連載
» 2003年10月22日 00時00分 公開

ITエンジニアが語る わたしの勉強法(3):状況に合った学習こそスキルアップの早道

[中田宏紀,@IT]

「スキルアップをしていく時間がない」とはよく聞く話だ。しかし、着実にスキルアップを図っていかないと、ITエンジニアとしては生き延びることはできない。では、皆はどんな方法でスキルを磨き、勉強をしているのだろうか? さまざまなエンジニアに登場していただき、自分のスキルアップ方法を紹介してもらう。


学生時代から付き合い始めたPC

 私とコンピュータとの付き合いは、大学の2回生のころからだったと思います。当時はNECの「きゅーはち」全盛のころで、私もご多分に漏れず「PC-9801 VM21」(CPUはV30の10MHz、メインメモリは640Kbytes)を買いました。実はこのコンピュータ、いまは亡き倹約家の祖母に買ってもらったため、もったいなくていまでも捨てられずにしまってあります。ほとんど祖母の形見状態です。

 さて、そこから私のコンピュータ人生まっしぐらかというと、全然そんなことはないのでした。私のコンピュータは「三国志」のゲーム専用マシンと化し、使うキーはテンキーのみでした。おかげで、いまでもテンキーの打鍵スピードには自信があります。

 そんな私が、ひょんなことからプログラム開発のアルバイトを始めることになりました。アルバイト先では、レーザーディスク検査装置のプログラム改造が私の仕事で、開発言語はCでした。このとき、ポインタの洗礼をうけ、C言語信者の仲間入りをしたのですが、まあそのとき書いたプログラムのひどかったこと、C言語プログラミングの駄目な手本のオンパレードでした。

ソフト開発の道へ進み、技術書を読みあさる

 そんなアルバイトが影響したかどうかは分かりませんが、気付くとソフト開発会社に身を置き、はや13年目になりました。入社当時を思い起こすと、先輩たちが何げに話す意味不明なコンピュータ用語のため、会話についていけませんでした。自分なりに、うーん、これはまずいと思い、そこで始めたのが『日経コンピュータ』という雑誌を3年間定期購読することでした。1年ほどすると、もう分からない言葉がほとんどなくなったのと、持ち前の飽き性な性格が頭をもたげてきたので、積読になってしまいました。

 一方、仕事の方はというと、MS-DOS上でC言語を使って塗装ロボットの制御プログラムを書いたり、当時流行だったファジー制御ってのを使って、職人技ができる工作機の開発を担当していました。このときは、専ら先輩のプログラムを読んでまねることで自分のスキルをアップを図っていました。

 やがて時代は移り、私の開発環境もOS/2やWindows 3.xに移りました。Windowsアプリケーション開発では、分厚いAPIのリファレンスを傍らに置き、あのややこしいしきたりにのっとって、せっせとプログラムを書くうちに、自身をWindowsプログラマへと変貌させていったようです。そのころはまだ若く、本当にプログラムを書くのが楽しかった。技術専門誌を月に2、3冊は定期購読し、通勤電車で雑誌を読みあさっていました。

 Windows NTが出たころ、グループの共有ファイルサーバを作ってみたくなって、いろいろと勉強して、上長をたきつけ、設備申請の稟議書を書いて導入してしまいました。このとき、勉強したNTのユーザー管理、認証、ドメインの概念などは、いまでも基本的なところは変わっていないため、しっかりと自分の資産になっています。やっぱり実践に勝るものはないですね。

アセンブラでマニュアル読破し、CPUを知る

 とある顧客の都合で、高速信号処理用のCPU(Digital Signal Processor、略してDSP)のプログラム開発をすることになりました。処理速度優先のため、OSなぞは載せず、信号処理を演算するプログラムを動かして、どれだけ高速、かつ消費電力を少なくできるかが勝負でした。ちょっとだけいうと、それは、音楽を再生するための専用CPUの開発でした。

 さてこの開発ですが、CPUだけではただの計算しかできないわけで、パソコンみたいに、データを読み出すフロッピーディスクドライブなどはなく、ある記憶装置からデータを読み出すプログラムを自前で書いたり、計算結果として出てきた音楽データを音に変えてくれる装置を制御するためのプログラムを書いたり、何をするにも一からプログラムを書かねばならないのでした。

