転職初日に、“東京地裁からの出頭命令”挑戦者たちの履歴書(91)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏がサンでサーバ製品販売を担当するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年02月28日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 1997年8月以降、サン・マイクロシステムズ(以下、サン)のマーケティング部門およびプロダクトセールス部門担当の常務執行役員として、主にサーバ製品の拡販に尽力してきた細井氏。そんな同氏に転機が訪れたのは、2004年7月のことだった。

 「それまでずっと、主にハードウェアを扱うビジネスを手掛けてきたんですが、いつかはソフトウェアをやってみたいとかねがね思っていました。ちょうどそのタイミングで、ヘッドハンターから声が掛かったんです」

 オファーの内容は、米国に本社を置く業務アプリケーションベンダ、SSAグローバル(現インフォア)の日本法人社長に就任しないか、というものだった。同社は、主に製造業向けのERPパッケージやSCMパッケージ製品を販売する大手ベンダである。買収によって製品ポートフォリオを増やしながら、急速にビジネス規模を拡大しつつあるところだった。

 ちょうど、ソフトウェアビジネスをやりたいと思っていた細井氏にとっては、またとないチャンスだ。このオファーを快諾した細井氏は、2004年7月いっぱいで約13年間在籍したサンを退社し、8月1日からSSAグローバル日本法人の社長に就任する。しかし、出社初日に細井氏を待ち構えていたのは、想像だにできない出来事だった。

 「8月2日に初めて出社したのですが、待っていたのは何と、東京地裁から出頭命令だったんです! 『訴えられましたから、出頭してください』と。これには、参りましたね」

 一体、なぜ訴えられたのか?

 これを説明するには、当時多くの外資系ソフトウェアベンダで採用されていた「コミッション」という、営業マンの報酬制度について、まずは理解する必要がある。コミッションとは、営業マン自らが売り上げた金額の何割かを、報酬として受け取れる制度だ。

 企業によっては、営業マンの報酬の割合は基本給が半分、コミッションが半分となっているところもある。コミッションの割合を大きくすることで、営業マンのモチベーションを上げようという狙いだ。しかも、高額で規模が大きく販売金額が数億円に達するような業務アプリケーションの場合、コミッションとして受け取る額が何千万円にも上る場合もある。

 こうした報酬制度の下では、ガバナンスが極めて重要になる。なぜなら、ガバナンスが効かない環境下でこのような制度を敷くと、契約時に「到底実現できもしない条件を空約束」をして強引に製品を売り付け、巨額のコミッションを受け取った途端に会社を辞めてしまうような輩が、どうしても出てくるのだ。ソフトウェア業界の一部では、残念ながらこうした悪習が存在する。細井氏の下に届いた訴状も、SSAグローバルにかつて在籍していた営業マンが行った、こうした取引に対するものだったのだ。

 「それまでのSSAグローバル日本法人の社長は、ずっと外国人が務めていたんですが、彼らはずっと日本にいるわけではないから、こうした事案も知らぬ存ぜぬで通して、しばらくしたら本国へ帰ってしまうんですね。でも僕は日本人だから、逃げるわけにはいかない。それに僕はサンにいたときに、若い人たちといろんなところで頭を下げて回った経験があるから、お客さんやパートナーの信頼を回復するためには、こうしたことも全て白日の下にさらして、きちんと処理しなくてはいけないと判断しました」

 細井氏が同社の社長に就任したとき、こうした事案はおよそ10件にも上っていたという。しかも、そのうち2件は法廷にまで持ち込まれた。しかし、同氏が社長を務めていた2年の間に、その全てを解決したという。

 「ソフトウェア業界特有のこうした悪習を変えるためにも、あるいは会社が先へ進んでいくためにも、きちんと処理するべきだと思ったんです。でも、こうして白日の下にさらしたおかげで、会社の上場は随分遅れました。なので、会社に出資していたファンドからは、随分恨まれたと思いますよ。『とんでもない奴を社長に据えてしまったな』とね!」

 しかし、こうした経験のおかげで、企業ガバナンスやSOX法についてはかなり詳しくなったという。

 「大学は法学部にいたんですが、当時はまったく勉強しなかった。まさか将来、こんな形で法律を勉強するはめになるとは、思ってもみませんでした! 学生時代にサボっていたツケが、こういう形で回ってきたということなんですかね!」

 結局、SSAグローバルの社長を務めていた2年の間、半分以上の時間がこうしたトラブルの解決のために費やされたという。

 「ある意味、ほろ苦い経験でしたけど、確実に肥やしになりましたね。この2年間の経験がなければ、今の僕はなかったと思います」


 この続きは、3月2日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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