「ディズニーシーでの壮行会」が実施された。壮行会では、谷田に一目ぼれしてしまった伊東が、松下のアドバイスもあって猛烈なアプローチを開始し、メルアドや電話番号の交換に成功する。谷田はなかなか連絡の取れない坂口のことが気になりつつも、伊東のアプローチも気になりだすのだった……。
「あー、疲れたー。……」
広いソファに身を投げ出して、天海はため息をついた。
スーツのジャケットがしわだらけになりそうだが、体を動かす気にならない。今日も1日、われながらよく頑張ったと思う。女がいったん外に出たら、敵は7人どころではないのだ。
今日は、サンドラフトサポートの営業社員に同行して、最近急激に店舗数を伸ばしている酒類量販店チェーンの社長に面会した。都内中心に店舗を展開していたが、今後は地方にも進出予定だという。やや強引な計画ではあるが、積極的に攻めの姿勢を見せる社長の話は、とても面白かった。
(でも、最後のせりふは余計よね)
天海は苦々しい思いをかみ締めた。社長は最後にこういったのだ。
社長 「無謀だと思われても、野心は捨てたくありません。男は、いくつになっても夢を追いかけていたいものなんです。このへんは女性には分かっていただけないでしょうなあ」
分かるわよ、といいたくなったが、黙っていた。よくあることだ、気にしてもしょうがない。別れた夫にもよくいわれた。元夫は、入社後、最初に配属された部署の先輩だった。彼に付いて仕事を覚えた。サンドラフトを日本一の会社にしよう、と熱っぽく語る彼に引かれて、入社3年目に結婚した。だが……。
(男なんて、無駄なプライドを持ってるから始末が悪いのよ)
仕事を覚えた天海が、メキメキと成果を上げ、頭角を現し出したころから、夫の態度が変わってきた。成績を上げれば上げるほど、「仕事もいいが、家事は手を抜くな」という小言が増え、仕事の話をすると機嫌が悪くなった。まだ若い天海は戸惑った。せっかく頑張って取ってきた100点のテストを、目の前で破かれているような気がして、寂しかった。一度ぐらいは、一緒に喜んでほしかったのに。
女性で後輩の天海に追い越されるのが耐えられなかったのだろう、といまなら分かる。
しかし、努力で追い越すことをあきらめ、「女のくせに」「どうせ女には分からない」というせりふで天海をおとしめだした夫が小さく見えたとき、結婚生活も終わりを告げた。
(あぁ、なんだかムカついてきた!)
思い出したら嫌な気分になったので、天海は頭を切り替えることにした。
そう、将来のことを考えよう。おかしないい方だが、結婚生活も一度経験したことだし、もう気が済んだ、という感じだ。仕事は面白いし、このまま波に乗って、もっともっと上を目指したい。高い目標を立て、戦略を練り、時には冷静に、時にはがむしゃらに頑張って、それをクリアする。
成功したときの達成感は、それまでの苦労がすべて吹き飛ぶほど高揚感のあるものだ。その喜びに、男も女もあるものか。ウチの会社で、自分ほど仕事に夢を持って頑張っている人間がいるなら連れてきてほしい、と思う。天海が締め付け過ぎているせいなのかもしれないが、部下たちは皆、「達成できそうな数字」を基に資料を作ってくる。そつのない資料は、どれもどんぐりの背比べ。無難な数字を見るのは飽き飽きした。「達成したい数字」「達成すべき数字」を持ってくる部下が欲しい、と思うのはぜいたくなのだろうか。
天海 「消費者行動を、もっと細かく分析できたらなー……」
アメリカのスーパーでは、データマイニングの結果、おむつとビールの売り場を隣同士にしたら売り上げが伸びたという有名な事例がある。
自社ビールの購入者について、データを的確に分析し、そういうアイデアが出せたら、面白い企画ができそうな気がする。部下たちもやる気が出るだろう。今度、情報システム部に掛け合ってみようか。いや、それだけでは足りない。あと必要なのは、イキのいい部下が1人。天海の理想を理解する同志、夢を共有できる右腕が欲しい。周りに影響を与えてくれるような人間が1人いたら、部内も活気づくだろう。
(坂口啓二、か……)
この間は、思いのほか楽しい時間を過ごすことができた。会社のこと、仕事のことを、気持ち良く話せる相手は、意外に少ないものだ。自分が、手ごたえのあるやりとりを楽しんでいたように、坂口も楽しい時間を過ごしたと思ってくれているだろう、と天海は確信している。お互いに、どこか似たところがあるのかもしれない。
(そうだ、近いうちに、坂口くんをもう1度飲みに誘ってみよう。彼なら、近い将来、私の理想の右腕になってくれるかもしれない……)
よし、と弾みをつけて、ソファから立ち上がる。今日はゆっくり風呂に漬かろう。冷蔵庫には、サンドラフトのビールも冷えている。どれだけ長風呂でも、「早く出て家事をやれ」などといわれることもない。自分の時間を自由に使えること、これをぜいたくと呼ばずに何と呼ぶのか。疲れを取って、明日の仕事に備えよう。
「うーーーん」
大きく1つ伸びをして、天海はゆっくりとバスルームに向かっていった。
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