XPからアジャイルへの遍歴長瀬嘉秀のソフトウェア開発最新事情 (6)

 ソフトウェアの開発手法を巡る動きが活発化している。ウォーターフォール型開発手法の神話はすでに崩れ去ったのか? 反復型開発手法の雄「RUP」は果たして定着するのか? アジャイル開発プロセスの思想が一時的なブームに終わってしまう可能性はないか? 開発手法の潮流を観察し続ける長瀬氏の連載コラム。(編集局)

» 2003年09月06日 12時00分 公開
[長瀬嘉秀,テクノロジックアート]

 今回は、XPとの出会いについて話そう。

 1999年に『パターンハッチング』(ピアソン・エデュケーション)の翻訳を終えて、日本語の書籍をAddison-Wesley社の副社長に渡したことが最初のきっかけだった。そのとき、「ケント・ベック(Kent Beck)の『Extreme Programming Explained』(通称「XP白本」)を訳してみないか。これは今年イチ押しの本だ」といわれたのである。ちょうど、米国のデンバーで行われていた「OOPSLA1999」で「XP白本(XP Explainedのこと)」は販売されており、まさに飛ぶように売れていたのだった。当時はあちこちで、XPの帽子やTシャツが目に付いた。いま思い返せば、この年は、XPブームへの前奏曲となっていたのだった。

 翌年、『Extreme Programming Explained』の翻訳原稿が出来上がった。その年の10月に、米国のミネアポリスで開催していた「OOPSLA2000」でマーティン・ファウラー(Martin Fowler)にベックを紹介してもらったのである。その場では、ベック、ファウラー、GoFで有名なジョン・ブリシデス(John Vlissides)という濃いメンバーでXPについて話が盛り上がった。「XP白本」が発売されてから1年たつと、さまざまなカンファレンスでXPが大きな話題となっていた。まさに、XPブームの到来である。

 ちょうどこの頃、『XPエクストリーム・プログラミングアドベンチャー』(ピアソン・エデュケーション)の著者ウィリアム・C・ウェイク(William C. Wake)からXPのチュートリアルを受けた。例題は、製造工程のベルトコンベアを制御するシステムである。ペアでストーリーカードを検討するトレーニングがあったのだが、講義が英語ということもあり、パートナーには大変な迷惑をかけた覚えがある。とはいえ、トレーニングの最後には(コードの)リファクタリングを行う時間が設けられており、ストーリーカードをめぐるやりとりでの借りはそこできっちりと返したのだが。

 2001年は、いよいよ日本におけるXP立ち上げの年となる。「XP白本」が日本で爆発的に売れたこともあり、(日本に)ベックを呼べないか、という話が私の周りで持ち上がった。これがきっかけとなり、イベントの企画委員を組織、セミナーの準備を開始したのである。並行して、日本国内でXPの普及活動を展開する「XPユーザグループ」を結成した。XPユーザグループの設立式は「UML Forum/Tokyo2001」の場を借りて行った。当時来日していたファウラーにも同席してもらった。設立式は立ち見だった。なんと600人強がその場に集まったのである。XPユーザグループの設立は成功した。

ALT 筆者(左)とマーティン・ファウラー氏(右)

 2001年4月にはベックを基調講演に招いたXP関連セミナーを開催した。メインタイトルは「エクストリーム・プログラミングによる究極のセミナー」。場所は東京ファッションタウンである。このセミナーに合わせて出版したベックとファウラーの共著『XPエクストリーム・プログラミング実行計画』(ピアソン・エデュケーション)はベックのサインとともに人気を博した。セミナー終了後は、XPユーザグループが「ベックを囲む会」行い、日本のXPユーザーと米国のXP伝道者との交流は大いに盛り上がったのだった。

ALT 「エクストリーム・プログラミングによる究極のセミナー」の模様。中央がケント・ベック氏

 この頃になると、ピアソン・エデュケーションのXPシリーズは『XPエクストリーム・プログラミング入門』『XPエクストリーム・プログラミング実行計画』に続き、次々と翻訳書が刊行された。まさに、XPの人気は不動のものになった感があった。

