第7回 「君は作りたい人でしょ?」  運命の出会いをキャリアにつなげる 

取材・執筆:チームフォレスト
取材協力:株式会社ジェーオービー

2008/01/28

正社員ではなく、派遣社員として働くITエンジニアがいる。スキルを磨きたいから、収入を増やしたいから、プライベートな事情など、理由はさまざまだ。本連載では派遣社員という就労形態を選択し活躍しているITエンジニアを取材し、派遣社員で働くメリットとデメリットを探る。

   今回、ご登場くださった村田さん(32歳)は昨年春、結婚のために福岡から東京に転居された女性エンジニアだ。福岡にいたころから派遣や個人事業主として働いていたとのことで、東京でもあまり間をあけずに仕事をしたいと転居の1カ月くらい前から情報をリサーチし、人材派遣会社や転職サイト、人材紹介会社などに登録したり、面接のアポイントを入れたりなど積極的にアクションを起していたそうだ。もっとも間をあけずといっも新生活の準備もある。実際に就業するのはある程度生活が落ち着いてから・・・・・・と考えていたそうだが、登録時から村田さんのスキルを評価していた会社も多く、上京して派遣会社やエージェントと面接してみると、待っていましたとばかりに仕事を紹介されるはめに。結局、上京した翌週には就業することになったとか。「こんなにすぐに仕事を始めるとは思ってもいなくて。1週間くらいたったところで『家電製品もそろってないんです』と訴えて1日休みをもらったんです」と笑う村田さんに、派遣元の株式会社ジェーオービーの梅崎部長は「優秀な人だったので他社さんにとられたくなかったんですよ」と恐縮しきりだ。

 

出会いがチャンスに

 現在就業中のプロジェクトは、鉄道関連のシステム開発だという。そこで村田さんは10名前後のスタッフの一員として、仕様書から開発、テストなど全般を担当している。使用している言語は主にCOBOLやPL/1。古い言語なので30歳前半という若さで高いスキルを持つ村田さんに、仕事が集まるのもうなずける。

写真  愛媛出身の村田さんは高校卒業後、福岡の大学に進学したという。遺伝子を専攻する傍らパソコンサークルに入り、PascalやC、BASICなどの言語に触れたという。「サークルのメンバーには情報工学専攻の学生もいたので、プログラムの基礎を理解できました。このサークルでの経験は後になって役に立っていますね」(村田さん)。

 とはいっても、当時はIT系に就職しようというような考えはなかった。IT系どころか就職をするつもりがなかったようだ。村田さんは当時を振り返って「そのまま就職することに疑問があった」という。遺伝子の研究は楽しかったし、専門をいかしたた研究職に就くことも考えないではなかったというが、「遺伝子はものすごく細かい世界なので、周りが見えなくなるんじゃないかという不安があって。これだけをこのままやっていていいんだろうか、もう少しいろんなことを知って、研究の世界に戻りたくなったらそのときに戻ればいいのではないかというような思いがあったんです」。さらに当時ブームの萌芽があった「起業」にも興味があったという村田さんは、あえて就職活動はせずにフリーターの道へ。愛媛のご両親は心配はしつつも仕送りを続けてくれたという。

 こうしてアルバイトをしながら国際交流などさまざまな活動を続けていた村田さんに、1つの出会いが訪れた。学生の身でありながら、学生向けに企業へのインターンシップを斡旋する会社を起業している人物と出会い、仕事を手伝うことになったのだ。

   学生にインターンシップを斡旋する、つまりは就職のお手伝いだ。就職も就職活動もしたことのない村田さんは、実際に自分でも体験してみようと、あるベンチャー企業にアルバイトとして入った。社員数10人位でICチップの開発をしている小さな会社だ。そこで総務・人事、経理などのバックオフィス全般を担当したという。もちろん初めてやることばかり。それでも実用書を読んだり、社長に教えてもらったりしながらこなしたという。その働きが認められたのだろう、半年後、今度はその会社に正社員として開発をやってみないかと誘われ、24歳にして初めての就職を果たすことになった。「開発職ではなく事務職でも就職したと思います。初めていろんな仕事を経験できて、とても楽しかったので。それにべンチャーですから会社のいろんなことを経験できますし、勉強したいという気持ちもありました」(村田さん)。

派遣先での「運命」の出会い

 その会社で村田さんは、ICチップのアナログ放送のデータをデジタル化する部分の回路設計などを担当。「ひたすら1、0の世界」(村田さん)だったそうだが、仕事はそれなりに楽しく充実感もあった。しかし小規模ベンチャー企業の常で残業も多い。ステップアップというわけではないが、ほかのこともやってみたいと思い始めた村田さんは、結局1年ほどでその会社を辞め派遣会社に一般事務として登録した。

写真  数社で3カ月位の短期の仕事を経験した後、あるメーカーの仕事を紹介され面談に出向いた折、村田さんは就業後の上司となる30歳過ぎのプロジェクトリーダーと意気投合したという。「同じタイプの人間だなって分かるものですよね。話していてそう感じたんです」(村田さん)。この上司、話の途中で急に「君は作りたい人でしょう」と言ってきたという。村田さんが「そうです」と答えると、何とこの上司は「じゃ、開発で」とひと言。そして、村田さんを開発チームのエンジニアの1人として迎えたというのだ。1年ほどICチップの開発をしていたとはいえ他に特別な技術も持っていないからと一般事務職も視野に入れていた村田さんにとって、願ってもみないチャンスだったに違いない。村田さんの素質を短い面談で見抜いたこの上司の眼力もすごい。まさに「運命の出会い」だ。

 その上司が担当していたプロジェクトは金融機関の督促プログラムだった。毎日参考書を読んだり、ほかのスタッフに教わったりしながら、プログラミングの勉強をし、やがてテストから入って実際の開発へ。村田さんが時給分の仕事をしているという実感がわくようになったのは、1年くらいたってからだったそうだ。

 その後1年近くたってから、予算の都合もあっていったん派遣契約を終了。あらためて個人事業主として再契約し、結婚で福岡を離れるまでこの上司の下での仕事は続いたそうだ。「COBOLもここで教わりましたし、プログラマとして育ててもらいました」と村田さんは語る。

 村田さんのこれまでの経歴はどちらかといえば受け身だ。しかし、与えられたチャンスを1つ1つ着実にこなした結果が現在につながっている。偶然ともいえる出会いからチャンスをつかめるのは、村田さん自身がエンジニアとしても、一社会人としても高いスキルの持ち主だったからだろう。

現在の就業先でも村田さんに対する評価は高く、派遣元の株式会社ジェーオービーは正社員のオファーを検討しているという。管理職にはあまり興味はないという村田さんは、ずっと現場でやっていきたいそうだ。結婚もしたし今後のことを考えると、ここで正社員になるのも選択肢の1つだと考え、現在その方向で調整を進めている。

「いろんなことをやってみたいですね。これまでずっとCOBOLをやってきたのでネットワークや別の言語のJavaなどのWeb系にも挑戦していきたいですし、正社員になることでこうしたスキルチェンジも図れればと思っています」(村田さん)。

「将来手掛けてみたい業界などはありますか」との問いに、しばらく考えて「人の役に立つことをしたい」と静かに答えてくれた村田さん。その人柄に、経験もスキルも自ら声高に叫ばなくとも、結果は必ずついてくるものだということを実感した。