若きベンチャーの挑戦

ケータイ同士が直接相互接続する日

2007/04/24

 ケータイの端末同士がサーバを介さずにピア・トゥ・ピア(P2P)で接続し、通信を行う――。PCの世界では当たり前の、そんな時代がいずれやってくる。それは、現在のケータイにおけるネットワークの使われ方とあまりにも異なるため、いささか想像しづらい世界だ。

 まずは、以下のデモンストレーション映像を見てほしい。これはP2Pで接続した2台の端末間でインスタントメッセージをやり取りしている動画だ。ボタンを押した瞬間、ほぼタイムラグなしに隣の端末に文字列が表示される。あまりにレスポンスがいいため、まるで赤外線か無線で直接通信しているかのような錯覚すら覚える。

Spearを使ったインスタントメッセンジャーの例。片方の端末で送信ボタンを押すと、ほぼ瞬時に他方の端末の画面にメッセージが表示される

ケータイ向けP2Pミドルウェア「Spear」

 これは、ベンチャー企業の“ヨシダカマガサコ”(株式会社吉田鎌ヶ迫)が開発したP2P通信ミドルウェア「Spear」(スピア)のデモンストレーション映像だ。Spearは、携帯端末向けに開発されたソフトウェアで、現在はauの携帯電話端末で採用されているアプリケーション実行環境“BREW”(ブリュー)に対応しており、TCP/IPのソケット通信を用いた端末同士のP2P接続のためのインフラを提供する。

 もう1つ、別のデモンストレーション映像を見てほしい。今度は1対1の接続を行うSpearを拡張し、複数台の端末を接続する「Spear Multi」(スピア・マルチ)の映像だ。

Spear Multiを使ったアプリケーションのデモンストレーション映像。1つ1つのドットをGPSに紐づけられたケータイと考えて、背後に地図を表示していると想像してみれば、P2P通信を使ったGPSアプリケーションの新しい世界の可能性が見えてくる

 やはり4台の端末が、あたかもLAN内の同一セグメントにいるかのようなリアルタイムの通信を行っている。タイムラグはほとんどない。現在でもわれわれはケータイを用いてメールや写真、動画を送り合ってはいるが、すべて非同期の「伝送」だ。もし、端末同士が直接タイムラグなしに通信できるとなれば、まったく違う使い方が出てくるだろう。

 例えば、互いに位置情報をリアルタイムで把握しながら画面の地図上を歩く時代が来るだろう。待ち合わせ場所で「どこにいるの?」と声でやり取りする必要がない。あるいは、パーティーの様子をストリーミングで多数の端末に向かって配信する時代も来るかもしれない。タッチパネルを備えた端末であれば、ホワイトボードを共有し、絵や図を描きながらコミュニケーションすることもできる。

 テキストメッセージはもちろんのこと、音声、画像、動画、GPSによる位置情報などをダイレクトに端末同士がやり取りできる世界は、実は技術的にはもう実現してしまっているのだ。

 これは通信キャリアにとって、きわめて大きな技術変化だ。固定電話の交換機ビジネスが瞬く間にIPの波にのまれてしまったように、携帯電話の音声トラフィックもIPだけで完結してしまう可能性がある。しかし一方、BREWアプリは誰でも自由にアプリケーションを書いて公開できるわけではなく、アプリケーションの登録はキャリアが行い、コードの安全性はキャリアが担保する形になっている。BREWアプリケーションの自由度は高く、端末内の住所録やメールのデータ、ハードウェアデバイスに自在にアクセスできるため、BREWアプリケーションの審査体制は厳しいものになっているのだ。

 VoIPも含め、P2P通信アプリケーションを新たなサービス提供のビジネスチャンスとして見るなら、そこにはきわめて大きなフロンティアが広がっているように思われる。サービス提供者は、サービスのための専用サーバを用意する必要がなく、参入コストが低くなる点も見逃せない。

 いや、もっともサーバコストを削減できるのは、通話サービスを提供している携帯電話のキャリア自身なのではないか。

携帯電話のP2P技術で最先端に立つ若きベンチャー

spear01.jpg 吉田鎌ヶ迫 代表取締役社長 吉田将人氏。1978年生まれ、福井出身。2001年に一橋大学社会学部卒業。金融関連の会社に2年勤めた後に現在の会社を起業

 上のデモンストレーションでお見せした携帯電話端末向けP2P通信ミドルウェア、「Spear」および「Spear Multi」を開発したのは、まだ20代後半の3人の若者たちだ。

 「auさんの定額制サービスのWINが始まった2003年暮れに、定額制が当たり前の時代が来るなと思いました。当時まだBREW端末は130万台程度でしたが、これも確実に増える。そうするとオンラインゲーム市場が3、4年後に立ち上がるだろうと考えたんです」(吉田鎌ヶ迫 代表取締役社長 吉田将人氏)

