イノベーションのジレンマ(いのべーしょんのじれんま)情報マネジメント用語辞典

innovator's dilemma

» 2009年05月11日 00時00分 公開
[@IT情報マネジメント編集部,@IT]

 業界をリードするような優良企業が行う合理的で正しい経営判断が、破壊的技術が作り出す新しい成長市場への参入機会を失わせる現象のこと。こうした新市場はしばしば既存市場を侵食し、優良企業の地位をそのものを危機に陥れる場合がある。

 一般に競争市場では製品・サービスの性能向上競争が継続的に行われており、その市場で優位を占める企業は製品・サービスの高性能を支える技術※に高いレベルで投資を行い、その地位を維持している。この枠組みで競争している限りは優良企業の優位は簡単に揺るがないが、技術レベルが一定以上に達し、製品・サービスの性能が過剰になってくると、低価格ないし低性能のもので満足する顧客が現れる。


※ここでいう「技術」は、労働力・資本・原材料・情報などの経営資源を投入して、より価値の高い製品・サービスを生み出すプロセス全般を意味する


 こうした低価格・低性能市場は当初は規模が小さく、期待できる利益率も高くないことが多いため、高水準の投資によって高収益を挙げている優良企業にとっては経済的な魅力に乏しい。そこで優良企業の場合は新市場への参入を見合わせることが経済合理的となるが、低価格・低性能製品の市場はしばしば急成長し、やがて性能面でも既存市場の製品を凌駕(りょうが)して、優良企業の牙城である既存市場を侵食・駆逐するという事例が見られる。このように、競争市場を勝ち抜くために行われる“持続的イノベーション”への経営資源の集中という戦略が、“破壊的イノベーション”に直面したときには経営失敗の原因となってしまう現象をイノベーションのジレンマという。

 顧客の声に忠実な優良企業が、その合理的判断ゆえにある局面では没落してしまうというこの逆説は、ハーバード・ビジネス・スクールのジョセフ・L・バウアー(Joseph L. Bower)とクレイトン・M・クリステンセン(Clayton M. Christensen)が共著論文「Disruptive Technologies: Catching the Wave」(Harverd Business Review誌 1995年1?2月号)で提示した。「イノベーションのジレンマ」という語は同論文を発展させて、1997年に刊行されたクリステンセンの著書『The Innovator's Dilemma』の訳書のタイトルである。

 クリステンセンらは、ここでイノベーションには「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の2つがあるとし、市場のリーダーであるような優良企業は前者に最適化された組織やプロセスを持つがゆえに、後者を見落とし、失敗する場合があることを示唆した。

 彼らはディスクドライブ市場の歴史を詳細に調べるうち、市場の主要顧客が求める記憶容量と記録密度に関する性能向上のための技術革新とは別の要因で、主力ベンダが入れ替わっていることに気付いた。そこには24インチ→14インチ→8インチ→5.25インチ→3.5インチというように数年ごとに行われたアーキテクチャの変更があり、ある世代の有力ベンダは次の世代への参入が遅れた結果、市場リーダーがその地位を失うという現象が繰り返されていたのである。

 8インチドライブから5.25インチドライブへの移行を例に説明する。主としてミニ・コンピュータ市場向けに8インチディスクドライブを供給していたシーゲート・テクノロジーは1980年、5MBと10MBの5.25ディスクとライブを発売した。しかし、この記憶容量は40〜60MBのドライブを欲していたミニコン・メーカーの注目を引かなかった。ちょうどこのころデスクトップPCが登場し、より小型の装置に対する需要が生まれつつあったが、この市場は小さかったために既存の大型ディスクドライブ・ベンダは参入を見合わせ、その間に新規参入企業が5.25インチドライブの供給を始めた。その後、5.25インチ・ドライブは数年のうちに持続的な技術改良によって記憶容量、1MBバイト当たりコスト、アクセスタイムなどの指標でも8インチドライブ製品を凌駕するようになり、ミニコン市場でもメインフレーム市場でも5.25インチドライブが採用され、既存ベンダは顧客を奪われることになった。

 こうした現象が生じるのは、第1に持続的イノベーションと破壊的イノベーションが峻別できていないこと、第2に既存企業はバリューネットワークに組み込まれており、破壊的技術を過小評価してしまうためだという。クリステンセンは、既存の大企業がイノベーションのジレンマを乗り越えるには、既存のバリューネットワークや価値基準を断ち切るような組織的工夫が必要だとして、さまざまな“解”を論じている。

参考文献

▼『不確実性の経営戦略』 Harvard Business Review=編/DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部=訳/ダイヤモンド社/2000年10月(『Harvard Business Review on Managing Uncertainty』の邦訳)

▼『イノベーションのジレンマ──技術革新が巨大企業を滅ぼすとき〈増補改訂版〉』 クレイトン・クリステンセン=著/玉田俊平太=監修/伊豆原弓=訳/翔泳社/2001年7月(『The Innovator's Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail』の邦訳)

▼『イノベーションへの解──利益ある成長に向けて』 クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー=著/玉田俊平太=監修/櫻井祐子=訳/翔泳社/2003年12月(『The Innovator' s Solution: Creating and Sustaining Successful Growth』の邦訳)

▼『明日は誰のものか──イノベーションの最終解』 クレイトン・M・クリステンセン、スコット・D・アンソニー、エリック・A・ロス=著/宮本喜一=訳/ランダムハウス講談社/2005年9月(『Seeing What's Next: Using the Theories of Innovation to Predict Industry Change 』の邦訳)

▼『イノベーションへの解──イノベーターの確たる成長に向けて 実践編』 スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン=著/栗原潔=訳/翔泳社/2008年9月(『The Innovator's Guide to Growth: Putting Disruptive Innovation to Work 』の邦訳)

▼『イノベーション──破壊と共鳴』 山口栄一=著/NTT出版/2006年2月


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