 これら周辺装置を制御するプログラムを作成するためには、そのやり方を書いてあるマニュアルを読まねばなりません。これがまた、すべて英語なんですよね。自分で訳してみるんですが、それを読んでも意味がよく分からない。そんな苦悩の日々を乗り越え、ようやくデータが読み出せたり、音が鳴ったりするようになりました。

 ちなみに、CPUのマニュアルや、アセンブラ、リンカソフトなど、とにかくありとあらゆるマニュアルが英語、英語、英語でした。そのころ使っていたDSPは最新のものだったので、マニュアルの日本語版が常に追いつかない状況だったのです。取りあえず、ここではマニュアルを隅から隅までよく読みました。そのかいあって、いまではその手のマニュアルを読むことについては、まったく抵抗はなくなりました。また、この仕事をしたおかげで、CPUが演算をする基本的な仕組みや周辺装置などについて理解が深まり、エンジニアとしてのすそ野がグンと広まった時代だといえると思います。

 もちろん、周囲に素晴らしいエンジニアたちがいて、いろいろアドバイスしてくださったことも大いにプラスになっています。

 余談ですが、この仕事で初めてアメリカのワシントン州レドモンドのマイクロソフト本社へ出張できたんです。ビル・ゲイツには当然会えませんでしたが、対応していただいた社員の方に、彼の家はあの辺だよと教えてもらいました。いやー、それにしてもマイクロソフト村ってのがあったり、社内にローソンとかにあるような大きな陳列冷蔵庫があって、その中に入っているジュースが飲み放題(タダですよタダ)だったり、カルチャーショックは大きかったです。

会社が売却されて、資格が重要課題

 突然ですが、私が勤めていた会社、売られちゃいました。買ったのは某大手コンピュータメーカー。前から(売却が)あるのではないかと噂(うわさ)されていたんですが、とうとう現実のこととなってしまいました。で、新しい親会社のやり方では、私くらいの年齢の社員では、資格取得計画の達成度2割、仕事の業績が8割の比率で人事査定がされるそうです。

 ということで、毎年資格の取得計画を立て、それを着実に取得していかねばならなくなったのです。ちなみに、ここでいう資格とは、オラクルやマイクロソフトなどが行っているベンダ資格や、情報処理技術者試験などの公的資格を指します。年度末が近づくと、やおら勉強本を取り出して試験対策に勤しみ、何とか合格をゲットするのでした。

 もちろん、そんなときは週末は家族を見捨て、図書館で参考書と問題集との格闘です。平日は、夜遅くまで仕事し、朝は遅くに出勤し、休みは図書館という生活が続くと、子どもたちと接する時間がなく、とってもめいってしまいますが、背に腹は代えられません。何せ、3人の子どもがいるのですから。

 これとは別に、親会社では社内の技術者検定資格みたいなものがあり、ある社員級以上では、その資格を持っていないとダメなんだそうです。ということで、私もその資格を取得しなければならない羽目に陥ってしまいました。一説によれば、標準で100時間以上の勉強量をこなさないとパスできない代物だそうです。

 今年の5月、連休明けにその試験を受けることになり、おかげですっかり連休を犠牲にしてしまいました。誰か連休を返してほしい! で、つい最近結果が出たのですが、まあ何とか辛うじて合格しました。落ちたらまた勉強して受験し直さないといけませんから。こんなことは1回で十分だって感じです。ただ、試験の内容については、非常に有意義なものでした。多少愚痴っぽくは書きましたが、ここでも知識の幅が広がりました。

 とまあ、これまでこんな感じで勉強をしてきた私ですが、そろそろ(遅いかも)キャリアパスを意識した勉強をしなければならないと考えています。つまり、技術職を続けるか、プロジェクトの管理職を目指すか、それによって勉強する事柄も変わってくれば、当然方法も変わるでしょう。が、何はどうあれ、興味を持って、実践を交え、願わくば楽しみながら勉強していければと思っています。

筆者紹介

中田宏紀

1968年生まれ。1991年、某鉄鋼メーカーのIT子会社へ就職後、主に制御・組み込み系ソフトウェア開発を経て、現在、工場の情報システム開発に携わる。最近、会社の資本関係がかわったため、その新しい株主である親会社の社内制度に順応中の3児の父。


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