探偵の7つ道具に手帳は欠かせない―捜査技術の第10条「探偵の7つ道具に手帳は欠かせない」ビジネス刑事の捜査技術(15)(1/2 ページ)

テレビドラマの刑事はいつも警察手帳を携帯し、聞き込みの情報などをメモしているイメージがある。一方、実際の刑事は、手帳に日記を書くことを重視しているという。日記を書いたことによって、後から新しい発見があるからだ。刑事は何のために日記を書くのだろうか。

» 2007年04月26日 12時00分 公開
[杉浦司,杉浦システムコンサルティング,Inc]

日記も日誌も後から読まなければ意味がない

 ブログによるWebサイト上の日記がはやっている。通常の日記は公開しないことを考えると、ブログは日記というよりも日記型の情報発信ツールとして使われていると考えた方がよいかもしれない。

 特定の人間の間で共有してコメントし合うという交換日記のような使い方もあるだろうが、大抵のブログは不特定多数に対してオープンにしているので、この使い方は主流ではないだろう。

 日記の本質についてここで議論するつもりはさらさらないが、捜査の技術としての日記は、日記の読み手は他人ではなく、作成者(チームでもよい)自身であることが大きな意味を持ってくる。自分が自分の書いたことを見ることに意味が出てくるのは、後からそれを読み返す場合である。

予測は常に過去の傾向分析から

 本連載の第13回のところで、物事には因子(根本)と因果関係(縁)があることを説明した。

 未来に起きることを予言することは不可能だが、過去の傾向から先に起きることを予測することは可能である。日記はまさに過去の傾向から先に起きることを予測することに役立つツールなのだ。

 従って、他人の日記を不連続に読んでいても「予測する」という目的では、役に立つものではない。裏返せば、ブログを公開している人で他人から連続的に読まれている場合は、自分の行動を予測されてしまう危険があることを自覚した方がよいということだ。犯罪者が日記を書いていたとすれば、捜査員にとって重要資料となることは間違いない。

手帳に何を書くべきか?

 日記を記すものとして、システム手帳や電子手帳、あるいはPC、伝統的な日記型ノートを使っている人もいるかもしれない。刑事番組でおなじみの事件簿も日記の一種だが、事件簿は何も警察だけのものではない。

 弁護士や税理士、行政書士などの士業者も付けているし、事件簿と呼んでいない業務日誌でもタイトル欄には「件名」となっていることが多い。日記をなんと呼ぼうが大した問題ではない。店舗の店長日記も、営業担当者用のSFA(CRMと呼ぶ場合も含めて)システムも、工場の製造記録も、皆日記である。週報や月報であっても、事件に関する出来事を記録することが目的のものは皆、日記の仲間だ。

 大事なことは日記の呼び方ではなくて、そこに何を書くかである。

 グループウェアがWeb2.0系のコラボレーションツールに変わろうが、日記は日記であり、そこに何を書くかが一番大切なことであることに変わりはない。まず、日記に書くべきことは「5W1H」だ。

 「5W1H」を意識して文章を書く。それはまさに小学生のときからさんざん練習させられてきた作文力にほかならない。「5W1H」が欠落している、あるいは不明確な日記は読み手が推測して読まざるを得ない。小説ならば、作者があえて読者の想像力に任せようとする場合もあるだろうが、日記でこれをやってしまうとどうしようもない。

 業務報告を受ける側はもちろんだが、当の本人も後で読み直したときに、そのときは分かっていたことが思い出せなくなってしまうからだ。「未来の自分は他人である」という意識を持って、「5W1H」を明確に書いておくことが日記を書く者として押さえておくべき心得えである。営業日報をシステム化したSFAやCRMシステムも、「5W1H」を細分化したものにすぎないのである。

捜査員の手帳には人に関する手掛かりが書かれている

 捜査員は犯人を捜す過程で見つけた手掛かりを、犯人や関係者など人に結び付けている。

 つまり、「5W1H」の中の「Who」に着目していることになる。営業日誌では日時「When」を、顧客リストでは企業名「What」を主分類キーにすることが多いだろう。捜査員と同じように「Who」に着目した日記を考えてみてはどうだろうか。

 営業担当者や客先担当者を主分類キーにしたとしても、営業日報を日別に並べたり、顧客リストを顧客企業名別で集計したりすることは難しいことではない。世の中の出来事のほとんどは、人が原因となって起きていることである。製造や売買、労働といった社会的活動はもちろんのことだが、環境汚染のような地球規模のことすら、人がいるからこそ起きている。

 法人といっても、その行動傾向は経営陣や会社を引っ張るキーパーソンの考え方によって、決まってくる。その集合体として法人が人格を持ってくるわけだが、人格を持つまで習熟した企業はまれな存在であって、ほとんどの企業はワンマン社長や、やり手担当者の人格がそのまま法人特性を形成しているのではないだろうか。

 日記を書く目的を、過去の傾向から因子(根本)と因果関係(縁)を見つけて、先に起きることを予測することだとすれば、因子、因果に振り回されて生きている(筆者も含めて)人「Who」に着目することは、決して奇妙なことではないと思うのだがいかがだろうか。

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