受験で気付いた自分の精神的もろさ挑戦者たちの履歴書(33)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏の高校時代までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年07月28日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 高校3年生になった青野氏は、大学に進学して念願のコンピュータの勉強に専念するべく、受験勉強を開始する。志望校としては、大阪大学の工学部情報システム工学科を選んだ。なぜここを志望先に選んだのだろうか?

 「コンピュータについて学べる大学としては、ほかにも京都大学がありましたが、当時のぼくの学力では厳しかった。ほかには東京大学の理I(理科I類)もありましたが、ここは初めの2年間は教養課程で、3年時に学科が決まるので、入学してもコンピュータ系の学科に確実に進めるかどうか分からない。となると、コンピュータ系の学科があって、自分の学力に見合った大学ということで、自ずと大阪大学になりました。あと、大の阪神ファンだったというのも動機の1つだったんですけどね!」

 こうして志望校も決定し、受験勉強を始めたものの、どうにも身が入らない。もともと勉強に対するモチベーションが高かったわけでもなく、仲間とつるんで遊んでばかりの高校生活を送ってきたせいか、なかなか本腰を入れて勉強する気になれない。青野氏自身も、「このままではいけない」と思い始める。

 「今でもはっきりと覚えているのですが、受験日のちょうど3カ月前、母親に『ぼく、今日から受験勉強します!』と宣言したんです。それから受験日までは、きちんと計画を立ててまじめに受験勉強に取り組みました」

 理系科目が大の得意だった代わりに、文系科目が大の苦手だった青野氏。

 「『30点上がる地理』というタイトルの参考書を買ったりもしました。でもよくよく考えてみたら、そのころ地理のテストは30点ぐらいしかとれてなかったんですよ。『30点に30点足しても、60点にしかならないじゃないか!』」

 ほかにも古文や漢文など、苦手な文系科目の克服を目的とした勉強プランを立てた。「この日からこの日の間にこの問題集を解けば、受験日までには2回こなせるから大丈夫だろう」「こっちの問題集はこの日からこの日の間に……」といった具合に、受験日から逆算した綿密な学習計画を立てた。そして、実際にそのスケジュールに沿って勉強をこなしていく。まるで、ソフトウェア開発のプロジェクト管理のようだ。

 こうして着々と受験準備を進めていった青野氏だが、いよいよあと1週間で2次試験の受験日という日になって、思わぬことが起こる。突然、食事がまったくのどを通らなくなってしまったのだ。

 「計画通りに勉強は進めていたのですが、『あれ、以前解いた問題なのに解けないぞ』『あれ、覚えたはずなのに忘れているぞ』といったことが重なって、突然『落ちるかもしれない』というプレッシャーに襲われたんです。胃がキューとなってしまって、まったく食事がとれなくなってしまいました。結局、点滴を打ちながら試験日を迎えることになりました」

 これはまったく意外だ。どちらかというと豪胆なイメージがある同氏に、こんな一面があったとは……。

 「自分でもびっくりしました。それまで、自分は強気で生意気な人間だとずっと自負してきましたから、この程度のプレッシャーは簡単にクリアできると思っていたんです。ですから、このとき生まれて初めて、自分自身の精神的な脆さを思い知ることになりました」

 自分の弱さに初めて直面することになったこの経験は、その後の同氏の人生に大きく影響を与えている。その後大学に入り、社会人となった後も、このときの経験を踏まえて「自分の精神面をいかに強くしていくか」ということが同氏にとって大きなテーマになっているという。

 「精神面は、本当に弱いんですよねえ……」

 しかし、こうしたピンチも何とか乗り越え、青野氏は無事大阪大学に合格。8歳から住み続けた愛媛の土地を離れ、大阪での大学生活をスタートさせることになる。


 この続きは、7月30日(金)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


「挑戦者たちの履歴書」バックナンバー

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