編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回は、瀧田氏の富士ゼロックス情報システム時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。
1988年、日電東芝情報システムから富士ゼロックス情報システムに転職し、念願だったUNIXの開発に日々精を出していた瀧田氏。前回も紹介した通り、通常の開発業務に加え、C言語のトレーニング講師まで務めていたというから、当時のUNIXに対する同氏の熱の入れようがうかがえる。
さぞや、毎日朝から晩まで仕事漬けだったのだろうと思いきや、案外と「課外活動」にも熱心に取り組んでいた。本連載を通して読んでいただいている読者はご承知の通り、瀧田氏は筋金入りのスポーツウーマン。当時も休日にはバスケットボールやスキーなどのスポーツに勤しんでいたそうだが、それだけには飽き足らなかった。
「毎朝出勤前、7時から8時までの1時間、御茶ノ水にあるYWCAで水泳のインストラクターをやっていました。夕方、仕事を終えた後も、その足でYWCAに行って今度は夜の部のインストラクターです」
……。いやはや、何というタフさだろうか。体力的にはきつくなかったのだろうか?
「いや、全然平気でしたね!」
瀧田氏本人はあっけらかんとこう言うが、いやはや、人並み外れたタフネスぶりである。しかし、そもそも何がきっかけで水泳のインストラクターをやろうと思い立ったのだろうか?
「学生時代にYWCAで水泳のインストラクターのアルバイトをしていて、そのときに日本赤十字社の救助員の資格を取ったんです。そのころお世話になった恩師に、当時たまたま再会したのですが、そのときに『インストラクターが足りなくて困っているんだよね』という話をされていたんです。だったら、『じゃあ、やりましょうか?』と」
さらに言うと、学生時代の瀧田氏は日本赤十字社の資格に飽き足らず、国際ライフセーバーの資格取得までも志していたのだ。残念ながら、学生時代にその夢は叶わなかったが、社会人になった後も決して諦めることはなかった。
そして富士ゼロックス情報システムに勤務していたこの時期、1週間の休暇をとってライフセービングの過酷なトレーニングに参加し、遂に念願の資格取得を果たしている。この辺りの詳しい経緯については、本連載の第126回に記してあるが、よほどライフセーバーには強いこだわりがあったのだろう。
「実は、日電東芝情報システムを辞めるために使った口実も、『ライフセーバーになりたいから』だったんです! 当時はまだ、同業他社への転職ははばかれる時代でしたからね。でも、実際に資格も取ったんだから、決して嘘を言ったわけじゃないんですけどね!」
そんな調子で、公私ともども充実した日々を送っていた当時の瀧田氏だったが、富士ゼロックス情報システムに転職して3年目、早くも次の転機が訪れる。当時、日本UNIXユーザー会が主催する「UNIXフェア」というイベントが毎年開催されていたが、これにふらりと立ち寄った瀧田氏は、思わぬ人物と再会する。
「東芝が出展していたブースで、日電東芝情報システムに勤めていたときの上司とばったり出くわしたんです」
「久しぶりだな! 今何やってるんだ?」。そう尋ねる元上司に、UNIXのソフトウェア開発とC言語のインストラクターをやっていることを説明すると、即座に「お前、戻って来い!」。
「1991年当時は、日本でUNIXワークステーションが普及し始めた時期だったんですが、当時東芝ではハードウェアはやっていたものの、ソフトウェアに詳しい人材が不足していたのです。そこで、『戻って来い!』となったんですね」
「取りあえず、この日のこの時間に、東芝の本社に来い!」。そう言われて、何も分からぬまま言われた日時に東芝の本社ビルに行ってみると、そこで行われていたのはキャリア採用の面接。「希望職種は?」と聞かれても、「いやあ、ただ言われた通りに来ただけなので、よく分かりません! なんて言えないですからね……。今までのキャリアを冷や汗を流しながら説明しました!」
「面接で、最後に『何か質問は?』と聞かれて、『私に求められていることは? 私に何をやらせていただけるんですか?』と返したら、『そんなこと言うやつは、初めてだ!』と言われて! でもなぜか気に入られて、結果的には即採用だったらしいです」
こうして急転直下、瀧田氏はくしくもかつての勤め先の親会社である東芝で、新たな道を歩むことになった。
この続きは、12月2日(金)に掲載予定です。お楽しみに!
▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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