頭脳放談

第133回 エレクトロニクス+量子力学=消費電力削減の切り札?

Massa POP Izumida
2011/06/27

 量子力学は難しい。「数学抜きで量子力学を理解することはできない」といわれるのだが、大体、出てくる数学も抽象的でまず分からない。そして出てきた結論もまた、ちょっと奇怪で不思議な話ばかりである。「お前ら半導体屋もその基礎は量子力学にあるのだろう、どうしているのだ」といわれそうだ。確かに、トランジスタの基礎は電子の準位やエネルギー・バンドといった量子力学から出てきた概念に支えられているし、有名なエサキダイオード(固体でのトンネル効果を使って作成されたダイオード)のように量子力学的な「トンネル効果」を前面に出しているデバイスもある。

頭脳放談「第103回 シリコン・フォトニクスが攻殻機動隊の世界を実現する

 しかし、電子工学的な「設計の実体」からすると、前にも書いたけれども、真空中を電子が飛んでいる真空管と固体中を動き回わる電子や正孔を使っている半導体のMOSトランジスタも、実はそれほど大きな違いはない。「エレクトロニクス」といわれる分野は、確かに半導体デバイスによって大きく進歩したが、その回路的な基礎は真空管時代に据えられているのだ。そのため、デバイスの深いところを攻めているデバイス・エンジニアを除いたら、普通の設計エンジニアが量子力学的な効果を考えることはまずなかった。

 ところがである、最近といってもかなり前からだが、そんな古いところに基礎を置いている「エレクトロニクス」に量子力学的な原理をもっと本格的に導入し、変革しようという動きがある。「スピントロニクス」という。「スピン」は電子スピンであり、電子スピンのような量子力学的な現象を積極的に使ったデバイスである。当然、その原理からして量子力学が理解できないと分からない。

 そんな流行の「スピントロニクス」技術分野で、また新たなニュースリリースが出ていた。NECと東北大学が共同の「世界初 データ保持に電力が不要な連想メモリプロセッサを開発・実証」というものである。まぁ「世界初」はニュースリリースの常套句なので、このごろは目も向かない。「ほかの誰とも違えば」世界初に決まっているからだ。逆に表面的には「スピントロニクス」の「ス」の字も書いていない。「スピントロニクス」と書くと難しい話が書いてあると思って、読んでもらえなくなると苦慮したのかもしれない。

 「プロセッサ」という文字の入ったタイトルからは、プロセッサ=CPUそのものを作ったのか、と一瞬早合点したのだが違った。また、副題に「待機電力ゼロの電子機器実現に向けて」とあり「向けて」とあるからには、まだ「途中なんだ」と分かる。なかなか「公用文」的文章センスのニュースリリースである。

 このニュースリリースをよく読めば、CPUの内部で使われることのあるCAM回路部分について、電源を切っても記憶が保持され、加えて、その速度が既存回路と同等というものを開発、実証したということであった。CAMのところに「CAM:連想メモリプロセッサ」と書いてあるので、どうもCAMそのものを「連想メモリプロセッサ」と呼んでいるようだ。

 CAM自体、回路を扱わない人にはあまり馴染みのないものだろう。コンテント・アドレッサブル・メモリ(Content Addressable Memory)の略である。ある数を入力したらその数と一致するエントリがあれば、そいつの値が出てくるメモリである。基本的には、キーを渡せば値が返る、ソフトウェアの連想配列などと同様なものだが、あくまでハードウェアなので、容量とかビット幅とか固定となる分「硬い」構造である。CPUなどでは、キャッシュとか、ページング仮想記憶で用いるTLB(トランスレーション・ルック・アサイド・バッファ)などで使われることもあるし、ネットワーク関係の処理LSIなどでも使われているかもしれない。

 「使われることもある」と書いたのは、必ずしもCAMでなくても、キャッシュもTLBも作れるからだ。CAMは、一度にすべての比較を並列にできるので「比較」をするという性能的には優れるが、コスト面ではどうしても不利になるからだ。蛇足だが、お安い回路では「××ウエイ」(××には数字が入る)などといって、一度に比較できる数を絞って普通のメモリを使ってこの作業をやっている。

 そのCAMセルを「スピントロニクス」を使った回路を使って、従来のものと遜色ない速度のものを不揮発にできた、というのがニュースリリースの眼目なのである。そして不揮発ということこそ、「待機電力ゼロ」へのキーである。電気を切ってしまうことこそが消費電力削減のための究極の切り札である。しかし、そのとき、動作の途中でバツンと電気を切ってしまうとコンピュータはうまくいかないのはご存じのとおりだ。それはコンピュータ全体でもそうだが、1個の半導体のごく一部の小さなサブシステムであっても同じである。

 電気を切って、また入れたときに何事もなかったように動き出すためには、いわば「途中経過」を残しておかなければならないわけだ。コンピュータ全体の場合、通常、ハードディスクなりSSDなりの不揮発な記憶に記録して電源を落とす。しかし、その場合、電源を切る前に書き込んで、電源を入れた後に読み出して、という作業に時間とそして結構な電力がかかる。コンピュータ全体の場合、そのオーバヘッドが大きいから、比較的短時間なら切らずにそのままにしていた方がよっぽどましかもしれない。

 電源のオン/オフに伴うオーバヘッドが重要なのも、コンピュータ全体に限らず、半導体内部のサブシステムであろうと同様である。だから特に記憶を外に退避する必要がない、回路そのものに電気を切っても記憶が残る回路の不揮発性が求められるわけである。そのような回路なら、使わないときに「電源をバツン」と切っても、特にオーバヘッドもなく即座に動作状態に復帰できる。

 ところが一般に不揮発性のあるデバイスは動作の遅いものが多かったのだ。フラッシュROM(これも量子力学的効果を使っているといえるけれども、電子スピンまで考えなくてもよいと思うので、スピントロニクスには入れてもらえないだろう)などがそうである。通常、読みはある程度速くても書きは遅い。ところが、今回はスピントロニクス技術で速さと不揮発性が両立した、という発表なのだった。あとの問題はコストだな……。記事の終わり

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世界初 データ保持に電力が不要な連想メモリプロセッサを開発・実証

Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。

 
     
「連載:頭脳放談」

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