5周年を迎える「さくらのクラウド」、その舞台裏に迫る“Demo or Die”で作り上げられた「クラウドと呼ぶにふさわしいサービス」とは

2011年11月にサービスを開始した「さくらのクラウド」は、コストパフォーマンスやシンプルさといった、さくらインターネットのサービスの特徴を継承しつつ、「クラウドと呼ぶにふさわしいサービス」として開発された。ローンチから5周年を迎えた今、開発時の裏話や今後の方向性について当時のさくらのクラウドサービス開発者に聞いた。

» 2016年11月15日 11時00分 公開
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日本のクラウド前夜、「さくらのクラウド」前夜

 「さくらさんでもやらないの?」――2009年7月からさくらインターネット研究所の所長を務めていた鷲北賢氏は、AWS(Amazon Web Services)がEC2を開始してからというもの、こんな言葉を度々かけられていたという。今でこそクラウドサービス事業者として認知されているさくらインターネットだが、当時はホスティングサーバ事業一本に力を注いでいた。「さくらのクラウド」は、いかにして誕生したのだろうか? 鷲北氏は次のように振り返る。

さくらインターネット研究所 所長 鷲北賢氏 さくらインターネット研究所 所長 鷲北賢氏

 AWSが登場したころ、「Xen」をはじめとする仮想化技術が注目を集め、その延長線上でEC2を始めとするクラウドサービスに関心を持つエンジニアはたくさんいた。しかし、世間一般では「外部にシステムを預けるなんてとんでもない」「データが海外にあるなんて大丈夫なの?」と、まだまだ懐疑的な意見も根強かったのだという。さくらインターネットでも社長の田中邦裕氏自身が「専用サーバの価格競争を追求して競争力を出す」旨のコメントを出していたこともあって、社内のエンジニアたちはあくまで個人的な関心の範囲で、クラウドサービスに関する勉強に取り組んでいた。

 しかし鷲北氏は、仮想化サービスはこれからの時代にマッチするものだと感じていた。「当時はサービスを申し込んでも、初期費用を支払ってから手続きが終わるまでに数日かかり、半年縛りの月額課金が当たり前だったのに対して、仮想化技術を活用したクラウドサービスでは時間単位でサーバを借りられる点が画期的だった」(同氏)。そこで、「他にあまり取り上げている人がいないから」という理由でKVM(Kernel-based Virtual Machine)のリサーチを独自に進め、社内外の勉強会で紹介するなどの活動を始めた。

 「エンジニアとしてはクラウドサービスの仕組みをどうやって実装するかに興味があったが、裏側を想像することは恐ろしかった。1日だけ、時には1時間だけ利用される大量のサーバ。これをビジネスとして成立させるには、従来のやり方ではとても無理。1万台、10万台といった大きなスケールがないと成り立たないと結論付けた」(鷲北氏)。加えて、サーバだけでなくネットワークやストレージの仮想化も課題と捉え、“隠れキリシタン的に”研究を続けていたという。

「これ作ってみてよ」――鶴の一声で始まったVPS

 そんな状況に転機が訪れたのは2010年1月のことだ。社長の田中氏が個人サイトで公開したツール「とあるさくらのジェネレータ」が人気を集め、アクセスが集中。Webサイトがダウンしてしまったのだ。そこで田中氏から社内に向けて急きょ「専用サーバを追加できないか」との依頼があったが、調達には3日程度は必要だった。そんな状況を見て田中氏は独自に、AWS EC2という“禁断の”領域に手を出したのだという。

 結果としてこの社長自身の経験が、さくらインターネットに180度の方向転換をもたらした。

 自身がエンジニアでもある田中氏は、VPS(Virtual Private Server)サービス用オーケストレーションツールのプロトタイプを作成し、鷲北氏をはじめとする社内のエンジニアにデモをしてみせ、「これサービスとして作ってよ」と“むちゃぶり”をしてきたというのだ。これを受けて立ったサービス開発メンバーは、プロトタイプをベースに、コントロールパネルのブラッシュアップや課金系システムの構築、ハードウェア構築といった作業をスピーディに進め、同年9月には「さくらのVPS」として公開した。

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 わずか8カ月足らずでの公開が可能だった理由の1つは、鷲北氏を始めとする同社のエンジニアたちが、それ以前から仮想化技術に興味を持ち、ひそかに研究していたことにあるだろう。ほぼ半年でリリースされたさくらのVPSには非常に多くの反響があり、「ユーザーが急増したため、データセンターでサーバのキッティングを行う人手が足りず、執行役員クラスが現場で作業するほどだった」(鷲北氏)という。

 一方で、突貫工事ゆえの課題も残った。「クラウドというからには時間課金制にしたかったが、残念ながらその部分は間に合わず、専用サーバ同様の月額課金サービスとなった。従って、本当の意味ではクラウド未満のサービスだった」(鷲北氏)。

黒船来襲がきっかけでスタートしたプロジェクト

 翌年2011年3月2日、さらなる衝撃がさくらインターネットを襲った。AWSが東京データセンターを開設し、東京リージョンとしてサービスを開始することを発表したのだ。

 このニュースを受けて鷲北氏は即座に田中氏に呼び出され、「クラウドサービスを作ってほしい」と指令を受けた。当時、メインでサービス開発を行っていた企画・開発メンバーはさくらのVPSにかかりきりで、新たなサービスに人的リソースを割く余裕はなかった。そこで白羽の矢が立ったのが、鷲北氏の所属する研究所と後に新規事業室として独立するエンジニアメンバーだった。

