
勝算はなくとも、若気の思い込みでカバー
2010/8/13
「Web技術を使って“軽く”“手軽な”情報共有アプリケーションを作れば、絶対世の中に受け入れられるに違いない!」
青野氏はこの思いを実現させるため、ついに独立して会社を興す決意を固める。1997年8月8日、サイボウズ株式会社(以下、サイボウズ)の誕生である。
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創設メンバーは青野氏のほか、松下電工株式会社(現パナソニック電工株式会社。以下、松下電工)の社内ベンチャー企業の立ち上げに共に加わった高須賀氏、そして青野氏の大学の先輩であり、後にサイボウズ・ラボ株式会社の社長を務めることになる畑氏の2人。総勢たった3人での船出である。初代社長は高須賀氏が務めることになり、畑氏が製品開発を、そして青野氏は副社長として販売やマーケティングに関する業務を一手に引き受けることとなった。
まずは、オフィスを確保しなくてはいけない。当初青野氏らは、松下電工のあった大阪にオフィスを構える予定だったという。しかし、いかんせん家賃が高い。そこで目を付けたのが、愛媛県松山市だ。青野氏の実家はもともと愛媛県今治市近郊にあったが、サイボウズ創業当時、松山市に引っ越して来ていた。さらに、高須賀氏の生まれ故郷も松山市。「これはちょうどいい!」。松山市内に2DKのマンションを借り、ここにサイボウズ初めてのオフィスを構えることとなった(ちなみに、愛媛県とは縁のない畑氏は、この2DKのオフィスに住み込むことに!)。
また、製品もインターネット経由のダウンロードで販売する計画だったため、地方にオフィスを構えてもハンディはないだろうという算段もあった。しかし、インターネットビジネスは今でこそ当たり前になったが、1997年当時はまだまだ一般的ではなかった時代だ。「インターネット経由で製品を販売する」というビジネスモデルに、当時どれほどの勝算があったのだろうか?
「もう、若気の至りといいますか、『だっておれ、インターネットでソフトウェアが買えたら便利だと思うもん!』という、思い込みの世界です。ただ一方では、そういうビジネスモデルを採らざるを得ないという事情もありました。立ち上げたばかりの会社が初めて作る製品ですから、誰も積極的に売ってはくれません。かといって、社員はたったの3人ですから、自分たちで営業して回ることもできない。となるともう、ぼくらに残された道は、インターネット経由で製品をダウンロードしてもらう方法しかなかったんです」
いわば、退路を断たれた状態で、やむなく採用したビジネスモデルだったわけである。さらに、製品の販売だけでなく、宣伝でもインターネットをフルに活用した。
「会社のサイトを作ったり、マスコミの方々を回って記事を書いていただいたりといった通常の広報活動のほかにも、ネット広告を大々的に打ちました。さまざまなネット媒体さんを、もうそれこそ端から端まで回りました」
こうして青野氏は、設立したばかりのサイボウズが初めてリリースする製品の広報活動に東奔西走する。ところで、肝心の製品そのものはどのように開発したのだろうか?
「製品は、サイボウズ設立前から、畑が空いた時間を使って1人で少しずつ開発していました。8月8日に会社を設立した後も開発を続けて、10月10日には製品をリリースできました。実質、畑が1人で3カ月ほどで完成させたことになります」
こうして出来上がったサイボウズ初の製品は「サイボウズ Office」と名付けられ、販売を開始した。Web技術を使った新しいコンセプトの製品を、インターネットを活用した新しいビジネスモデルで売る。製品もビジネスモデルも、日本では前例のないまったく新しい試みである。
果たして製品がユーザーに受け入れられるのか? インターネットビジネスで本当にものを売ることができるのか? 当時の青野氏らに、実際のところどれほどの勝算があったのか知る由はないが、恐らくはワクワクするほどの期待感と、心臓が押しつぶされそうになるぐらいの不安が、同居していたのではないだろうか?
しかし、青野氏らのこの新しい試みは、意外な展開を見せることになる。
◇
この続きは、8月18日(水)に掲載予定です。お楽しみに!
早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。
その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。
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