Weekly Top 10

iPhoneは“ジェネラティブ”な技術となれるか

2008/06/30

 先週の@IT NewsInsightのアクセスランキングの第1位は「OCN、1日30GB以上送信の個人ユーザーを制限」だった。それほど新しい動きではないし、量的制限といっても、ふつうのユーザーにはほとんど影響はない。1日30GBのアップロードといえば、24時間ずっとデータを送信し続けるとして1秒間に364KBだ。ただ、ユーザーに制限や規制をかけるという話には、インターネットユーザーは誰も敏感になっているのかもしれない。

NewsInsight Weekly Top 10
(2008年6月23日〜6月29日)
1位 OCN、1日30GB以上送信の個人ユーザーを制限
2位 日本初の「ミューチップ」図書館、50冊を3秒で読み取り可能に
3位 「iPhoneはウェブじゃない」、モバイルFirefoxが目指すもの
4位 「ITパスポート試験は初級シスアドよりも簡単」とIPA
5位 標準工期より30%以上短いとデスマーチの危険、JUAS指摘
6位 「3点セットは必ずしもいりません」〜金融庁が内部統制Q&Aに追加回答
7位 SaaSの国内覇権はどこが握るのか
8位 「Excelのような業務アプリも、いずれHPC環境へ」、MS
9位 グーグル、「App Engine」でデザイナーと開発者の連携狙う
10位 “とりあえず”が通用しなくなる「工事進行基準」の世界

 先週、記者が気になったのは、モジラ・コーポレーションCEOのジョン・リリー氏の「iPhoneはウェブじゃない」という言葉だ(参考記事:「iPhoneはウェブじゃない」、モバイルFirefoxが目指すもの)。会見の席上でリリー氏は、アプリケーション配布ネットワークのApp Storeまで含めたプラットフォームとしてのiPhoneを「generativeではない」とも指摘した。

 “generative”(ジェネラティブ)という単語に戸惑った通訳者は、その意味をリリー氏に聞き返し、リリー氏はこれを“productive”という単語に置き換えて説明した。

食い止めるべきインターネットの未来の姿

 “generative”は“generate”(生成する)の形容詞形で、何かを生み出す能力があるという意味だ。生物であれば生殖力や繁殖力があるという意味で、知的生産の文脈では創造力があるというほどの意味で使われる。アカデミックな文脈を除くと、もともとあまり日常的に耳にしない単語だと思うが、ネットの世界で急に目にする機会が増えた。

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 直接確認したわけではないが、リリー氏は2008年4月に出版されて話題となっている書籍『The Future of the Internet――And How to Stop it』に影響されてgenerativeという言葉を使っていたのだと思う。

 著者でオックスフォード大学教授の法学者、ジョナサン・ジットレイン(Jonathan Zittrain)氏は、generativeとかgenerativityという言葉を、ITやインターネットに関わる技術の特性を考える上でのキーワードとして用いている。対になる語は“sterile”で、これは実を結ばない、不妊の、無菌のという意味で、こちらは日常的に使う単語だ。

 ジットレイン氏は同書の全文をHTMLで公開している。また、4月に同氏がニューヨークで行った講演の映像や、テレビ出演したときの映像がいくつかアップロードされている(その一部は、書籍の公式サイトにもある)。

generativeな技術とsterileな技術

 ジットレイン氏がgenerativeな技術と呼ぶものは、言い換えればオープンプラットフォームのことだ。

 1970年代後半、若くて頭が良く、技術オタクで社交的だったビル・ゲイツ氏やスティーブ・ジョブズ氏のような人々は、それまでマニアのおもちゃでしかなかったパーソナル・コンピュータでビジネスを興した。その後30年にわたり、PCはビジネスで使えるツールとして大きく成長し、市場が花開いた。

 1977年にジョブズ氏が発表したApple IIは、最初からプラスティックケースに収まった完成した世界初のパーソナルコンピュータとしてマニアの間でセンセーションを巻き起こしたが、爆発的な普及を見せたのは1979年に「VisiCalc」という世界初の表計算ソフトが登場したのがきっかけだった。ジットレイン氏は、アップル自身ですら、なぜ自分たちの製品が突然売れ始めたのか、すぐに気付かなかったといい、generativeな技術の特徴の1つは、その技術によって何が出てくるか予測ができない点にあるとする。

