新潟編:「田舎のしきたり」ってぶっちゃけどうよ……ボクのUターン体験記ITエンジニア U&Iターンの理想と現実(16)(1/4 ページ)

「いざ! 移住」となっても「仕事はどうする?」「地域になじめる?」など、さまざまな不安が発生します……ITエンジニアのU&Iターンの理想と現実をお届けするこの連載。今回は、新潟編。田舎にUターンしてエンジニアになった筆者の実体験をセキララにつづります。

» 2016年10月31日 05時00分 公開

「@IT式 U&Iターンスタイル」は、全国各地のU&Iターンエンジニアたちが、地方での生活の実情や所感などをセキララに伝えていく。ご当地ライターたちのリアルな情報は、U&Iターンに興味のある方々の役に立つだろう。


 こんにちは。「しごとのみらい」の竹内義晴です。

 新潟のU&Iターン事情をお届けする本連載、第2回「最大200万円の住宅取得補助も――妙高市役所の木浦笙子さんに聞く、U&Iターンへの行政支援」は、新潟へ移住する際の行政支援について、行政担当者へインタビューしました。

 地域性や行政機関の支援が分かって「いざ! 移住」となったら、今度は「転職はどうする?」「地域になじめる?」など、さまざまな不安が出てきます。

 私は神奈川から新潟にUターンしました。同時に異業種からプログラマーに転身し、転職することへの不安や悩み、地域になじむ抵抗感など、さまざまな気持ちを経験しました。

 けれども、今では新潟が好きです。「田舎に住むのもいいじゃないか」と思えるようになりました。

 そこで今回は、私がUターンした経緯や、Uターンを決めてから実際に移住するまでに抱いた不安、Uターンしてからどうやって地域になじんだのかなど、現在に至るまでのUターンの「リアル」をお話しします。

筆者(左端)と、妙高市消防団妙高高原方面隊第5分団の仲間たち

なぜ、私は新潟にUターンしたのか

 私が新潟にUターンしたのは1998年のことです。15歳で新潟を離れて神奈川にある自動車会社の社内高校(当時)に進学し、そのまま自動車会社に入社しました。転職&Uターンしたのが28歳のときですから、神奈川に住んでいたのは13年間です。

 自動車が好きでしたし、自動車会社は大企業ですから安定しています。会社を辞めるにはそれなりの決意が必要でした。

 会社を辞めようと思った理由は、大きく分けると4つありました。

 1つ目は、「社会人になって10年の区切りだった」こと。10年間同じ会社で働く中で、「こういう場合は、こういうものだ」といった固定観念ができつつありました。それはそれでいいのでしょうが、10年後、20年後の未来を考えたときに、「ずっとこの会社にいれば、これからも同じ感じなのだろうな。これでいいのかな」と、何となく感じるようにもなっていました。そこで「10年はいい区切りだし、それならば別の道を歩んでみようかな」と思いました。

 2つ目は、「職場にソリが合わない人がいた」こと。今から思えばホントにささいなことでしたし、職場全体はそれほど人間関係が悪かったわけではありません(同僚とは仲が良かったし、今も付き合いがあります)。けれども、これが会社を辞める理由の1つであったことは間違いありません。

 3つ目は、「新潟の実家を継ぐ人がいなかった」こと。私は男3人兄弟の次男で、当時既に兄弟全員が家を出ていました。このまま誰も家に戻らなければ実家はなくなってしまいます。実家がなくなるのは寂しいし「両親をこのまま2人にしておくのもな」という思いがありました。

 4つ目は、「IT業界で働いてみたかった」こと。私は自動車会社で、車の電子制御システムの開発実験や、車の動きをコンピュータでプログラミングし、シミュレーションする実験装置を作っていました。コンピュータが好きだったので、「いつかはIT業界で働いてみたい」……そんな、あこがれを抱いていました。

 これらの理由で、IT業界への転職&Uターンを決めました。

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