社長補佐を断った初めての男挑戦者たちの履歴書(63)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、宇陀氏がIBMの営業で好成績を上げて営業部長になったところまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年10月22日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 1996年、宇陀氏に一大転機が訪れる。

 それまで13年間、日本IBM大阪事業所で営業に携わってきた同氏はこの年、同社の社長補佐のポストに抜てきされたのである。社長補佐といえば、経営上極めて重要な職務であると同時に、将来は幹部への道が約束されたキャリアポジションである。想像するに、IBMの社員であれば誰もがあこがれるぐらいのポストではないだろうか。

 ところが、このオファーを受けた宇陀氏が見せた反応は意外なものだった。

 「当時、担当していたお客さんが大変な状況にありましたから、いまはとても現場を離れるわけにはいかないと思いました。それに、社長補佐が重要な仕事だということは重々承知していましたけど、僕自身は現場主義でね。キャリアアップの類には全然興味がなかったんですよ。ですから、丁重にお断りしました」

 何と、誰もがあこがれる社長補佐のオファーを、あっさりと断ったのだという。「社長補佐を断ったのはお前が初めてだ、とあきれられましたよ」と笑って話す宇陀氏だが、振り返ってみると同氏は異例の若さで課長に抜てきされたときも、部長に昇進するときも、当初はそのオファーを固辞している。

 出世やキャリアアップに汲々とするサラリーマンは星の数ほどいるし、むしろそれがサラリーマンとしての正しい在り方だとさえ思われている節もあるが、宇陀氏はむしろその真逆を行っている。これを「無欲の勝利」などという紋切り型で表現するのは恐らく的外れなのだろうが、出世やキャリアアップには目をくれず、真摯に現場と向き合って着実に成果を上げてきたことを正当に評価する文化が、当時の日本IBMという企業にはあったということだけは言えるだろう。

 しかし、1度は断った社長補佐のオファーも、2度目は業務命令として降りてきた。

 「当時の西日本担当常務に、『これはもう会社として決定したことなんだから、頑張ってやれ!』と言われて、『はあ、そうですか』という感じで……。でも、後になって、確かに僕にとっても非常にありがたい機会でしたよ、もちろん」

 こうして1996年、宇陀氏は長年住んだ関西の地を離れ、東京の日本IBM本社で当時の社長であった北城恪太郎氏の補佐役を務めることになる。就任早々、北城氏からは「取締役会でも経営会議でも何でも、勉強のためだから好きに同席していいんだよ」と言われ、事実、宇陀氏は当初こうした会議に積極的に同席していたという。

 「取締役会のように形式的で、誰も何も発言せずに『異議なし』だけみたいなのは、正直なところつまんないと思った。一方で、経営会議や事業部長会議なんかだと、いろいろ意見交換があって勉強になった。でも僕はついつい居眠りしたりして、『社長補佐なのに居眠りする奴があるか!』と、スタッフの人に怒られたりしましたね。ハッハッハ。でも、北城さんは怒らず、笑っていました。あの人は大物でしたからね」

 服装も、周りは皆ダークスーツをピシッと着こなしているのに対して、宇陀氏はオフィスに着くとまず上着を脱ぎ、ネクタイを外し、ワイシャツを腕まくり。仕事に疲れたときは、その格好のまま両足を思いっきり投げ出して、いすの上で伸びをしながら電話を……。そんなときに、突然北城氏が「宇陀君、ところでこの件は……」とオフィスに入ってくることがあったという。

 「そんなときはさすがに慌てて、『ちょっと、お待ちください。申し訳ありませんが、社長が補佐の部屋に来られるのではなく、補佐を社長の部屋に呼びつけてください』って言ったよ」

 もちろん、それまでどんな仕事に対しても全力で当たってきた宇陀氏のこと。社長補佐の任務も十分以上に果たしていたに違いないのだろうが、それにしてもあの天下の日本IBMの社長補佐としては、かなり型破りなタイプではなかったのだろうか?

 宇陀氏本人も、「まあ、標準的なタイプじゃなかったでしょうが、まともだったと思いますよ」と苦笑交じりに当時を振り返る。例えば、あるとき、平日に休んでゴルフに行った翌日、周辺の秘書の方々から、「お身体大丈夫ですか?」「えっ?」「昨日お休みになられたのでは?」「ああ、ゴルフですよ」「はあ?」と言われたので、社長室長に「まずかったですかねえ?」と聞いたところ、「まずくはないけれど、社長がいる平日に休暇を取ってゴルフに行った補佐は、君が初めてだよ」と言われたという。

 「社長が留守のときは秘書も休ませてあげました。その代わり、僕は留守番として出社していたので、社長がいらっしゃるときに堂々と休んでも、何が悪いと思った次第です」


 この続きは、10月25日(月)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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