何かが足りない日本のIT教育政策情マネ流マーフィーの法則(28)

IT人材の育成に向けた国家戦略として、高校で「情報」の科目を必修にするなど、さまざまな取り組みがなされているが、その内容については疑問が多い。今回は、IT教育政策にまつわる法則を取り上げる。

» 2010年07月14日 12時00分 公開
[木暮 仁,@IT]

 情報化社会の発展のためには、次世代を担う人材の育成が重要である。今回は高校と大学でのIT教育について考える。日本政府は1999年12月に打ち出した産業政策「ミレニアム・プロジェクト」以来、一貫してIT人材の育成を国家戦略として推進してきた。果たして、それで日本の国際競争力は向上するのだろうか。

情マネ流マーフィーの法則その159

知っている者に対して知らない者が教えるのは都合が悪いものだ


 高校では情報科目が必履修になっている。ところが、大多数の高校では、情報処理の原理よりも使い方を優先的に教えており、WordやExcelなどのOfficeツールやWebブラウザの操作程度でお茶を濁している。教員がこれしか教えられないからなのだが、「IT嫌いをなくしたい」「すぐ役立つ」と言えば、それなりの理由になる。

 実状はどうか。ほとんどの高校生はインターネットを日常的に使っているし、Officeツールは教員よりも詳しい。従って、授業中は内職しているか、ゲームで遊ぶことになる。机の上にパソコンがあることは教師の視線をさえぎるのに適した環境である。

 わずかではあるが授業に関心を持つ生徒もいる。しかし、彼らは“ITとはOfficeツールを使うことだ”と認識している。そのため、Officeツールをもっと使えるようになりたいという動機で、情報学部への進学を希望することになる。

情マネ流マーフィーの法則その160

ITを教えるのではない、ITを通して社会を教えるのだ


 WordとExcelを教える理由は、米国産のソフトウェアだからである。昔、学校に設置するパソコンのOSを国産のTRONにしようという意見もあったが、米国の合意が得られなかった。これは現在の「日米関係」と「国際標準」を重視する政策とも合致する。そのため、日常生活に密着し、世界で最も多機能・高性能である日本のケータイは、学校での利用を制限されている。

 さらに、米国製品の中でもマイクロソフト製品に固執したのは、ビル・ゲイツを尊敬し、手本とするためである。ITを仕事にすれば金持ちになれるというベンチャー志向や、マイクロソフト流の技術よりもビジネスを重視することの重要性を高校時代に体得させるのに役立つ。既存企業への就職希望を抑えることで就職難問題に手を打つことができるし、技術軽視の風潮を恒久化すれば、スーパーコンピュータ研究などに税金を使う必要もなくなる。

 このように、現在のIT教育体系は、国際関係、ビジネス、権力構造など社会で役立つ裏知識を実体験させるのに最適なのである。

情マネ流マーフィーの法則その161

経営学部卒が会社を成長させなくても非難されないが、情報学部卒がベンダ企業で役に立たないと非難される


 大学や大学院の情報教育が実業界(主に情報サービス業)のニーズに合致していないこと、つまり、情報学部の卒業生が情報サービス業で即戦力にならないことが指摘されている。そのミスマッチを解消するために、産学官連携が重視されている。

 大学卒が即戦力にならないのは、経済学部や経営学部の出身者も同じである。情報学部がことさらに指摘されるのは、企業が他学部の卒業者にはその専門分野での即戦力になるを期待していないのに対して、情報学部の出身者には情報サービス分野で即戦力になることを望んでいるからだ。

 即戦力を求めるのならば、情報学部の出身者に中途採用者と同等の初任給を与えるべきである。そうすれば、情報学部の志望者が増加し、優秀な人材が輩出できるようになる。情報学部卒業生の能力について、インドや中国と比較されることが多いが、それらの国では、ほかの職業と比較してIT技術者が花形職種であることを認識すべきである。

情マネ流マーフィーの法則その162

ないものねだりの要求は、期待とは逆の結果になる


 IT業界は、システム設計実習、プロジェクトマネジメント、コミュニケーションなどのスキルを要求している。まともなシステム設計やプロジェクトマネジメントを体験させるには、対象業務やその環境の理解に多くの時間が必要だし、長期にわたる実習や自主学習も必要になる。

