特集:ReadiumについてACCESSと達人出版会に聞いた


電子出版の日本語表示に問題提起してみる


山崎潤一郎
2012/7/12

WebKitベースの電子書籍オープンソースのプロジェクト「Readium」に関わるACCESSとユーザー代表の達人出版会に聞いた

 「いつか来た道」で終わらせないために


 電子出版をめぐる日本語表示の状況を俯瞰すると「いつか来た道」というフレーズが頭をよぎる。というのは、EPUB規格に対応した電子ブックリーダ(ビューワ)の表示にまつわる問題が、Webブラウザにおけるコンテンツ表示の状況に似ているからだ。

 EPUBは、オープンな規格であり、筆者が知り得るだけでも、パソコン、スマートフォン、タブレット向けに十数種類のビューワが登場している。昨年、日本語組版処理に対する基本的な要求をカバーするEPUB3が策定されたことで、今後も日本語対応のEPUBビューワはその数を増やすのだろう。そういえば、大手書店紀伊國屋書店も電子書籍アプリ「Kinoppy」において、EPUB3への対応を正式表明し、8月以降順次EPUB規格の電書書籍を販売するという。

 このように、多様な閲覧環境が用意されることは、読者にとって選択肢の幅が広がり、よいことのにように思える。だが事は、そう単純ではない。同一のEPUBコンテンツでも、ビューワによって「見え方」が異なるのだ。実際、EPUBコンテンツを扱っている電子書店の中には、「作品によっては表示が崩れる可能性がある」と明記しているところもある。

 このあたりは、読者それぞれに受け止め方は千差万別だろうが、筆者の場合は「まあ、読めればいいや」派なので、多少表示が変でも気にせず読む。よほどのことがない限り、多くの読者はそうだろう。だが、コンテンツを供給する側からすると、なんともやっかいな問題として小骨のように喉の奥に引っ掛かり、制作コストや納期に多大な影響を及ぼす問題でもあるのだ。

 Webブラウザにおける表示差異の問題と似ている。同じHTMLコンテンツでも、Webブラウザによってレイアウトや表示が変わってしまう、いわゆる「ブラウザ間の表示差異」だ。サイト制作者はブラウザのシェアを気にしつつ、その差異を埋めるための負担を強いられている。現状のEPUBビューワも同様の問題を抱えていると思えばよい。まさに「いつか来た道」である。

 これは、日本の電子書籍に限らず、電子出版ビジネスにおいて、世界レベルで解決しなければならない懸案でもある。そこで、「EPUB規格の普及を推し進めている国際電子出版フォーラム(International Digital Publishing Forum: IDPF)が主導する形で、リファレンス環境を作ろうというプロジェクト」(ACCESSの戸上貴夫氏)としてスタートしたのが、WebKitベースのオープンソースのプロジェクトである「Readium」なのだ。つまり、「Readiumビューワで正しく表示されれば、EPUB仕様に準拠したコンテンツですよ」という「メートル原器」のようなビューワを作ろうというプロジェクトだ。

 WebKitをベースに日本語組版を盛り込んだEPUBビューワ

 Readiumプロジェクトは、今年の2月に最初の成果である「Readium」を公開した。Readiumは、Google Chrome内で、EPUB3のコンテンツを表示するための(拡張機能)アプリケーションとして提供された。ただし、このバージョンは緒に就いたばかりのもので、日本語組版を中心にして未実装の機能も多々ある。

 そのような状況の中で、Readiumに日本語組版に配慮した仕様を実装しようと、このプロジェクトに積極的に関わっている日本の企業が、ACCESS、楽天kobo、ボイジャー、ソニー、イーストの5社だ。「現在この5社で話し合いながら日本語環境の構築に貢献している」(戸上氏)という。

 その中で、ACCESSは、7月4日、同社のEPUB3対応電子書籍ビューワ「NetFront BookReader EPUB Edition」の技術がReadiumに搭載されたことを発表した。それと同時に、Readiumプロジェクトのサイトで、Webブラウザの配布が開始された(Readium Custom Chromium binary for Mac OS X Available)。