 今から振り返ってみると当然と思える読みだが、当時は、まだNTTドコモがauの定額制サービスに追従するかどうかで懐疑的な人のほうが多かったような時代だ。

 吉田の読みは当たった。3年も経過せずBREW端末の出荷台数は2000万台を超え、携帯で定額制を利用するのは当たり前になった。吉田はそうした世界でまず立ち上がるのはゲームだとにらんだ。IT業界の成功者たちの伝記から影響を受けた。

 「スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツは、今でこそ世界を席巻するソフトウェアやハードウェアの会社を作りましたが、最初はシリコンバレーなどの一角でホビィストを相手にしていましたよね。ホビィストはゲームとかプログラミング言語、お絵かきソフトで遊んでいた。黎明期はホビィストが集まるというアナロジーが、ケータイの世界でも成り立つのではないかと、そういう思いがありました」

 当時、吉田はケータイのゲームにフラストレーションを感じていた。トランプゲームの対戦大富豪で、カードを1枚出すたびに1秒から2秒も待たされた。後に吉田とともに起業することになる鎌ヶ迫は、それがトラフィックがサーバに集中するため、サーバのリソースを意識した作りになっているためだろうと推測した。

 「それならP2Pのゲームを作ろうと、まずは考えました。しかし、よく考えてみると、ゲームのアイデアを企画するというのは経験もありませんし、非常に難しい。鎌ヶ迫は大規模システムの開発経験もあり技術力は高い。技術力は確かだから、その強みに集中して、プラットフォームで勝負しようと決めた。ケータイの世界ではこれまで以上にミドルウェアの価値が高まってくるに違いないと考えました。2004年3月、創業の1カ月前のことでした」

実は思い込みだったP2Pへの確信で起業

 すぐに吉田は、それまで勤めていたファンド運用の投資系金融会社を辞職し、“1円起業”で会社を興す。

 「家族には退社のことは事後報告でしたね(笑) その頃は、ケータイの世界でP2Pを実現するというアイデアに取り憑かれていたましたから、私自身には迷いはありませんでした」

 確信に満ちた起業だったわけだが、P2Pはいけるという吉田や鎌ヶ迫の確信は、実は部分的には思い込みだった。起業前に自分たちで調べてみたところ、BREWはIPv4で自端末のグローバルIPアドレスを取得できる。それならばP2Pも可能なはずだ――。しかし、現実は違った。

 「本当は1円起業のベンチャーに過ぎないわけですが、法人登記をして、2人でKDDIさんヘお伺いを立てに行ったわけです。すると、内部に入らないと分からない情報というがありまして、当時、KDDIの端末ではグローバルIPアドレスは取得できたのですが、サーバソケットの実装をできないようにしていることが分かったんです」

 KDDIにP2P通信のアイデアを持ちかけたとき、吉田たちは、P2Pは向こう3、4年やらないと告げられた。

 「もしP2Pが実現できていなかったら、今頃われわれは、どうなってたか分かりません。できなかった可能性もあるんです」

 運が味方した。客観的に見れば、思い込みと情熱で走り出してしまった若者たちの早とちりとも言えるわけだが、結果的には吉田たちは絶好のタイミングでKDDIに話を持ちかけていた形だ。

 「運が良かったですね。先方の方針が突然変わったんです。2005年の夏モデルからP2P通信が可能になりました」

 KDDIの急な方針転換の背景には、その前年の秋、業界に流れたNTTドコモがBREW端末を出すのではないかという噂がある。結局ドコモはBREW端末に対して本腰を入れなかったが、ドコモ参戦に対する対抗策の1つとして、KDDIはP2P通信への扉を開いたのではないか。新しい可能性のある技術で、しかもKDDIとしては回収しなければならないコストもかからない。

 「その動きを察知して開発と営業を進めたんです。だけどP2P通信ができるんだと言っても、誰も信じてくれませんでしたね(笑)」

 夏モデルが出たときにもKDDIは特にP2P通信が可能になったことはアピールはしなかった。開発者向けサイトでもグローバルIPアドレスの取得やサーバソケットの利用という項目にはバツ印がついたままだった。冒頭にも書いたようにP2P通信は携帯電話キャリアにとってパンドラの箱となる可能性も否定できない。勢い、キャリアが慎重な姿勢を取るのも無理はない。

 「運が良かった」と屈託なく笑う吉田だが、扉が開いたのは、彼らが扉を叩いたからにほかならない。

P2P通信だけでなくP2Pネットワークも構成

 Spearの動作について、もう少し詳しく見てみよう。

 Spear MultiでもSpearでも、ほかの端末と通信を行う際には、まずサーバと自分の端末のIPアドレスや、ほかの端末のIPアドレスの情報をやり取りする。ワンパケットだけマッチングサーバとやり取りする形だ。いったんほかの端末とP2P接続が確立されると、以後はサーバを介さずに自律的に接続を維持することになる。Spear Multiでは独自のネットワークを自律的に構成・維持する機能も備わっており、P2Pネットワークとなる。

