企業価値向上を支援する財務戦略メディア

連載:キーパーソンに聞く(2)

ASBJ 加藤委員「日本はIFRSの基準作りに直接参加を」

垣内郁栄
IFRS 国際会計基準フォーラム
2009/9/17

30年にわたってIFRSに関わってきた加藤厚氏。2009年4月からは企業会計基準委員会(ASBJ)常勤委員としてIFRSに取り組む。加藤氏にIFRSのこれまでと、これからのIFRSについて聞いた

1 2 3次のページ

PR

 国際派会計士として、30年にわたってIFRS(国際財務報告基準、国際会計基準)に関わってきた加藤厚氏。2009年4月からは企業会計基準委員会(ASBJ)委員(常勤)としてIFRSに取り組む。加藤氏にIFRSのこれまでと、これからのIFRSについて聞いた

――IFRSの任意適用を認める中間報告がでました(関連記事)。長くIFRSに関わってこられた加藤さんのご感想を聞かせてください。

加藤氏 ようやく来たという感じです。私もIFRSに携わって30年くらいになりますが、当初は国際会計基準に関与しているのは特殊な人、変わった会計士と冷たい目で見られていました(笑)。当時はまだ、国際会計基準を使用するなんてことは、不可能なこと、絵空事と思われていたのでしょうね。

企業会計基準委員会(ASBJ)委員(常勤)の加藤厚氏

 一番大きな転換は、証券監督者国際機構(IOSCO)によるコアスタンダード国際会計基準の批准でした。私は、それまでの10年近く、大蔵省、金融庁のテクニカルアドバイザーとして、IOSCOによるコアスタンダード批准作業に関与してきましたが、そのIOSCOが2000年にコアスタンダード国際会計基準を批准し、グローバル・スタンダードとしてのお墨付きを与えたのが大きかったですね。そして、そのような動きの中で、それまでの国際会計基準委員会(IASC)のように会計士だけの組織が作った会計基準では、普遍性の観点から実務では使われないと判断されました。また、あまりにも選択肢が多く、基準としての規範性もなかったからです。

 会計士だけでなくもっと幅広い分野の人達を入れて、また何でも容認するのではなく、会計基準としては選択肢を削除しないと使われないと判断されました。そのために、組織もIASCから現在の国際会計基準審議会(IASB)に転換されました。

 その時から、現在の国際財務報告基準(IFRS)作りが始まったのです。この辺から流れが大きく変わり、IFRSが実務で使われるようになってきました。そして、2005年にEUがIFRSを採用した(いわゆる“2005年問題”)のが大きなイベントで、加えて米国と日本がロードマップを示し、世界的にもIFRS採用に向けた流れが決まりました。私がいままでたどって来た道を振り返ると、感無量ですね。国際会計基準派にも、やっと日が当たるようになったという思いを強く感じます(失笑)。

――東京合意からコンバージェンス、そしてアドプションと日本の動きについてはどうでしょうか。

加藤氏 日本の動きも大きく変わりました。金融庁の中間報告が出るまでは、コンバージェンスによって日本の会計基準を国際化しようとしてきたのです。それが、かなり急にアドプションの提案という局面に入ってしまった訳です。このような方向性の切り替えは急でしたし、驚きでした。日本よりいち早くロードマップを公表して、IFRS受け入れの提案を行った米国の影響を受けたのでしょう。米国が変わって、日本も変わらざるを得なかったのではないでしょうか。

1 2 3次のページ

@IT Sepcial

IFRSフォーラム メールマガジン

RSSフィード

イベントカレンダーランキング

@IT イベントカレンダーへ

利用規約 | プライバシーポリシー | 広告案内 | サイトマップ | お問い合わせ
運営会社 | 採用情報 | IR情報

ITmediaITmedia NewsプロモバITmedia エンタープライズITmedia エグゼクティブTechTargetジャパン
LifeStylePC USERMobileShopping
@IT@IT MONOist@IT自分戦略研究所
Business Media 誠誠 Biz.ID