 これに対して、sterileな技術としてジットレイン氏が挙げるのは例えば1980年代のワープロ専用機だ。スイッチを入れると、メインメニューが現れる。文書作成、ファイル操作、印刷など必要なことはすべてできて実用的だが、そこからは何も新しい技術が生まれない。

 別な例としてジットレイン氏は、1990年代後半のISP対インターネットという構図も示す。AOLや、後にAOL傘下となったCompuServeは、今では信じられないことだがインターネットを利用するための専用GUIメニューというものを会員に提供していた。そこには、ニュースや天気、ISPが用意したチャットルームなど、ポータルサイト的なコンテンツがそろえられていた。しかし、メニュー式のインターネットは、メニューもアイコンもない素のインターネットに敗れ去った。

 ご記憶の読者もいるかもしれないが、CompuServeの専用GUIメニューは何かに似ている――。そう、iPhoneを起動したときの、あのアイコンたちだ。ジットレイン氏にしろ、モジラCEOのリリー氏にしろ、iPhoneはPCのようなgenerativeな技術とは見ていない。それは、特定の誰かがコントロールしているデバイスで、その気になればいつでもコードやコンテンツを排除・削除できるからだ。そもそも、自分が書いたコードを配布する自由や、第三者が書いたコードを自分でインストールする自由がない。マイクロソフトは、PCやWindows上で人々が何を動かすかについてコントロールはできないが、もしビル・ゲイツ氏が、どんなアプリケーションでもシャットダウンさせることができ、それが公権力や、ロビイストと結びついたとき、どうなっていたか想像してみるといいという。

ネット端末の登場で、われわれが直面するジレンマ

 iPhoneだけでなく、Xbox、TiVo、Kindleについても、誰でも自由に自分や他人が書いたコードを実行することができない「足かせの付いた機器」(tethered appliances)で、こうした機器が増えていく現状を、ジットレイン氏は危惧している。このまま何も手を打たないとインターネットはgenerativeではなくなってしまう、というのだ。PCを含め、インターネットに接続するデバイスの世界は、徐々にオープンさを失い、インターネットが爆発的に進化・普及した本質的な特徴であるgenerativityが失われているから、というのだ。クラウドコンピューティングの世界でも、FacebookやGoogle App Engineは同じ問題を抱えている。

 インターネットの利用にはWebブラウザだけあればいいという議論がある。ユーザーは自分でアプリケーションをインストールできないし、する必要もない。それはまずインターネットカフェで起こり、続いて企業内でも起こったことだが、例えばSkypeのようにイノベーティブで、まったく新しいアイデアは、Webブラウザの中からだけでは出てこない。Windows 3.1上のTCP/IPプロトコルスタックとして一世を風靡したシェアウェアの「トランペット」は、もともとオーストラリアのタスマニア大学で開発されたが、マイクロソフトもビル・ゲイツ氏も、それを予期できなかった。

 その一方で、インターネットはあまりにオープンで、ボットやウイルスなど一般ユーザーに多くの脅威をもたらした。PCはアーキテクチャが複雑になり、あまり多くのソフトウェアをインストールすると「調子が悪くなる」ということも増えた。もはや自分のPCで動くすべてのプロセスについて、それが何をしているのかを把握できるユーザーはいない。こうした事情もあって、ジョブズ氏はiPhoneのデザインの背景をニューヨークタイムズのインタビューに応えて、こう述べている。「iPhoneに搭載するものは、われわれがすべてを決める。ユーザーは電話がPCのようになってほしいと思わないだろう。アプリケーションを3つ入れただけで電話がかけられなくなるような事態だけは絶対に起こってほしくないはずだ。iPhoneは、コンピュータというよりはiPodに近い」。

