけですべての処理を行っている。

*2 ベースバンドとは、デジタル通信に使われる周波数帯のうち、直流(0Hz)から比較的低い帯域を指す。この周波数帯域を利用するのがベースバンド伝送と呼ばれる伝送方式で、送信したい信号(上記の場合は音声)を電圧の高低などにそのまま変換して伝送する。つまり、元の信号の周波数帯をそのまま使って伝送し、周波数帯を変更することはない。そのため送受信のための回路は比較的簡単なもので済むが、1つの通信路で1つの信号しか伝送できないという欠点がある。

 先ほど述べたTIのOMAPは、このベースバンド・エンジンの流れが鋭く進化したものともいえる。もともと携帯電話業界ではARM社の組み込みプロセッサ「ARM7」とTIのDSPの組み合わせが主流だった(主に欧州で使われている移動体通信方式「GSM」の市場で70%以上のシェアを持つ)。その組み合わせの自然な延長に、ARM社の最新プロセッサ「ARM9」とTIのDSPの組み合わせを核としたOMAPが位置している。しかし、プロセッサのグレードアップと強力なDSPにより、従来のベースバンド・エンジンをはるかに越えて、通信プラットフォーム上でWindows CEやPalm OSなど汎用のOSを実行させられるだけのパワーを持っているのがOMAPなのである。

 しかし、ベースバンド・エンジンを強化して、すべてをやらせることは得策でない、という考え方も増えてきた。もともとベースバンド・エンジンは音声を扱うのに最適になっている。音声だけならば16bitで済むものが、画像を扱おうとすると32bit、3次元なら浮動小数点数値と、ハードウェアはどんどん大きくなり、要求速度も段違いになる。本来の「通話」という仕事だけならば、小さなハードウェアをごく低い周波数で動かし、少ない消費電力で実行可能なのに、メールやJavaといった大仕事のために過剰な設備が必要になり、バッテリ駆動時間などが犠牲になってしまうからだ。

 また、ソフトウェア上も、通信を制御する部分と、何が実行されるか分からない汎用OSやアプリケーションを分離した方が安心ということがある。「電話」というものの性格上、PCのように突然ハングアップしてしまうのは問題だ。「ケータイ」と軽薄に呼ばれるわりには、信頼性の必要度は高いのである。1個のベースバンド・エンジンで全部やるにしても、通信している間にアプリケーションで何か変な負荷がかかっても大丈夫なようにいろいろと考えてテストしているだろうが、「まだバグが残っていた!」なんてこともあり得る。それよりも、昔の黒電話的な頑丈さを持ったベースバンド・エンジンと、PC的多機能性を持ったアプリケーション・プロセッサをすっぱり分けようという考えだ。これならアプリケーションがPC的なパニックを引き起こしても通話には影響しない。アプリケーションが動かないときは、消費電力が大きいアプリケーション側のプロセッサを止めてしまっても、通話機能はベースバンド・エンジン側で確保される。またアプリケーション・プロセッサも、通話機能のことを忘れてアプリケーションの実行機能に最適化できる。

S-MAPで勝負を賭ける日立

S-MAPのベースとなる「SH3-DSP」
写真は、現在SH3-DSPとしては最上位プロセッサにあたる「SH7729R」。S-MAPは、このSH3-DSPをベースに携帯電話向けに消費電力を抑えるなどのアレンジを加えたものになる。

 このような思想から出現した(しつつある)アプリケーション・プロセッサが日立製作所の「S-MAP」だ。こちらは、日立製作所の組み込みプロセッサ「SH-3」とDSP機能を組み合わせた「SH3-DSP」が核になっている。もともとSH-3は、Windows CE 2.0時代の主力プロセッサだったくらいで、汎用OSを実行するのに十分な性能を持っている。また、よくあるプロセッサの横に乗算器をつけた程度の「DSP命令」付きプロセッサに比べて、SH3-DSPは本格的なDSPがプロセッサ機能とシームレスに結合している点で魅力的だ。TIのOMAPが、もともと他人のARMとTI-DSPを力ずくでくっつけた感があるのに対し、S-MAPはスマートに見える。きっとOMAPに対抗できる底力はあるに違いない。

 これから徐々にS-MAPやOMAPといったプロセッサを搭載した携帯電話機が登場してくるだろう。どの携帯電話市場で、どのプロセッサが標準となるかは分からないが、SHの復権をこれに賭ける、日立製作所のS-MAPの意気込みに特に注目したい。日立製作所は、ベースバンド・エンジンの世界からは1度撤退を余儀なくされており、S-MAPが立ち上がらなければ、携帯電話市場への再参入に失敗するだけでなく、ARMの前に風前のともしび状態のSuperHそのものが消え去る可能性も出てくるからだ。ぜひとも頑張っていただきたい。しかし、S-MAPっていう名前は何とかならなかったのだろうか?記事の終わり

SuperHのロードマップ(GAIN 2001年10月号SuperH Worldより)
S-MAPは、SH3-DSPの低消費電力版に位置付けられる。S-MAP自体もS-MAP1、S-MAP2とより高性能化される予定だ。
 

Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。
 
  関連記事
第15回 ARMプロセッサを知らずに暮らせない
第12回 キミはARMを知っているかい?
 
  関連リンク
SuperHの製品情報ページ
日立半導体マガジン「GAIN」 2001年10月号SuperH World
 
  更新履歴
【2002/01/29】2段目の最後の部分に

ただ、数年前の予想と異なるのは、ほとんどの機能がFOMAに代表される高速通信可能な3G(第3世代移動体通信方式:W-CDMAやcdma2000などがある)での実現でなく、速度的には非常に低速な既存のPDC(2.5Gともいわれる)の枠内で実現されてしまったことだろう。

とありましたが、誤解を与える表現でしたので、脚注に変更させていただきました。お詫びして訂正させていただきます。
 
 
 
     
「連載:頭脳放談」
 

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