ACCESSの戸上貴夫氏と浅野貴史氏

 この話、複数の製品名が登場し、ちょっとややこしいので整理しよう。まず、「Chromium」(クロミウム)というWebKitベースのオープンソースプロジェクトが存在している。前述の「Readium Custom Chromium binary for Mac OS X Available」は、その「Chromium」をReadium用のブラウザに仕立てたものだ。そして、そのブラウザに、日本語組版に配慮した「NetFront BookReader EPUB Edition」の技術が搭載されている。ちなみに、Google製のブラウザである「Chrome」(クローム)は、「Chromium」をベースにして開発されている。Readiumの最新版を試したいユーザーは、「Readium Custom Chromium binary for Mac OS X Available」をダウンロードし、そこに、Readium拡張機能をインストールして利用することになる。

 現状でこのような手順を踏まなければならない背景には「GoogleのChromeにReadiumの機能拡張を追加するやり方では、日本語が正しく表示されない部分もある。弊社の技術を使いWebKitのレベルから日本語向きに改良する必要があった」(ACCESSの浅野貴史氏)という。とはいうものの、EPUBの電子書籍を読むために、上記のような手順を踏むのは面倒であり、一般ユーザーにとってはハードルが高い作業だ。しかし、「将来は、すべてをワンパッケージ化して提供するベンダも現れると思う(浅野氏)という。また、WebKitベースのブラウザであり、電子書籍端末として適したiOSやAndroid端末向けのビューワの登場も期待できる。実際、「弊社としても、他のメンバーと協力して、本流であるWebKitプロジェクトに日本語組版の部分で貢献したいと考えている」(浅野氏)という。

 電書協がまとめた日本語組版要望表

 EPUBにおける、「メートル原器」の登場により日本語電子書籍のオーサリング事情は、今後、どのようになるのだろうか。「現状では、閲覧環境のテストを行う場合、何をターゲットにするのか定まらない状態。少なくとも、IDPFお墨付きのテスト環境が定まることの意義は大きい。ユーザーにも“基準のビューワで確認している”という、いい方ができる」(達人出版会の高橋征義氏)と期待を寄せる。

達人出版会の高橋征義氏。実はReadiumのコントリビュータでもある

 日本電子書籍出版社協会(電書協)は6月21日、EPUBビューワ上で出版社が必要とする日本語組版の要素項目をまとめた「EPUB3.0 日本語組版要望表」を公開した(参照記事:電書協、「EPUB3.0日本語組版要望表」を公開)。これは、EPUBに関して、日本語組版の部分で足りない要素を優先順位を付けてまとめたもの。そこには、一般的に見慣れた文字やレイアウト表現はもとより、さまざまなルビの付け方から数式や漢文の表現に至る専門書の領域に入る部分までの日本語組版のルールが子細に求められている。ただ、現状のReadiumでは、「電書協の要望すべてには未対応」(戸上氏)という。だが、その一方で「一般的に世の中に出回っている日本語縦書きの書籍と同等以上の表現力はある」(戸上氏)と胸を張る。加えて「現在の仕様をベースに教科書向けの表現など、高度な部分も考慮しつつ電書協の要望に応えるようにしたい」(戸上氏)と意気込んでいる。

 日本語におけるEPUBの表現力と自由度が高まれば、それだけコンテンツ制作者側としては、やらなければならないことが多くなるのではないか。今後、ビューワにおける日本語の環境が充実し、それに呼応するように表現に対する読者側のニーズが高まるようなことになると、制作者側への負担は高くなる一方ではないのか。

 紙の書籍と同等のきめの細かい組版仕様とそれを表現する能力を持つビューワがあっても、「コンテンツの制作にコストと時間がかかってビジネスとして成立するのか」(高橋氏)という新たな疑問も持ち上がる。「.Book、XMDF、青空文庫のXHTMLのようなすでに普及している規格の場合、組版の自由度は低いが見え方の予測ができるので、作りやすい」(高橋氏)という側面もあるのだ。

 ただ、すべてがビジネスベースで回る一般書の世界ではそうだが、学習教材関連のビジネスでは、きめ細かな組版への要望は高いという。「これまで学習教材配信は、画像ベースでしか行えず、マルチディスプレイ向けの配信に向けた制作コストが膨大になっていた」(関係者)そうだ。EPUBの日本語組版が「漢文のレ点(左側ルビ)」「けい線や傍点やルビが4重に重なる」「ルートやインテグラルなど数式の表現」「化学式の表現」などに対応することへの期待は大きい。

