連載インタビュー 派遣エンジニア列伝

第1回 開発現場に復帰するには「派遣」がベストな選択肢だった

取材・執筆:チームフォレスト(株)
取材協力:日本リック(株)

2007/3/16

正社員ではなく、派遣社員として働くITエンジニアがいる。スキルを磨きたいから、収入を増やしたいから、プライベートな事情など、理由はさまざまだ。本連載では派遣社員という就労形態を選択し活躍しているITエンジニアを取材し、派遣社員で働くメリットとデメリットを探る。

やりがいのある仕事に楽しさを覚える毎日

 茶色のシャツに綿パンというカジュアルなスタイルで現れた村山祐太さん(仮名、32歳)。来月待望の第一子が誕生すると満面の笑みで語る村山さんの横顔は、失礼ながら学生かと思うほど若々しい。

 派遣エンジニアとして働き始めて1年半になるという村山さんは、この間ずっと大手製造会社の関連システム開発会社に派遣され、航空関連の制御系システムの開発に携わっている。開発チームは6人ほどで、彼以外は全員正社員。当初は他の派遣会社から派遣されたエンジニアもいたそうだが、数回の契約更新で最終的に残ったのは村山さんただ1人。彼の優秀さの証しともいえよう。正社員の中に派遣が1人といっても、すでに1年半共に働いている仲間ということもあって、コミュニケーションもうまくいっており、やりにくさはないという。

 航空関連のシステム開発は予算が莫大なだけでなく、小さなミスでも人命にかかわるだけに、要求される内容はとてもシビアだ。「1万回に1回程度のレスポンス遅れ、それもミリ秒単位で『これは誤差でしょう』というものでも許されないんです」と仕事の厳しさを語る村山さんだが、その表情は実に楽しそうだ。クリティカルでプレッシャーの高い仕事ではあっても、チームワークと何よりもこの仕事の「やりがい」が村山さんを支えているという。男なら一度は憧れる航空関連の仕事。「何しろ自分の作ったシステムが役立って空を飛ぶわけですからね。いまの仕事はとてもやりがいがあります」と村山さん。仕事の話を始めると止まらない。いきいきとしたその口調から、村山さんがいかに充実した日々を送っているかがうかがえる。

泥沼プロジェクトで健康を害し、会社を辞める

 大学では理学部で地学を専攻した村山さんだが、小学生のころからのパソコン好き。就職の際には迷わずシステム開発業界を希望したという。就職したのは100人規模の独立系ソフト開発会社。パッケージ製品も手掛けるが、主に業務系システムの受託開発(二次請け)がメインの会社で、官公庁の案件を担当することが多かったという。まじめな性格と温和な人柄で着実に仕事をこなし、順調にキャリアを重ねていた村山さんは、サブリーダーとしてマネージャの下で、6〜7人のチームを束ねるようになっていく。

 ITエンジニアとして脂が乗り始め、新しい技術の習得にも意欲的に取り組んでいたときに、転機が訪れる。アサインされたプロジェクトが、いわゆる「デスマーチ」案件だったのだ。すでに運用されているシステムのリプレイスとカスタマイズという内容の案件なのだが、元のシステムがバグだらけで、何社も途中で投げ出してしまった案件だった。さらに元のシステムは複数の会社が継ぎはぎのように追加開発したもので、ドキュメントもろくに残っていない。クライアントの要求自体もあいまいで、仕様がころころと変わる。「正直きつかった。それまでにかかわったITエンジニアたちもシステムを解析しようにも、よく分からなかったんでしょう、同じ目的のプログラムが複数存在しているというあり様でした」。忙しさも半端ではなかった。1週間毎日出勤し、2〜3日は会社に寝泊り。残業時間は月に150時間を超えていた。しかし村山さんが耐え切れなかったのは忙しさそのものよりも、プロジェクトのマネジメントだった。「進ちょく管理がなされていなかったことと、クライアントは『とにかく早く持って来い』というばかりで、毎日が納期といった状態でした」。

 そんな状態では、自身のスキルアップどころではない。目の前のタスクを何とかこなすだけの毎日。今月を乗り切れば何とかなると頑張っても、仕様が変わって納期はまた1カ月延びる。ゴールテープが先へ先へと移動していく、ITエンジニアにとって最も疲弊するシステム開発のパターンだ。精神的に追い詰められた村山さんはついには心療内科に通うようになったという。「会社に行って自分がこなさなくちゃいけないことは分かっているんですよ。システムのここを直したいから、これをこう書き直せば仕様は満たせるはずだと頭では分かっているけど、手が動かない」。医師から最初に「またITエンジニア(の患者)か」といわれたことにもショックを受けた。「もう限界でした」。戸惑う奥さまを説得し、村山さんは7年間勤めた会社を辞めた。29歳だった。

派遣だからこそITエンジニアに復帰できた

 もうパソコンを見るのも嫌だ、お日さまの下で働きたいと思った村山さんは、システム開発の現場からまったく離れ、お寺でのアルバイトを皮切りに1年半ほどフリーター生活を送る。朝、仕事場に行き、夜になると自宅に帰るという静かな生活。しかしそういう生活を続けて、精神的に安定してくると、またシステム開発をやってみたいという気持ちがわいてきたという。「学習してないというか、懲りてないというか(笑)。もともと『ものづくり』が好きなんですね。システム開発は目に見えるわけではないですが、自分としては製造業のつもりなんです」。

 もう一度「ものづくり」の現場に戻りたい。でも、正社員募集に応募して「一所懸命頑張ります」というだけの自信はない、前職でのつらい経験をまた繰り返すかもしれない……。そこで村山さんが選んだのが派遣エンジニアの道だった。これまでの自分や、ものづくりに対する思い、心療内科への通院歴なども包み隠さず人材派遣会社の担当者に話し、やってみたい仕事や希望条件を伝えたところ、現在の案件を紹介されたという。「前職ではオープン系システム開発のみだったのですが、制御系システム開発をしたいと希望しました。それがかなったのも派遣だからですよね。ブランクはあるわ、経験はないわ、残業も嫌だとわがまま三昧では、正社員採用は無理でしょう(笑)」。たとえ、正社員で採用されたとしても希望する分野の開発にかかわれるかどうかは分からない。正社員はどこに配属されるか分からないし、異動も転勤もある。が、派遣なら案件ベースでの契約だ。そこが派遣のメリットの1つだと村山さんはいう。また自分の事情を理解してくれて、自分の代わりに売り込んでくれる人材派遣会社の担当者も強い味方だ。正社員時代に比べて収入もそう落ちていないという。もちろん派遣にもデメリットはある。現在の案件では責任ある立場には就けないので、マネジメントのキャリアを積むことはできない。

まずはスキルと経験を積みながら、その先のキャリアを考える

 村山さんは、当面は制御系システム開発でキャリアを積んで先々のキャリアパスを練っていきたいと考えているそうだ。勉強する時間もたっぷりあるので、取得できる資格はできるだけ取得しておきたいという。

 村山さんは日々の仕事で自分を高めることを意識している。「派遣契約ですから、自分がずっとその案件にかかわれる確証はない。このシステム開発が自分の手を離れるという前提で、後任者にとって分かりやすいプログラムを作る。そのプログラムが自分にとっての納品物で、その品質レベルが次の仕事につながっていき、自分の商品価値を高めることになると思っています」。

 正社員になるか、派遣社員として現場のエンジニアを続けるか、マネジメント職に進むか。将来のキャリアパスについてはまだ決めていないという村山さんだが、派遣ならではのメリットを存分に享受しながらスキルと経験を磨くことで、キャリアはおのずと開けてくるに違いない。