 ところが、学生は社会人よりも合理的な行動をとる。1履修単位当たりの所要時間が大きい科目を学生は選択しない。その実習が医学部や薬学部とは異なり、資格取得に無関係であればなおさらだ。それを必須科目にしたら、合理的行動をとる高校生が情報学部に進学したいと思うだろうか。ますます情報学部の人気は下がり、他学部入試の落ちこぼれが集まり、レベルはさらに低下するだろう。

 コミュニケーションは情報学部に限定されるスキルではない。情報学部では教えるべき科目数が多く、ほかの学部と比較して一般教養に費やす時間が限定される。専門スキルが重視されればされるほど、情報学部出身者の相対的評価は低くなる。

 これらをカバーするには、大学院進学を前提とした一貫教育を行う必要がある。ところが、ちまたでは「35歳定年説」がいまだに残っており、IT技術者は寿命が短いといわれる。進学すれば労働期間はさらに短くなる。

 情報学部をマネジメント系やプログラミング系などに細分化する対策もある。しかし、それではますます卒業生の就職の幅が限定されてしまう。プログラミングなどのスキルは、大学よりも専門学校に求めることが適切だとされるかもしれない。

 有効な対策は1つしかない。情報学部出身者の初任給を上げることだ。隗より始めよ。

情マネ流マーフィーの法則その163

犬に木登りを教えても餌にありつけない(教える対象と内容が不適切ならば、育成結果も不適切になる)


 上述のアンマッチ論は、情報学部と情報サービス業の関係である。ところが、日本企業がIT分野で遅れている原因には、IT投資が低いだけでなく、ITの戦略的活用の割合が小さいことにある。すなわち、ユーザー企業での利用方法がヘタなのだ。

 これは情報学部と情報サービス業の関係が改善されても解決にはならない。経営者や利用部門がITへの認識を改める必要がある。その予備軍は、主に非情報学部(主に文系)の学生である。ところが、初等・中等教育や高度技術者について論議されているのに対して、文系学部の学生に対するIT教育について語られることは少ない。

 現行でも文系学部でのIT関連科目はかなり多い。ところが、Officeの操作、経営情報システムのような学説、プログラムやネットワークなどの初歩的な内容、といった大して役に立たない講義がほとんどである。それよりも、経営者や利用部門が理解すべき事項、例えば、IT投資の費用対効果、RFP(提案依頼書)の策定、IT部門と利用部門のコミュニケーションなど、実務的な事項を重視すべきである。これらはビジネススクールで教えられているが、通学率が低いことから、その初歩を大学の学部で教える必要がある。

 ところが、それを訴える意見はほとんど聞こえてこない。恐らく次のような理由からだと思われる。

  • これらの科目を開講してもPCやソフトウェアの需要は増大しないから、特定の業界がもうかるわけではない。
  • 実業界の意見を求めても経営者にその認識はなく、せいぜいPC操作を習得してほしい程度の要望になる。
  • このような内容は、実務経験者(しかもCIOクラス)でないと教えるのが困難であり大きな体系になるので、企業からのスポット講演や非常勤講師では間に合わない。
  • このような科目で学生が取得できる資格はなく(現状のIT関連資格試験もこの分野を対象にしていない)、就職に有利になることもない。利にさとい学生にとって魅力はない。

著者紹介

▼著者名 木暮 仁(こぐれ ひとし)

東京生まれ。東京工業大学卒業。コスモ石油、コスモコンピュータセンター、東京経営短期大学教授を経て、現在フリー。情報関連資格は技術士(情報工学)、中小企業診断士、ITコーディネータ、システム監査など。経営と情報の関係につき、経営側・提供側・利用側からタテマエとホンネの双方からの検討に興味を持ち、執筆、講演、大学非常勤講師などをしている。著書は「教科書 情報と社会」(日科技連出版社)、「もうかる情報化、会社をつぶす情報化」(リックテレコム)など多数。http://www.kogures.com/hitoshi/にて、大学での授業テキストや講演の内容などを公開している


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