謝りっぱなしのベニオフ氏挑戦者たちの履歴書(68)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、宇陀氏がソフトバンク・コマース社長を辞めるまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年11月10日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 2004年、ソフトバンクを辞した宇陀氏に、セールスフォース・ドットコムの日本法人の社長を務めないかというオファーが舞い込む。当初はあまり乗り気ではなかったという同氏だったが、たまたまその時期に同社の創業者でありCEOのマーク・ベニオフ氏が所用で来日しており、「1度会ってみないか」との打診を受ける。

 「まあ、将来どこかでお世話になるかもしれないし、1度会って話を聞いてみてもいいかな……」

 軽い気持ちでベニオフ氏とのミーティングを承諾した宇陀氏。指定されたウェスティンホテル東京に赴いたが、待ち合わせの14時になっても相手は現れない。

 「あと5分だけ待ってみよう」

 まだ現れない。

 「あともう5分だけ待ってみるか……」

 それでもまだ現れない。

 「もうやめた。帰ろう!」

 席を立ち、ホテルの従業員に伝言を頼んでから出口へと向かった。そのとき、真っすぐの通路の途中に、右に曲がる角があった。そのまま真っすぐ行ってもよかったのだが、何の気なしに右に曲がってみた。

 するとそこでばったり出会ったのが、ベニオフ氏の盟友であり、ベンチャーキャピタル企業「株式会社サンブリッジ」(以下、サンブリッジ)の創業者であるアレン・マイナー氏だ。ベニオフ氏とマイナー氏はかつて米オラクルで同期入社の仲であり、当時はサンブリッジがセールスフォース・ドットコムに出資していたビジネスパートナーの関係でもある。

 「宇陀さんですか?」

 マイナー氏にそう声を掛けられた宇陀氏だが、

 「もう待ち合わせ時間を10分も過ぎているじゃないですか。私はもう帰るところですよ!」

 こう憤慨する同氏。しかしマイナー氏に説得されて、しぶしぶベニオフ氏の待つスイートルームに案内された。そこで事情を聞いたベニオフ氏は「済まなかった」。一方の宇陀氏は内心、「まったく、人を待たせやがって」。ふてくされた宇陀氏を、ベニオフ氏がなだめるような調子で終始話が進んだという。

 ベニオフ氏といえば、今や世界のIT業界で最も注目を集める人物の1人である。

 米オラクルで上級副社長の座まで上り詰めながらその地位をあっさり捨て、1999年に自宅のマンションをオフィスに仕立て、セールスフォース・ドットコムを設立する。そして、それからわずか10年間で同社を年商15億ドル企業にまで成長させた、まさにカリスマ経営者である。筆者は同氏に対して、「“The End of Software”(ソフトウェアの終焉)という標語を掲げて、既存のソフトウェアベンダに対して挑発的な言葉を投げ掛ける、攻撃的な論客」というイメージを強く持っていた。その大きな躯体も相まって、とにかく迫力のある人物である。

 しかし同時に、社会貢献活動にも熱心に取り組み、セールスフォース・ドットコムの就業時間の1%、製品の1%、株式の1%を非営利団体やボランティア活動に提供するという「1/1/1モデル」を実践する熱心な社会運動家としての一面も持っている。実際今年には、子供とガンの病院建設に1億ドルを個人で寄付している。そんなベニオフ氏が、かしこまって遅刻をわびる姿を想像すると、大変失礼ながら少しおかしさがこみ上げてきてしまう。

 こんな調子で、宇陀氏にしてみればベニオフ氏との初対面では、いきなり入社したいというものではなかったようだ。しかし、一方のベニオフ氏はといえば、なぜか宇陀氏のことをすっかり気に入ったようで、その後もあの手この手で宇陀氏を誘い続けたという。ときには、ベニオフ氏が個人的に親しくしているほかの人物を通じて説得に当たったこともあった。

 「『私にはほかにやりたいことがありますから』や『お世話になった方に不義理はできませんから』と何度もお断りしたんだけど……」

 宇陀氏にしてみれば、最後にはマークの熱意と将来性に期待した格好だったのか。2004年3月、同氏は米セールスフォース・ドットコムの上級副社長に、同年4月には同社日本法人である株式会社セールスフォース・ドットコムの代表取締役社長に就任する。日本法人の社長だけでなく、米国本社の上級副社長にも同時に就任していることからも、ベニオフ氏が宇陀氏に掛けた期待の大きさがうかがえる。

 それにしても、ベニオフ氏との初めての顔合わせに赴いた際、もしホテルの廊下を何気なしに右に曲がらずに、そのまま真っすぐ出口へ向かっていたら、どうなっていたのだろうか?

 「もちろん、そのまま帰って2度と話は聞きませんでしたよ! 今ごろは、セールスフォースの社長をやってることもなかったでしょうね」


 この続きは、11月12日(金)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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