持続可能社会とITシステムはどう在るべきか(前編)何かがおかしいIT化の進め方(45)(2/4 ページ)

» 2010年04月07日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

科学の問題から、科学の衣をまとった政治の問題へ

 長い地球の歴史の中では、地球の全表面を氷が覆うような氷河期が7億年前に存在し、3〜4億年前には多くの生物が絶滅の危機に瀕するような氷河期があり、最新の氷河期は4000万年前に始まり1万年前に終わったと言われる。

 また、各氷河期中においても、特に気温が低い「氷期」と、比較的暖かい「間氷期」が繰り返されてきた。氷期は人類に生存を懸けた民族大移動を促すような事態であったが、温暖な期間は、マンモスのように環境変化に適応できずに絶滅した氷河期の生物もいたものの、生物全体としては栄えた時期であった。

 いま、この地球上に生息している生物は、このような気候変動を耐えて生き延びてきた生物である。多少の気温変動では個体数は減っても絶滅するものではないだろう。しかし、平均気温が長期にわたって数度変化するとなれば、人類文明の維持という観点に立つと、一部に壊滅的な変化を与える可能性もある。

 このように考えると、科学的には分からないことがいまだに多々あっても、人類社会にとって取り返しのつかないことになる可能性が高い問題である。それゆえに、早急に対策を考えるべきだという動きがあっても不思議ではない。

 NASAの研究者、J.ハンセンらは「21世紀に予想される地球温暖化によって気温が2.5度上昇して、恐竜時代の温度に近付く。南極の氷が溶けて世界の多くの都市が水没し、内陸部は砂漠化する」と科学雑誌『Science』(米国科学振興協会)に投稿し、1988年の米国議会で「温暖化は人類が排出している温室効果ガスと関係がある」と証言した。そして1990年前後を境に、地球温暖化問題はそれまでの気象学を中心とする科学の問題から、科学の衣をまとった政治問題に急速に移り変わっていった。

 政治問題となれば、いろいろの利害関係者がさまざまな思惑を持って動き始める。科学者も人の子である。世間にアピールしやすい衝撃的な内容で注目を集め、名を売り、研究費の獲得に向かう。

 1992年に著書『地球の掟』(ダイヤモンド社/1992年)を発表し、2006年にはドキュメンタリー映画『不都合な真実』でセンセーショナル(注2)に地球温暖化問題とCO2削減をアピールして、この問題のイニシアティブを取ろうとした元米国副大統領、アル・ゴアも政治家だ。副大統領時代には放送局に圧力をかけて、テレビキャスターの懐疑的発言を封じようして問題になったとも言われている。背景に何らかの政治的意図がまったくなかったということはないだろう。一方で、後に石油・エネルギー業界をバックに大統領となった政敵、ジョージ・ブッシュJr.にとってCO2削減は“不都合な”話であったはずだ。


注2: 「あらゆる異変は地球温暖化による」といった感じで危機感をあおる画像イメージからは、1990年、イラクのクウェイト侵攻の際、実際は米国の石油会社が起した原油汚染で死んだアラスカの水鳥の写真を、「イラクの悪業によるペルシャ湾の惨状だ」といってメディアに流した米国の手口を思い出す。


 英国には、「地球温暖化を問題に掲げて、環境問題に関心の高いヨーロッパ諸国を巻き込み、CO2排出権取引という金融制度を進めることで自国やヨーロッパを有利に導く一方、中国などの新興国や日本には排出権を購入させて(注3)その経済にブレーキをかけよう」という意図があったとの話もある。地球温暖化問題の背景の一部にこんな考えがあったとしても、国際政治上不思議ではない。排出権取引市場は金融業界や英国のような金融立国にとっては魅力的な話のはずだ。


