従業員の給料をATMで自ら振り込む修羅場
2011/5/9
1999年、インフォレストとエス・アール・エスの共同出資という形で、さくらインターネット株式会社は産声を上げた。同社の社長に就任した田中氏は早速、東京・池袋にデータセンターを新設。IX(インターネットエクスチェンジ)と直結した自前の高速回線サービスを提供する、本格的な都市型データセンター事業者としての第一歩を踏み出した。
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同時に、これまでホスティングのみだったサービスメニューにハウジングも加え、積極的にビジネスを拡大していった。ユーザー数も売上高も順調に伸びていき、翌2000年には早くも株式上場を視野にとらえ始めていた。
「舞鶴高専時代にお世話になった教官の教え通り、ビジネスの規模感を大事にしていました。なので、さらにビジネスの規模を拡大して、会社を上場まで持っていきたいと思っていたんです」
そこで、田中氏が経営するインフォレストと笹田氏が経営するエス・アール・エスをさくらインターネットと合併させ、会社の規模をさらに拡大することを笹田氏に提案。2000年4月には合併を果たすこととなる。合併後の新生さくらインターネットでは、新たに笹田氏が社長となり、田中氏は副社長に就任。二人三脚で経営を進める体制となった。
これと同時に、ベンチャーキャピタルによる増資を受け、ビジネス拡大のための資金も新たに調達した。これを元手に、大阪と東京のデータセンターの設備をさらに大幅増強・拡大した。大阪のデータセンターだけでも80ラックを増強したと言うから、当時のさくらインターネットの規模からすれば、かなり思い切った投資だと言えよう。
折りしも2000年当時は、ITバブルが最高潮に達していたころ。新興ITベンチャー企業が大きくもてはやされ、IT業界全体が「いけいけ、ドンドン」で浮かれていた時代だ。田中氏も当時、そうした時代の流れにすっかり飲み込まれていたという。
「当時、僕はまだ22歳だったんですけど、『気鋭の若手ベンチャー経営者』なんて周囲から持ち上げられて、ちょっと付け上がってましたね! 大阪にもITベンチャー経営者のコミュニティのようなものがあって、皆で粋がって高いお店に飲みに行ったりしました」
怪しげな出資話もさまざま舞い込んできた。当時額面5万円だった株式を300万円で買い取る話、年間売り上げがまだ1億円にも満たなかったのに、会社全体を10億円で買い取る話、などなど……。
しかし、バブルは膨らんだ後、はじけるのが常だ。2002年にITバブルが弾けると、こうした浮かれた空気は一転、IT業界の景気は一気に冷え込むことになった。
「2002年に2億円を投資して東京・池袋にデータセンターを新設したのですが、ITバブルが弾けた途端、急にサービスが売れなくなってしまったんです」
これにより、2億円の投資を回収する目処が、まったく立たなくなってしまった。そして、さくらインターネットの経営は、一気に危機に瀕した。「修羅場というのは、まさにこういうことを言うんだな、と思いましたね」。田中氏は、当時を振り返って言う。
取引先に支払いを待ってくれるよう、必死に頭を下げて回った。社員の給料の支払いも、銀行の給与振込の期限までにお金を用意できず、仕方なく給料日に有り金をかき集めて、自らATMで社員一人一人の口座に振り込んだ。もちろん、ボーナスなど払えるわけがない。
「2000年には周りから散々ちやほやされていたのが、2年後にはもうこのありさまでしたからね。本当にあのときは大変でした……」
◇
この続きは、5月11日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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