 「Spear Multiでは理論的には何台でも接続できますが、携帯電話端末には単位時間当たりの通信量や通信回数の制限がかかっていますので、現実的に接続できるのは10台前後です。単純に全端末を接続するとリソースを大量に消費してしまうのですが、そこは独自に考案した方法で解決しています。その技術については現在、特許を申請中です」(取締役副社長 林雄一郎氏)

 GnutellaやWinnyのようなファイル共有P2Pネットワークも実現可能だという。

 「Winnyのような作りにもできますが、結果は自明ですから、われわれはやりません。DRMのしっかりしたP2Pネットワークであれば、やってみたいとは思います。いずれにしてもWinnyは大量のファイルを多くの人とやり取りするためのものです。一方、弊社のSpearはサーバを介さずにリアルタイムの通信を行いたい、というニーズを満たすものです」(吉田氏)

増えるゲームメーカーでの採用例

 2006年1月にはタイトーがヨシダカマガサコのSpearを採用し、ケータイ用P2Pリアルタイム通信対戦ゲーム「パズルボブルONLINE!」の配信を開始した。画面中に小さく表示される相手の画面がリアルタイムで動くという、それまでの通信対戦ゲームでは考えられないようなレスポンスの良さを実現した。対戦用サーバなしで何万、何十万という単位でスケールするのもメリットだ。

spear02.png Spearを利用したタイトーの「対戦パズルボブル」 (C)TAITO CORP.1994、2007

 さらに2007年3月にはGモードがリアルタイム通信対戦ゲーム「マジカルドロップBATTLE」の提供を開始、同4月には再びタイトーがSpearを利用した「対戦パズルボブル」の提供を開始した。対戦パズルボブルではゲーム中に簡易音声チャットが可能であるなど、P2P通信アプリケーションの可能性を感じさせるものになっている。

 このほか現在、ヨシダカマガサコでは大手ゲームメーカーやソフトウェアメーカー数社と協業について話を進めているといい、今後もSpearの採用例は増えそうだ。Spearでは対戦ゲームに適した3種類のマッチング機能を提供するほか、ゲーム開発会社が独自に開発したマッチング機能を採用できるよう、マッチングサーバのプロトコルやソースコードを提供するなど、ミドルウェアとしての使い勝手を向上させている。

 ただし、同社はP2P通信に関連した特許を取得しているものの、サーバを介さずにP2P通信を行うこと自体は、カプコンの「LOST PLANET」など一部のゲームで採用されている。他社が類似ソフトウェアで追随する可能性もある。

 「純粋なミドルウェアとしてケータイ向けのP2P通信ソフトウェアを提供しているのは現在Spearだけです。今後競合も登場してくるかと思いますが、われわれには3年にわたってお客様の声を反映しつつ開発してきた蓄積があります。ケータイのP2P技術にフルコミットしてきましたので、技術開発におけるノウハウの蓄積、実績と安心をご提供することができます。使いやすいAPIや、高い技術サポート力、また、これまで培ったキャリアさんとの信頼関係も、今後出てくる競合に対する差別化要因と考えています」(吉田氏)

いずれはグローバル市場に進出

 学生時代にベンチャーキャピタルの立ち上げをインターンとして手伝っていたという吉田は「ケータイでP2P」というアイデアを持つ以前から、起業を目指していたという。

 「起業する前のブレストの段階ではビジネスのアイデアは50個とか60個ありました。いずれにしても、ソニーとか、ホンダのようなテクノロジーオリエンテッドな会社を作りたかったんです。例えば今有名なITベンチャー企業はeコマースやインターネットサービスを提供する会社が多いですよね。サービスを企画するのは難しいですし、そこで成功するのは大変なことですが、その一方、サービスは文化の制約を大きく受けやすいように思っています。技術であれば国境はありません。いずれユビキタス・コンピューティングの土壌が日本以外の国でも盛り上がってくれば、世界に向けて、弊社の技術を広めていきたいですね」(吉田氏)

 英語で“Spear”(スピア)といえば日本語で「槍」(やり)のことだ。吉田、鎌ヶ迫、林らが携帯電話業界に放った“槍”は、世界中で使われている十億単位の端末間を高速に飛び交うパケットの槍となる日が来るだろうか。

spear03.jpg 東京・水道橋にある株式会社吉田鎌ヶ迫の社員は社長の吉田を含めて現在5人。現在も新規パートナー獲得に向けて社長が関連各社を飛び回る

(@IT 西村賢)

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