世界に通用するソフトウェアを作る合言葉は「読むな、作れ」海外から見た! ニッポン人エンジニア(11)(1/2 ページ)

時代を読む力は、生き残れるエンジニアの必須条件である。本連載では、海外と深い接点を持つ人物へのインタビューをとおして、IT業界の世界的な動向をお届けする。ITエンジニア自らが時代を読み解き、キャリアを構築するヒントとしていただきたい。

» 2011年10月18日 00時00分 公開
[小平達也@IT]

 あるときは案件があふれ、またあるときは枯渇して皆無となる……。「景況感に左右されないエンジニアになるためには、どうすればいいのか」。これは多くのエンジニアにとって共通の課題であろう。

時代を読む力は、生き残れるエンジニアの必須条件だ。

 この対談シリーズ「海外から見た! ニッポン人エンジニア」では、グローバル組織・人事コンサルティングを行うジェイエーエス 代表取締役社長 小平達也が、海外と深い接点を持つ人物へのインタビュー通じ、世界の経済・技術動向、文化や政治状況などの外部環境の最新状況を掘り下げている。併せて、世界から見た日本人エンジニアの強みと弱みを伝えることで、ITエンジニアが一個人として時代を正しく読み解き、自分でキャリアを構築できるようなヒントを共有していきたい。

 今回は、インフォテリア代表取締役社長/CEO 平野洋一郎氏に話を聞いた。

 インフォテリアは日本初のXML専門のソフトウェア企業として出発し、今年で13年目を迎える。主力製品の「ASTERIA」は、外資系および国内データ連携ソフト市場において、シェアナンバー1の実績を誇っている。他にも、スマートフォン用の企業向け情報配信・共有サービス「Handbook」やスマートフォン専用カレンダー「SnapCal」を8カ国語で展開している。

 同社は創業時から「ソフトウェアで世界をつなぐ」という理念を掲げている。

 「いまでも、いち技術者」と語る平野氏の目に、ニッポン人エンジニアはどう映っているのか。


組織を超えたコンピューティングを実現したい

―――「ソフトウェアで世界をつなぐ」という創業理念を掲げてインフォテリアを創業した経緯について、教えてください。

平野洋一郎氏 インフォテリア 平野洋一郎氏

平野氏:熊本で学生をやっていた頃からプログラミングをしており、「いいモノをつくって世に出したい」という根っからのエンジニアでした。学生時代にはマイコンクラブに入り浸り、ソフトウェア開発の事業化のために大学を中退しました。そして作った日本語ワープロ「JET-8801A」が大ヒットし、PC-8801の定番ソフトとなりました。日本一のワープロを作ることができた! という達成感はありましたが、当時の私はまだ生意気な20代前半。次は世界だ! と思って、1987年にロータスに入社しました。

 ロータスに入る時、あえて「エンジニア以外の仕事をさせてください」と言いました。それまでは「良いものを作れば世界に挑戦できる」と思っていたのですが、それだけでは駄目だと気が付いたからです。

――あえてエンジニア以外の道を進んだのはなぜですか。

平野氏:熊本時代に社長と大げんかしたことで、「開発だけでは、自分の作りたいものが世に出せない。自分の作りたいものを出すには、お金が回る仕組みを知ることが重要だ」と考えたのです。当時は、3年ぐらい売る側として経験を積んだら、九州に戻って起業しようと考えていました。

 ロータスでは、まずは日本国内のマーケティング部門で働き、3年後には米国本社所属の製品プランニング部門で、アジア地域全体を任せてもらいました。

 どんどん普及するインターネットを見ていて、私は「やがて、ベンダが違っていてもソフトウェアが互いに会話ができる“組織を超えたコンピューティング”の時代が来る」と考えていました。そして、ロータス内でそれを実現するつもりでした。しかし、実際はなかなか難しかったですね。Lotus NotesやMS Exchangeなど、ベンダが違えばつながらないのが実情でした。

 私の考えを実現できそうだと思ったのが、XMLでした。XMLは、異なるソフトウェアやフォーマット間でのデータ交換を可能にします。XMLなら自分のやりたいことができると思い、11年目に独立して日本初のXML専門のソフトウェア企業を立ち上げたのです。

――創業について、ロータスに在籍していたことの影響はありましたか。

平野氏:ありました。特に、米国の同僚たちの影響は大きいですね。日本では転職者が多い会社は「調子が悪いのか?」と思われがちですが、米国の場合は調子の良い企業でも、優秀なエンジニアがどんどん辞めて起業します。

 隣りで気軽に話し、スキルレベルは自分より低いかもと思っていた同僚が「100万ドル集めて起業するよ」なんてことが日常茶飯事だったわけです。だから、「自分でもできるのでは」という気持ちになりました。彼らの活動を間近で見られたことは、とても大きかったですね。

「世界で通用する」=ソフトウェアが良いだけでは駄目

――「世界で通用するソフトウェアを作る」という理念についてお聞きします。具体的に、「世界で通用する」とは、どのような意味を持つのでしょうか。

平野氏:ポイントは2つあります。まず、ソフトウェアに関しては「翻訳じゃ駄目・まねじゃ駄目」ということ。

 海外製のソフトウェアを日本国内に持ってくる「タイムマシン経営」の場合、日本国内では通用するかもしれませんが、日本の外に出ていけません。世界で通用するためには、国外でも価値を出せるソフトウェア、これまでにない独自性を持ったソフトウェアを作る必要があります。

 もう1つ、エンジニアが見落としがちなポイントが、会社を運営する事業モデルです。このことについては、米国に比べて日本は圧倒的に遅れていると実感します。日本の場合は起業する際の資金集めは「融資モデル」ですが、米国は「投資モデル」です。「融資=借金」「投資=リスクと結果のシェア」、両者はまったく異なります。日本では融資と投資の区別がつかない……という人がいますが、「売り上げを気にせず、開発に集中できる期間があるか否か」「失敗しても次の挑戦ができるか否か」という、圧倒的な違いがあります。

 ですから、私は「日本で投資を受ける」というモデルにこだわりました。起業時に「投資」するという仕組みを、日本でも根付かせたかったのです。私が成功させられれば、「平野ができるなら自分だってできる」と思う人が出てくるでしょうし、もし失敗したら「素早く次の挑戦ができる」というところを見せたかったのです。

 幸いにも、私はインフォテリアの事業に対して、27億円もの投資を受けられました。「世界で通用する」とは、ソフトウェアそのものだけでなく、事業モデルでも世界レベルのものを展開したいという思いがあるのです。

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