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» 2008年01月25日 05時00分 公開

頭脳放談:第92回 パラダイム・シフトの時代、それでも半導体は生き残る?

株価の急激な下落や石油の高騰は新しい時代の到来を予感させる。化石燃料を燃料として燃やさない時代。そのとき半導体はどうなるのか?

[Massa POP Izumida,著]
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 2007年末からの株価下落は急激で、はるかに予想を超えてしまった。そのうえ、いろいろな懸念材料も重なって、年明けから暗雲たなびき、先に不安を覚える最近の情勢である。年頭に当たり、そんな状況の下、多少ロングレンジで半導体業界の行く末を考えてみたので書かせていただく。

化石燃料を燃やさない時代へ

 まずは、大風呂敷を広げて、結論めいたことを最初に書いてしまえば、「世界は別な時代に入った」のではないか、ということだ。後世の歴史書を見れば21世紀の初めに太く1本の線が引かれ、「×××時代の始まり」という具合になっているのではないのか、ということだ。そして、その「×××時代」の前時代は「何度かの戦争はあったが、政治的にはパクス・アメリカーナで、産業が進展して物質的にも豊かさが急激に増大した化石燃料時代の後半」であったと書かれるかもしれない。それに対する「×××時代」は、「もろもろの諸条件のために、人類に多くの制約が課され、物質的に前時代と同様な暮らしはもはや望めず、打開策を求めて右往左往した時代」になるように思えてならない。

 原油価格が一瞬とはいえ1バレル100ドルを超えたのは象徴的であった。まずは、化石燃料を「燃やして使う」というテクノロジの時代が21世紀中には終わる、と予想するのだ。19世紀初めのトラファルガーの海戦はまだ「帆船で大砲」を打ち合っていた。それが19世紀の中盤、日本にペリーが開国を迫ったときには蒸気船になっている。19世紀は大英帝国が世界帝国に興隆する「石炭」の時代であり、20世紀は米国と「石油」の時代である。よって、19世紀中盤から21世紀中盤というのが、ひとくくりにして化石燃料を「燃料」として燃やしていた時代、ということになるだろうか。

 単純に石油がなくなる、から使えなくなるというわけではない。よくいわれるとおり可採埋蔵量は減っていない。しかし、いろいろと指摘する人がいうとおり、石油やそのほかの化石燃料を採掘するのに必要なエネルギーと、その採掘で得られるエネルギーとの比率が悪くなっているのだ。深海油田などにまで手が伸びているのがその証拠である。単純な経済原理だけでいえば、需要と供給の関係だけ考えればよいが、エネルギー収支を考えれば、ある一定の「タガ」がはまっていることは明らかである。

 ほかにも「タガ」をはめる要因がある。CO2などの温暖化ガスの収支がその代表である。それらの「タガ」も「お金」に換算すれば経済原理で調整は可能だと思うが、現在は、それらの要因が正しく「お金」に換算されて「見えている」状態とは程遠いように思われる。

 それを考えると、化石燃料を化学的原料として使うのはまだましだが、「燃料」として燃やしてしまうのは「もったいなさ過ぎる」使い方だった、と「後世」では指摘されるかもしれない。

再生可能エネルギーが新時代を支える

 取りあえずエネルギーなしには何もできないので、いまある技術で考えれば、再生可能エネルギー系に期待を持つしかないだろう。2007年末に取り上げた太陽電池や風力などである(「第90回 捨てるウエハあれば拾う太陽電池あり?」参照)。すでに技術的にも確立しているし、潜在的な「資源量」も膨大で「計算上は人類のエネルギー需要を満たすことが可能」なエネルギーである。ただし、「正しく化石燃料との比較ができない」現状では、その多くは「政策的な」立ち上げ方のよしあしで、どのくらい早く立ち上がるか、が決まってくるように思われる。

 ここで残念なのは、地球全体からみれば「局所的な」話であるが、日本の半導体業界がいままで太陽電池生産で世界をリードしており、国内の普及率でも先頭を走っていたものが、いざ本格的に必要とされる段階に来ているはずなのに、国内での普及率が頭打ちになり、どうも欧州やアジアに抜かされてしまいそうな雲行きになっていることだ。日本は黎明期に政策的に先駆者となれたが、普及期になって、今度は「政策的に」後が続かなくなっている感じである。

 まぁ、太陽光利用にせよ風力にせよ、これら再生可能エネルギー系は、実は社会システムそのものを変えていかないと本当の意味で立ち上がらないのではないか、と思うのだ。これらは「分散型」の電力源で、いままでの「電力伝送系的中央制御システム」的な発想では、その利用が促進できないのではないかと思われる。もしかすると、19世紀に成立した中央集権的「国民国家」という共同幻想、あるいは「最も成功したミーム(編集注:文化的遺伝子と呼ばれるもので、文化の変異や淘汰を遺伝子になぞらえたもの)」から根本的に見直す必要があるかもしれない、と思っている。

「生き方」も少し変える必要もあるんじゃないだろうか?


 そんな大上段に構えなくとも、電気さえあれば「オール電化」にすることで、原始時代に逆戻り、ということにはならずにすみそうだ。何とかなりそうである。ゲーム機もコンピュータも使えるのだ、アニメも見られる。でも、交通機関は電車だけかい?

 自動車はまだ何とかなりそうだ。すでにハイブリッド自動車のプリウスも出て久しく、バイオ燃料もある。しかしバイオ燃料など、いま程度の普及度でも、実は大きな環境破壊の原因になり、かつまた食料生産と食い合う、という関連が明らかになってしまっている。やはり最終的には根っこのところは完全に「電気」系にしないとならないだろう。でも、電気自動車への道筋はすでに見えている。

 しかし、航空機などは無理がありそうだ。「化石燃料」以外で効率よく飛ばせそうな方法が現れていない。それに、環境負荷の面でも、高い高度の空に排気を撒き散らすジェット機はどうみても「よいもの」とは思われない。別の理由としてセキュリティ的な面もあり、ずばり次の「XXXな時代」では、いままでのように飛行機で気楽に海外へ、とはいかない時代になるのではないかという気がする。「下手な国内旅行より、海外の方が安上がり」みたいな感覚は、未来から白い目でみられるかもしれない。

それでも半導体は生き続ける!

 分散型の電力インフラに依存し、近場の移動はOKだが、遠距離の移動となると可能だがかなりハードルが高くなるという世界が想像されるのだが、どうだろうか。もちろん、遠距離移動が高くつくので通信技術はますます必要とされ、多くの人は「あまり自分の家から遠くまで」出かけないで暮らしている。物質的にも近距離でリサイクルされながら再生産するのが基本となる。少し中世に逆戻りしたような感じかもしれない。

それでも半導体業界は動いている


 というわけで、通信もコンピュータもますます必要になるというわけだし、自動車もますます電子デバイスに頼るってことになる。太陽電池もそうだ。業界的には悪くないじゃないか!

世に半導体の種は尽きまじ


 しかし、そんな世の中になれば、自然に企業も変わらざるを得ないだろう。グローバル化した企業は、そのうちグローバルになりすぎて、ネットワークの海の中で「形而上」の存在へと変わるのかもしれない。そんな世界に落ち着く前に、合従連衡、再編の波がうねることになる。そんなことを書いている矢先に、富士通もようやく半導体を分社化するそうだ。さもありなん。

 パラダイムが変わるときには、「応仁の乱」的な混乱は不可避なのだろう。その間に地球環境が壊れないことを祈ろう。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。


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