注3: 環境分野の技術開発が進んでいる日本には、ヨーロッパ諸国に比べてCO2排出削減の余力がないことを見透かされている。


 また、CO2排出削減については、日本企業同士でも、立場によって見方が変わってくる。例えば、電力、鉄鋼、化学業界は、これまでもエネルギー効率化を積み重ねてきたにもかかわらず、乾いたタオルをさらに絞るような努力を迫られることになる。それとは対照的に、これにより事業発展の可能性が大いに出てくる原子力発電、太陽光発電、リチウムイオンや燃料電池のメーカーなどは大歓迎であろう。この問題のお陰で、研究費を得た研究者や技術者、新しいテーマを得たメディア関係者も多い。一部の懐疑論者にとっても飯の種になっているから皮肉なことだ。

 さらには、世界中に不況の嵐が吹き荒れている現在、経済立て直しにグリーン・ニューディールを唱える米国政府や、新しい産業を模索する先進諸国の政府、あるいは仕事と予算を増やして権益の拡大を目指したい一部の官僚組織――例えば日本の環境省などにとっても、格好のチャンスと映っていることであろう。

 1つの研究は、それまでに積み上げられてきた多くの研究結果の上に、さらに積み上げられる。そうして1つの流れができてしまうと、材料の少ない異端の研究をする研究者は少なくなる。「問題はない」「自然現象ゆえ、どうしようもない」という研究にはお金は出ない、メディアも扱わない。いきおい地球温暖化CO2原因説の方向での研究や世論形成が進む。

 さて、数十年後、こうした流れの結果は以下の1〜5のどれになっているであろうか。

  1. 温暖化防止目的の政策が実行され実効を挙げた
  2. 温暖化防止目的の政策が実行されたが、施策が的外れか(温暖化メカニズムが違った)実行が中途半端であった。しかし、ある程度効果があり、致命的な事態は避けられた
  3. 温暖化防止目的の政策が実行されたが、実際には大きな温暖化は起こらなかった
  4. 温暖化防止対策は実質的には取られず、大きな温暖化も起こらなかった
  5. 温暖化防止目的の政策が実行されたが、致命的な事態へ向かった

 政治の意思決定者は国民1人1人でもある。不確実下の意思決定問題として、今後どうなるのか、どうすべきかを一度考えてみてほしい。

国際政治の場「COP15」と日本

 国連は政治の場だ。その下に設けられたIPCCは、地球温暖化に関する最新の知見(論文)の評価を行い、各国の政策担当者に提供するのが任務である。これをどう受け止め、政策にどう反映するかを考え、決めるのは政治の問題だ。

 2009年12月、デンマークのコペンハーゲンで開催された、温室効果ガス排出規制に関する合意形成に 向けた第15回目の国際会議「COP(Conference of Parties)15」は、地球温暖化対策をめぐって各国が国益を争う、まさに政治交渉の場であった。会議は混乱を極め、ほとんど成果のないまま終了した。

 先進国の中では、決裂を回避するための最終合意の調整に走り回った米国(普天間問題で不信感を強める中、日本には声を掛けることはしなかった)と、決裂を回避する首脳会議を開くために参加国をかき集めたフランスが多少は存在感を示した。しかし、この十数年、アフリカ諸国をはじめとする途上国へのなりふり構わぬ財政支援などで、資源獲得と盟友関係作りを進めてきた中国は、首脳が会議に欠席することでこの最終首脳会議を事実上ボイコットした。その一方で、自らを「途上国の頭目」と位置付けてあらためて力を誇示し、自国の主張を貫き通した。

 こんな経過の中で、日本はまたまた途上国支援にお金を出し、「支援総額を1兆7500億円にする」と発表して関心を引こうとしたが、諸外国からほとんど相手にされなかったようだ。日本は国際社会から何の前向きな反応も得られないまま、「CO2の25%削減」と「とりあえず1兆7500億円の財政支援をする」という一種の債務を負ってしまうことになった。

 国際政治の社会はハゲタカの群のようなものだ。お金でリーダーシップは買えない。餌を見せて群れに近付いたとき、ハゲタカたちが関心を示すのは餌に対してであって、餌を持ってきた人に対してではない。そこを勘違いして群れの中に入っていっても、餌だけ取られ、挙句の果てに小突き回されて追い出されるのがオチだ。餌は見せず、持っていそうだと思わせておくことが大切なのだ。

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