暗黙知(あんもくち)情報システム用語事典

tacit knowledge / あんもくち

» 2009年05月13日 00時00分 公開
[@IT情報マネジメント編集部,@IT]

 言葉で表現できるような知識の背景として、暗黙のうちに「知っている」「分かっている」という状態があることをいう。人間個人の心理的作用を指すが、共通の経験をした人間集団が共通して持つ暗黙の知識をいう場合もある。

 ナレッジマネジメントを一躍有名にした野中郁次郎が、その実践理論であるSECIモデルの中で、“暗黙知と形式知の相互変換”をうたったことから、広く知られるようになった。

 オリジナルはハンガリー出身の物理化学者・科学哲学者のマイケル・ポラニー(Michael Polanyi/1891-1976)が著書『Personal Knowledge』(1958年)や『The Tacit dimension』(1966年)で示したものである。ポラニーは特に科学の諸分野において、断片的な知や経験を統合・再構成して新たな知識を作り出す能力、あるいは人間の世界認識構造としてこの概念を提示した。

 ポラニーのいう暗黙知(tacit knowing)は、科学・芸術における才能、医師や芸術、スポーツなどにおける各種技能、あるいは人間の言語使用能力や知覚能力などである。すなわち科学者や芸術家、スポーツ選手が、偉大な発明・作品、驚くべきプレーを見せたとしても、それをする方法をどうして“知っていたのか”説明することができない。普通の人も人間の顔が識別できたからといってその詳細を他人に言葉で語ることはできず、自転車に乗ることができてもどうして乗れるのかを説明することは困難である。また、ある言語で会話ができたとしてもその言語の文法を正確・詳細に説明できるとは限らない。

 こうした「認識」「身体的技術」「天賦の才」などにかかわるスキルは、ペダルへの足の乗せ方、体重の移動の仕方などの細目的な要素によって構成されるが、その細目をいくら説明しても語ったことにはならない。スキルを習得している人間は細目ではない何事かを“知っている”はずだが、それは“記述不能な知識”、すなわち暗黙知なのである。ポラニーににおいて暗黙知の対語は「理論的知」「明示知」だが、これらは暗黙知の代替にはならないという。暗黙知を語ることは不可能ではないが、それを言語で表現してもその豊かな内容を使えることはできないのである。

 一方、野中理論における暗黙知は「個々人の体験や特定状況に根ざす知識であり、信念・ものの見方・価値システムといった無形の要素を含む」と説明され、熟練の職人技やノウハウに加えて、思いや信念、価値観のようなものが含まれており、ポラニーのものとはかなり異なった概念となっている。

参考文献

▼『暗黙知の次元??言語から非言語へ』 マイケル・ポラニー=著/佐藤敬三=訳/紀伊国屋書店/1980年8月(『The Tacit Dimension』の邦訳)

▼『個人的知識??脱批判哲学をめざして』 ミカエル・ポランニー=著/長尾史郎=訳/ハーベスト社/1985年12月(『Personal Knowledge』の邦訳)

▼『知識創造企業』 野中郁次郎、竹内弘高=著/梅本勝博=訳/東洋経済新報社/1996年3月(『The Knowledge-Creating Company』の邦訳)

▼『ナレッジ・イネーブリング??知識創造企業への五つの実践』 ゲオルク・フォン・クロー、一條和生、野中郁次郎=著/東洋経済新報社/2001年9月(『Enabling Knowledge Creation: How to Unlock the Mystery of Tacit Knowledge and Release the Power of Innovation』の邦訳)


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