 App Storeに関する発表を行うステージ上でジョブズ氏は、どんなアプリケーションを受け付けないのかを説明した。スライドには、ポルノ、プライバシーを侵害するもの、過剰なバンド幅を利用もの、違法なものなどに混じって、「予測できなかったもの」(unforeseen)が挙げられていた。ジットレイン氏は、まさに予測不能なものが出てくることこそgenerativeな技術の特性だとしている。30年前にApple IIというオープンでgenerativeな技術を世に問うた21歳の若者が今、iPhoneというgenerativeでない技術を世に送ろうとしているのは皮肉だ。

すべてオープンにするだけでは解決しない

 ジットレイン氏は単に何もかもオープンにすれば問題が解決すると主張する楽観的立場は採らない。インターネットを利用するに当たって種々の脅威があることは間違いないからだ。

 ジットレイン氏は250万台にのぼるPCがボットに感染していて、ある日利用者のPC上のハードディスクを消してしまうかもしれないし、表計算のデータを改ざんしてしまうかもしれないという。こうした脅威からユーザーを守るために、足かせが増えているというジレンマを解決しなければならないという。

 それは、例えばWikipediaがその成長過程で、破壊工作や編集合戦、嘘や噂の混入という問題の数々に対抗するためにツールを充実させていったように、ソーシャルな力で解決が可能ではないかという。何も全員で立ち向かわなくても、必要十分な人々がこの問題に取り組めば解決できるはずだ、というのがジットレイン氏の主張だ。

 これまでgenerativeなPCやインターネットの世界が発展して来れたのは、幸運な偶然によるもので、その背後には利用者の間に「共同幻想」(collective hallucination)があったのだという。それは知らない人間でも信用できるという“仮定”でしかなく、利用者が少数のときにはうまく行くが、その技術がメインストリームとなるに従って問題が起こる。インターネットは、今まさにそういう状況にあり、このままではsterileな技術が増えて、インターネットの技術革新が停滞してしまう、というわけだ。

モバイルでもネットやネット端末をgenerativeに

 ジットレイン氏の議論は古く感じられる面もある。オープンにすれば脅威が増えるがツールで対抗する、というのは、これまで10年、20年のPCの歴史でずっとやってきたことだし、特定プレーヤーにコントロールされたデバイスという話も、日本のケータイユーザーにはおなじみだ。iPhoneやApp Storeのモデルは、日本のケータイの世界と非常に似ているからだ。ご存じのとおり、日本のケータイ上で走るアプリケーションは、基本的にキャリアが認めたものだけだし、そこには厳しい審査基準がある。

 ただ、さまざまなデバイスが接続され、モバイル・インターネットが本格的に立ち上がろうというこの時期に、モバイルの世界でも、これまで同様にインターネットをgenerativeなものにしていこうという呼びかけには意味があると思う。脅威論を振り回し、制限ばかりかけて技術革新を窒息させてしまうよりも、多少怪我をしても手当をしながら活力のある進化・発展を促すほうがいい。「無菌」を意味するsterileが同時に「不毛」を意味するのは示唆的だ。日本のケータイ産業で、例えばKDDIがやっているように「今シーズンのモデルは音楽、今回は映画、今回はジョギング」と、キャリア主導で“キラーコンテンツ”をチマチマと増やしていくような無菌培養状態で、活力のある技術革新が起こるようには思えない。

 iPhoneがどれほどオープンな世界になるかは、iPhone SDKの正式版がリリースされ、実際にApp Storeが稼働してみないと分からない。製品としての魅力以外のネットワーク接続やアプリケーション利用といった面で、日本のインターネットユーザーの一部がiPhone 3Gに熱狂しているのを見ていると、そこには「iPhoneのほうがマシ」という予感が共有されているように思える。これまでに発売されたどんなケータイ端末よりも、iPhoneはPCに近いように見える(Linuxベースの小型ネット端末「chumby」が話題になっているのも同じ理由だろう)。だが、たとえそうだとしても、モジラCEOのリリー氏の「iPhoneはウェブじゃない」という言葉には、ジットレイン氏のいう“generativeな技術”という指摘に通じる重要な指摘が含まれていると思うのだ。

(@IT 西村賢)

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