 EPUBビューワの日本語表示が充実するとどうなるか

 以下は、先の要望表やReadiumの日本語対応の話を聞いて筆者自身が思考実験的に思いをめぐらせたことだ。使用頻度が低い組版表現に、技術者の時間とリソースを割いて実装を進めるのは、社会的な損失にも思えてしまうのだ。

 電書協のすべての要望をEPUBやビューワに組み込むと、どれだけの時間とコストがかかるのかは、雲をつかむような話で想像もつかない。仮に、電子書籍に携わるあらゆる技術者の叡智を結集し、きめの細かい組版の要望に対応したとしても、実装が終わったころには、市場における消費動向の実権がデジタルネイティブに移行し、彼らにとって、過去の遺物のような紙の表現は、見向きもされない時代に突入している可能性もある。電子書籍に紙と同等の表現を望む人々は、テクノロジの進化と市場からの要求が今後どのように変化するのかを予測しながら、行動しているのだろうか。


 かつてスティーブ・ジョブズの片腕だった日本通信の福田尚久氏が、筆者にいったことがある。「Appleに限らずシリコンバレーの企業は、3年後、5年後、10年後にテクノロジがどうなっているかを予測し、製品やサービスのロードマップを描く」と。ムーアの法則に支配される形で、テクノロジとそれによりもたらされる環境が、秒速で進化するITの世界では、けだし正論でありそれを無視した形でビジネスは成り立たないのは、商用インターネットが開始されてからの20年を振り返れば明白だ。

 美しく巧みな日本語の組版に接すると、豊かな文字文化を誇るこの国に生まれたことを幸せに思うことがある。また、紙の書籍を出している1執筆者として、それを育んできた人々には敬意を表する。だが、電子出版ビジネスを取り巻く状況に思いをはせると、再販制度あるいは、取次による委託販売製度という従来型の護送船団型エコシステムの中で育まれてきた、きめ細やかな成果物を生み出すワークフローがそのまま通用するようには思えない。

 電子出版ビジネスは、ダウンロード数と収入が直結する、残酷なまでのレベニューシェアモデルで回っている。音楽制作業者としてiTunes Storeに楽曲を提供し、最近ではiPhoneアプリのプロデューサーとして、ダウンロード販売の冷酷な数字にさらされている筆者は、この北風のようなシステムに疲れさえ感じることもある。だが、好むと好まざるにかかわらず、それがネットのダウンロード販売ビジネスの現実だ。「文化」にこだわり制作コストの掛かるであろう日本語組版を取り入れた電子書籍がそのようなビジネス環境の中で生き残っていけるのだろうか。

 携帯電話キャリアの庇護下に逃げ込んだ音楽業界の轍を踏むな

 さらに思考実験を続けてみよう。電子出版時代に突入した出版業界が音楽業界の轍を踏まなければよいが、という危惧も感じる。冒頭で述べた「いつか来た道」という思いが再び交錯する。

 インターネットに直面した日本の音楽業界は、価格競争にさらされるオープンなパソコン向けのダウンロードビジネスはそこそこに、携帯電話キャリアが、すべてのレイヤをコントロールする垂直統合の塀の中に逃げ込むことで、一時的ではあるが、レガシーなエコシステムを維持することができた。

 iTunes Music Store(当時)のローンチ時、スティーブ・ジョブズは、米国の音楽業界の常識を根底からひっくり返し、音楽ビジネスにドラスティックな変革の嵐を起こした。しかし、日本の携帯電話キャリアは、業界の秩序を乱すようなことはしない。携帯電話キャリアは、音楽業界が要求するままに、パッケージ製品とほぼ同等の収益分配システムの上に構築された「お高い」販売価格を受け入れた。筆者がプロデュースした音源においても、iTunes Storeでは、150円で売られているのとまったく同じ音源が、キャリアの着うたフルマーケットでは、2倍の300円で売られている。悲しいかなケータイのユーザーは、まったく同じ商品を倍の価格で買わされているのだ。これは、音楽業界の要望を受け入れたキャリアが、300円という形の最低価格を決めて価格統制を行っているからで、筆者のような弱小音楽レーベル側では口を出せない領域だ。

