第135回 量子力学はMRAMの未来を展くか?頭脳放談

SamsungがGrandisを買収。同社のSTT-RAM技術は量子力学を応用、MRAMの弱点を克服するという。STTはMRAMの新しい時代を作るのか?

» 2011年08月24日 05時00分 公開
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 MRAMなどの「次世代の」不揮発メモリについては何度か取り上げさせていただいている(「第21回 変り種メモリはいつ花咲くのか?」「第31回 次世代不揮発メモリが夢見る明るい未来」「第95回 温故知新がニュー・テクノロジ?」)。いろいろなタイプの次世代メモリが提案され、研究がされてきているものの、その多くはまだ開発段階だったり、ニッチ市場のみの存在に留まっていたりするようにみえる。

 開発フェイズやニッチ製品を脱してメインストリームに打って出る困難さはいうまでもないだろう。MRAMなどの次世代不揮発メモリは、フラッシュメモリなどの既存品が大きく立ちはだかっているので、次世代側にいろいろな技術的アドバンテージがあったとしても、値段と容量という非常に「ベタ」なボトムラインの戦いで勝てない限り、なかなかブレークできそうもない。既存品は大規模量産効果によって値段もこなれきっているのだから、乗り越えるには何かけた違いのアドバンテージが必要になる。

 そんな中、8月初めにSamsung ElectronicsがGrandisという不揮発メモリを開発しているベンチャー企業を買収したとのニュースが流れた(「Samsung Electronics Acquires Grandis, Inc.[PDF]」)。Samsung Electronicsといえば、いわずと知れたメモリの雄である。まさにフラッシュメモリなどの既存メモリを事業の柱の1つとしている会社である。将来的に既存品を乗り越えるポテンシャルを認められない限りは企業買収などしないだろう。つまりは、Samsung Electronicsが買収に走るくらいなら、そんだけのものをGrandisが持っていると想像されるのである。そのうえGrandisは、これまた何度か取り上げさせていただいている「スピントロニクス」で名前の上がってくる会社の1つでもある(「第133回 エレクトロニクス+量子力学=消費電力削減の切り札?」)。なにかMRAMの変種みたいなものらしいが、Grandisのメモリとはどんなものなのだろうか? 気になってちょっと調べてみた。

MRAM+スピントロニクス=STT

 だいたいMRAMのように磁気工学がベースのメモリが登場してきた背景には、HDD技術の進化にともなう磁性材料の進化がある。磁気は突き詰めれば、電子1個、1個のスピンに行き着く。電界と電流でやってきた「エレクトロニクス」中心だった半導体工学に、量子力学的な磁気と電子スピンを持ち込んだのが「スピントロニクス」の1つの側面だろう。そこでGrandisのメモリはSTT(Spin Transfer Torque)という名前である。まさにスピントロニクスを全面に出した名前だが、磁性体の層に情報を記憶する点では通常のMRAMと共通している。STTの原理というか、将来性について理解するには、まずは既存のMRAMの抱えている限界を理解しなければならないようだ。そのためにはGrandisにならい、以前のMRAMを「旧世代のMRAM」と呼ばねばなるまい。

 旧世代のMRAMは、磁気による情報の記録を抵抗値の変化として読み出すメモリである。抵抗値の変化を「0」「1」にするところは筆者などのような「エレクトロニクス」世代でも理解可能だが、肝心の抵抗値が変化する原理的背景には「当然」量子力学が横たわっている。ワシら深入りはできんね。

 しかし、旧世代のMRAM技術を遠くからながめると、1つの弱点があるのが分かる。書き込みである。ここもいろいろな技術があるようなのだが、結局、磁性を「書き込む」ときには、電流が要るのである(昔に習ったように電流の変化が磁界を作るのだ)。また、電流が漏れることを防ぐのは比較的簡単だが、磁界が漏れるのを防ぐのは難しい。微細化というのは、電圧も電流も物理形状も小さくしなければ先に進まないので、ある程度の大きさの電流を流さねばならないとか、磁界が隣に漏れないか、といった制限事項は足かせとなる。

 微細化を進めるうえで、旧世代のMRAM技術は、通常の半導体が直面する課題に加えて、追加で特有の課題も解決しなければならないように思われる。課題は解決不能ではないと思うが、先ほど述べたように既存品との競争という時間の視点では非常に不利である。微細化レベルの世代が違ってしまえば、ビット単価は段違いになってしまうからだ。

 これに対し、GrandisのSTT技術というのは、スピンのそろった電子流で、磁性体の磁化の方向を書き換えてしまう。普通のエレクトロニクスで取り扱う電流では電子スピンがそろっているなどということはあり得ない。普通のエレキ屋にスピンをそろえろといわれても困ってしまう。まさに「スピントロニクス」技術である。そしてそれに要する電流自体を非常に小さく抑えることができ、かつ直接電子スピン相互の作用によってターゲットの「電子スピンの方向」=「磁化の方向」が写し取られるので、非常に局所的な現象にとどめられるようだ。つまり、旧世代のMRAMでネックになっていた書き込みの部分を解決し、微細化の障壁を打ち破れる可能性があると思われるのだ。

 まぁ、この辺の可能性(つまりはフラッシュメモリやDRAM、SRAMの組み合わせによる既存技術を性能だけでなくコスト的にも打破できる可能性がある)を評価してSamsung Electronicsが買収した、ということだろうか。Grandis自体は、ベンチャー・キャピタリスト数社が出資している非公開の企業なので、Samsung Electronicsが買ったということ以外、詳しいことは分からない。しかし円高の日本とは違い、韓国通貨のウォン安の中で、ベンチャー・キャピタリストから買収に動いたこと自体、それなりの決断があってのことであろう。また、逆にGrandisからすれば、ここで大きな生産力を持っているSamsung Electronicsの傘下に入ることは、量産に向けてモノを作るフェイズに入ることを考えたためかもしれない。

 うまくいってメモリ業界の「ちゃぶ台がえし」の切欠になるか、それとも、単にSamsung Electronicsが「競合会社に実用化されたらマズイ」技術を飼い殺しにした、という結果になるか、それが分かるまでにはそれほどの時間はかからないのではないだろうか。

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筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。


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