 しかし、2002年、私の周りの関心はXPからアジャイルへと移り始めた。アジャイルソフトウェア開発をものすごく簡単に説明すると、まさにソフトウェアをアジャイル(迅速)に開発するプロセスであるといえる。ソフトウェア業界におけるアジャイルの動きは、2001年2月、米国・ユタ州に集まった17人の開発プロセス提唱者が「アジャイルアライアンス」宣言を行ったことから始まったといわれている。このときの参加者には、XP代表として、ベック、ロン・ジェフリーズ(Ron Jeffries)、ワード・カニンガムが顔を見せていた。そのほか、スクラム提唱者マイク・ビードル(Mike Beedle)とケン・シュウェイバー(Ken Schwaber)、クリスタルの提唱者はアリスター・コーバーン(Alistair Cockburn)、ASD提唱者ジム・ハイスミス(Jim Highsmith)、Executable UMLの提唱者スティーブ・メラー(Stephen Mellor)、『達人プログラマー』(ピアソンエデュケーション)の著者デイヴ・トーマス(David Thomas)、そしてまとめ役としてファウラーがいた。

 参加者は、アジャイル開発宣言で以下に同意した。ここがアジャイル開発プロセスの発祥となったのだ。

プロセスやツールよりも、個人と相互作用

包括的なドキュメントよりも、動作するソフトウェア

契約交渉よりも、ユーザーとの協調

計画に従うよりも、変化に対応

 私自身アジャイルについては、米国のタンパで開催された「OOPSLA2001」で初めて耳にした。ハイスミスは、ASD(アダプティブソフトウェア開発)について私に説明し、イタリアのサルディニア島で行われた「XP2002」では、シュウェイバーがスクラムを紹介してくれた。いずれもアジャイルという枠内で考えられる新しい開発プロセスの考え方だった。

 その後、私も日本で啓もう活動を開始した。2001年にはベックが指揮するXPセミナーを展開し、2002年にコーバーンを招いて、「エクストリーム・プログラミング&アジャイルプロセス開発セミナー」を開催した。コーバーンは、『アジャイルソフトウェア開発』『アジャイルプロジェクト管理』(共にピアソン・エデュケーション)の著者であり、アジャイル開発プロセスの中心メンバーである。

ALT (左から)ケント・ベック氏、筆者、アリスター・コーバーン氏

 2人はその後、大阪でもアジャイルの講演を行っている。

 そして、いよいよ今年2003年である。有志を募り、「アジャイルプロセス協議会」を設立、日本でも本格的な活動を開始した。アジャイル開発方法論については今後、XPだけでなく、ASD、スクラム、xUML(Executable UML)に関する翻訳書が続々刊行される予定である。米国ではすでに、「DSDM」「Lean Software Development」に関する書籍が出版されている。コーバーンのクリスタルを解説した書籍も刊行が近い。トム・デマルコ(Tom_DeMarco)、ジェラルド・M・ワインバーグ(Gerald M. Weinberg)、エドワード・ヨードン(Edward Yourdon)といったソフトウェア管理の大御所がアジャイルをフォローし始めている。今後もアジャイルから目が離せない。



プロフィール

長瀬嘉秀(ながせ よしひで)

1986年東京理科大学理学部応用数学科卒業後、朝日新聞社を経て、1989年株式会社テクノロジックアートを設立。OSF(Open Software Foundation)のテクニカルコンサルタントとしてDCE関連のオープンシステムの推進を行う。OSF日本ベンダ協議会DCE技術検討委員会の主査。現在、株式会社テクノロジックアート代表取締役。著書に「分散コンピューティング環境 DCE」(共著、共立出版)、「ソフトウェアパターン再考」(共著、日科技連出版社)、「コンポーネントモデリングガイド」(共著、ピアソン・エデュケーション)など多数。また「独習UML」(監訳、翔泳社)、「XP エクストリーム・プログラミング入門」(監訳、ピアソン・エデュケーション)、「UMLコンポーネント設計」(監訳、ピアソン・エデュケーション)、「入門Cocoa」(監訳、オライリー・ジャパン)、「Webサービス エッセンシャルズ」(監訳、オライリー・ジャパン)など海外の最新テクノロジに関する書籍の翻訳作業も精力的に行う。


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