第130回 システムの「想定」にまつわる想像力とは頭脳放談

システムを構築する場合、さまざまな想定を行い安全性などを担保する。しかし自然現象が関係する場合には、さらに想像力が重要になる。

» 2011年03月30日 05時00分 公開
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 東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 すでに地震発生から2週間以上が過ぎたが、まだ連日非日常的な事件が続いている。そんな中で多くのみなさんが、それぞれの職場や自宅や避難所などで各種の緊急対応に働かれていることと思う。そんな状況下であるがゆえに、非常事態から、いろいろな教訓を引き出しつつある方々も多いのではないかと想像する。今回は勝手ながら、IT関連システムにも無縁ではなさそうな問題について議論してみたいと思う。

システムを構想する上での想像力の限界

 現在、何といっても皆さんが一番心配しているのは、進行しつつある福島第一原子力発電所(原発)の問題だと思う。危険の中で作業されている関係者の方々には本当に感謝しなければならない。当面は直近の危機の回避のための努力に全力が注がれるのだと思う。工学的な原因究明や波及メカニズムの追求、危機を回避できた後の始末をどうつけるかといった対応を本格的に考えることができるのは、まだまだ先ではないかと想像される。多分、確実に一段落付いた後の始末こそ、相当に難儀な問題になるように思われる。

 まだ詳しい状況が分からず、事態も進行中なのだが、現時点でもいくつか認識できる問題点があるように考えられる。その1つに、システムを構想する上での想像力の限界とでもいうべきものがある。端的にいえば、このところ「想定外」という言葉で表されている「概念」である。

 こと「システム」といわれるような工学的な仕組みならば、設計時点で「ここが壊れたらどうだろうか」とか、「予想外の負荷がかかったらどうだろうか」などという「想定」がいろいろと検討されて、その場合の予防措置や対処などが考えられていくものだ。原発のような巨大でクリティカルなシステムはもちろん、組み込み向けの小さな電子装置から、いままた別な問題になっているような決済系のオンラインシステムに至るまで、問題の大小は除いて「システム」すべてに共通している作業だと思う。フェイル・セーフは工業的製品の基本的な概念だから、製品安全性や信頼性を担保するための各種の技法も多々あり、ハードウェアとソフトウェアでいくぶん趣きは異なるが、いずれも設計時点で何度も検討がなされるのが普通だと思う。

 原発などは特にクリティカルであるので、そのような検討は通常のシステムに比べたら非常に精緻にかつ大きな労力をかけて実施されてきたはずだと思う。けれども「想定外」ということである。多分、実施された「想定」の範囲では十分な検討をして、対策も練られてきて、多分それは有効であったはずであるが、「想定」の範囲を超えたところではまったく不十分であった、ということだと考える。つまり、どこまでを「想定」とすべきかに問題があったということになる。

どこまでを「想定」するかが問題

 どこまでを「想定」するかということになると、工学的には、既存の蓄積されたデータを集め、それを統計処理して、運用期間内で99.9何%はこの範囲といった計算をし、さらに安全率などを見込んで倍率をかけ、よってここまで想定すればOKといた考え方をするのが普通だろう。工学的な考え方としては間違っていないように見える。しかし、自然現象に対しては実は問題があったということになるだろう。蓄積されたデータといっても、しょせんは「科学」が定着したせいぜい百数十年程度の期間しか統計処理に適するようなデータはないはずで、われわれが持っている自然現象のデータなどは極めて限定的なものであるからだ。そしてまた、その想定の是非というものは、せいぜい各個人の高々数十年の人生経験の範囲であったり、高々数千年ばかりさかのぼることができる程度の歴史記録の範囲で検証されるに過ぎないように思われる。よって今回のような前例のない規模の自然現象は想定できない、ということになるのだろう。

 なかには非常にまれな自然現象が心配になって夜も寝られない人もいるかもしれない。天が落ちてくるかもしれない(実際、映画のように隕石が海に落下して、巨大津波が起こるかもしれない)とか、氷河期がやってくるかもしれない(巨大火山噴火によって急速に寒冷化するかもしれない)などと心配し続けてしまう人も少なからずいるようだ。

 けれど、その類の心配は、平時であれば「心配症」だとして無視されるのがオチである。人々の「常識」や「経験」からあまりにかけ離れているからだ。逆に、いまのような非常時にその手の心配をいい過ぎると、「流言蜚語」を飛ばす輩と見なされてしまうかもしれない。どうも多くの人々が想像できる範囲で自然現象を想定してしまう、というのが普通の人(科学者やエンジニアにしても)の態度ではなかろうか。

 また、事態の進行プロセスに関してもそういう態度は似ているかもしれない。経験済みのプロセスについては類推から対処も容易だが、初めて経験するプロセスに関していえば、いろいろな知識を持っていてもなかなか的確な判断はできないものである。ましてや、得られるデータが限定的な場合、せっかく基礎方程式やら原理やらを知っていてもどんな現象が起きているのかなかなか予想がつかない。それに対して物理現象は人間の思考や意思決定のプロセスなどを待ってくれないから、どんどんと「想定外」に進行していってしまうのだ。

 科学者であり、エンジニアであっても、潜在意識なのか、教条なのか、公式見解なのかは別にして、その想像力には強烈な手かせ足かせが絡み付いている。これは誰も逃れられないようだ。ましてや建前のようなものを持ち出すと、タダでさえきつい足かせ手かせがさらに強くなりそうである。それだけに、システムの「想定」をするときには、そういう想像力の拘束を少しでも解き放ち、もっと繊細な気持ちでやらないとならないのだと思う。

 それにしても、そういう想像力の手かせ足かせの中で蠢いているのが人間らしい。どうもこの線以上の現象は起こらないと「想定」するよりは、これ以上の現象が起こってしまったらこんなひどいことになってしまう、と「想定」する方がよっぽど現実的な思考で行動に結び付くのかもしれない。しかし、それはそれでパニックを引き起こして物資の欠乏そのほかの混乱を生んでいる。困ったもんだ。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。


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