 パソコン向けの音楽配信において「黒船」iTunes Storeが攻め込んできたことで競争にさらされ、パッケージ型の収益分配システムを維持できなくなった音楽業界にとって、携帯電話キャリアが守ってくれる着うたフルは、格好の逃げ場となったのだ。ただ、携帯電話キャリアがクローズドな垂直統合を維持し、力を持っているうちはよかった。着うたフルは、パソコン向けのダウンロード販売の10倍近い市場規模にまで膨れ上がった時期もある。だが、そんな逃げ場も、インターネット的オープン思想のスマートフォンの急増で、足元から崩壊が始まっている。レコード協会の統計によると、着うた系コンテンツの売上は、前年同月比56%にまで落ち込んでいる(2012年1月〜3月累計)。実際、メジャー系レコード会社が出資する着うた販売サイト「レコチョク」においても「売上は半減に近いレベル」(元レコチョク関係者)になってしまったという。残念ながら、その落ち込みをスマートフォン向けのダウンロードサービスでカバーするには至っていないようだ。まさに、テクノロジの進化を見越すことなく現状のビジネスモデルを維持することだけに、腐心した揚げ句の惨状だろう。

 電書協のEPUBに対する要望もそうだが、「文化」を声高に叫んだり、著作隣接権を主張するなど、出版業界の電子書籍に対する接し方を見ていると、テクノロジとそれによりもたらされるビジネス環境が今後どのように変化するのかを見極めた上で、電子出版ビジネスのロードマップを敷いているような印象は受けない。レガシーな仕組みを少しでも長く生き存えることで既得権を死守し、ソフトランディングを模索する様子ばかりがうかがえるのだ。これで本当に大丈夫なのだろうか。

 ただ、このような筆者の懸念に対し業界側からの反論もある。「電書協では、電子書籍の将来を真剣に考えている若手キーマンを中心に、組版ニーズとビューワの状況を把握した上で、トータル的な視点で判断」(関係者)した結果ということだ。

 とはいえ、今回、電書協が「要望」として、項目に優先順位を付けて公表したのは、「われわれの希望はこうだけど、後はそちらで考えてね」というメッセージにも受け取れる。ビューワなどに仕様を実装したり、コンテンツを作る側は、組版ルールの項目の要不要を判断し「どこまで作り込むか」をビジネスベースで厳しく精査し、結局落ち着くところに落ち着く、ということになるのだろうか。

 EPUBの本格普及後、日本語の表現形態はどうあるべきか

 思考実験をやめて話を元に戻そう。電子書籍コンテンツの供給側にとっては、XMDFや.Bookのように、利用する際に“しばり”が発生しないオープンなEPUBに期待する声は大きい。だが、DRM独自実装の手間やコストの関係もあり、日本では普及が遅れていた。だからこそ、期待値を込めてリファレンス環境としてのReadiumにも注目が集まるのだろう。

 幸いにして、人気小説「ハリー・ポッター」シリーズの日本語版電子書籍が作者のJ.K.ローリング氏が運営するサイト「pottermore」からEPUB形式で発売されることが公表された。日本でも大ベストセラーになった小説がEPUBで登場するのだから、これを契機にEPUBの普及に弾みが付くことが期待されている。他にも、EPUBに対応した安価なビューワ端末と共に楽天koboがスタートし、KindleやGoogleの参入も予定されている。

 電子出版の関係者にとっては「今年こそ」という思いも強いようだ。であればこそ、出版業界として、再販制度も取次もないオープンインターネットのエコシステムの中でのビジネスの在り方を考え、紙の文化にとらわれることなく、日本語の組版などの表現形態がどうあるべきかを将来を見据えた上で模索してほしいものだ。

  山崎潤一郎 

音楽制作業に従事しインディレーベルを主宰する傍ら、IT系のライター稼業もこなす。電子書籍も作っている。iPhoneアプリでメロトロンを再現した「Manetron」、ハモンドオルガンを再現した「Pocket Organ C3B3」の開発者でもある。音楽趣味はプログレ。近著に、『心を癒すクラシックの名曲』(ソフトバンク新書)、『iPhone/Androidアプリで週末起業』(中経出版)がある。 TwitterID: yamasaki9999

 



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