 こうして両組織のジョイントプロジェクトが発足したのは、東日本大震災の前日、3月10日だった。復興支援のかたわら、約10人で構成されたプロジェクトチームはシステムデザインや機材選定、テストを進め、早くも8月にはβサービスを開始。約半年後の11月15日には、石狩データセンターをベースに「さくらのクラウド」の提供を開始した。

 さくらのクラウドを作り上げるに当たってプロジェクトが掲げたミッションは「クラウドと呼ぶにふさわしいサービスを開発すること」。さくらのVPSも「クラウド的」ではあったが、時間課金に対応しておらず、ネットワークもレイヤー3で構築していたため柔軟性に欠ける面があった。またストレージも固定化されているなど、さまざまな課題があった。

 「半年ほど運用して出てきたさくらのVPSの課題を解決するとともに、すぐにスケールでき、時間単位で課金されるという基準もクリアし、クラウドと呼ぶにふさわしいサービスになった。また、今後さくらインターネットが展開するサービスを全て収容可能なIaaS基盤としても捉えていた」(鷲北氏)

 だが、サービス開始まで全てが順調だったわけではない。さくらインターネットが自前のデータセンターを構築したのは石狩が初めてだったため、勝手の分からないことも多かった。「10月末から準備を始める予定だったが、11月1日の竣工日まで建屋に入れないことを後で知った。そのため、機器の納品から設置、セットアップまでの全てを結局2週間足らずでやるしかなかった。ホストサーバ150台に始まり、ストレージやネットワーク機器など8ラック分を1週間でセットアップし、次の1週間で起動とテストを行った」(鷲北氏)。サーバのセットアップ時にはディスクコピー用マシンを並列に用意し、1台を2台に、2台を4台に、4台を8台にという具合にひたすらコピーする作業を鷲北氏単独で行ったという。

 さくらのVPS同様、さくらのクラウドもサービス開始直後から大きな反響を呼び、予定の倍のベースでインスタンスが増加した。トラブルが発生したこともあったが、都度問題を解決しながら、5年間でさまざまな機能を追加してきた。

API中心、Demo or Die……、これまでと違うスタイルで開発

 さくらのクラウドの開発に当たってプロジェクトチームは、「クラウドと呼ぶにふさわしいサービスを開発する」というミッションの達成に向け、これまでとはやや異なるアーキテクチャ、異なる開発スタイルを採用した。

 「これまでのサービスはどうしても『サーバ』を中心に考えられてきた。サーバはお客さまと密に連結しているので、サーバに対する変更はすなわち契約の変更を意味し、自由度がなかった。さくらのクラウドの開発に当たっては、『API』を中心にする考え方を初めて取り入れた。データセンターをCPUとストレージ、ネットワークの集合と見なし、サーバはサービスを構成する要素の1つとして捉え直した」(鷲北氏)

 これに伴いプロジェクトには、サーバやネットワーク周りに強いインフラエンジニアだけでなく、APIやプログラミングに強いエンジニアにも参加してもらったそうだ。Webデザインに強い19歳のエンジニアがコントロールパネルを設計したり、それまでゲーム開発に携わっていたエンジニアがAPI周りを整備したりするといった具合に、さくらインターネットが強みとしてきたインフラ関連のスキルに、ソフトウェア周りの知識を持つメンバーが加わり、さくらのクラウドは開発された。

さくらインターネット エバンジェリスト 横田真俊氏 さくらインターネット エバンジェリスト 横田真俊氏

 開発に際して、当初「夏まで」と言われていたスケジュールに間に合わせるために、プロジェクトチームがモットーとしたのは「Demo or Die」という言葉。つまり、あれこれとアイデア出しをするよりも、まずは動くものを作り、それを見て判断し、改良していくアジャイルな開発スタイルだ。大所帯ではなく、コンパクトで風通しのいいチームだったからこそできたことかもしれないが、今もさくらのクラウドのサービス改善は「アイデアがあればどんどん形にし、『これいいね』というものがあればどんどん出していくという形で進めている」(鷲北氏)という。

 また前述の通り、さくらのクラウドは当初、石狩データセンターをベースに開始された。東京と石狩は遠い。「現地にも運用エンジニアがいるとはいえ、何かミスがあってもすぐには行けないことを前提に開発と運用を分離し、自動的に対応したり、ある程度リモートから運用したりすることを視野に入れた」と、同じくさくらのクラウド開発プロジェクトに携わったさくらインターネット エバンジェリストの横田真俊氏は振り返る。

インフラプラットフォームの決定版を目指し続けるさくらのクラウド

 あれから5年。今や世の中では、新たなシステム構築や公開時にはクラウドサービスの採用をまず検討する「クラウドファースト」が当たり前となっている。さくらインターネットの売り上げを見ても、さくらのVPS、さくらのクラウドが占める比率は年々増加しており、専用サーバと並ぶ主軸のビジネスになりつつある。

 「さくらのクラウドを利用するお客さまの規模も大きくなっている。月間の利用料が10万円規模から100万円規模、そして1000万円規模へと、どんどん大きな顧客をホストするようになってきた」と鷲北氏。中には、メルカリのように急激に成長しているスタートアップ企業も、さくらのクラウドを活用しているという。

 同時に、さくらインターネット自身も、サービス基盤としてさくらのクラウドを活用していく。新サービスとして開発・提供が進んでいる「さくらのIoT Platform」も、実はさくらのクラウド上に構築されている。「IoTの今後の規模感、スピード感を考えると、クラウドでなければ対応できない。何より、われわれ自身が使いこなせないとお客さまにも提供できない」(鷲北氏)。

 このように成長を続けるさくらのクラウドだが、やはりAWSという黒船の動きは無視できない。これについて鷲北氏は「AWSは参考にしているが、全く同じサービスを作りたいかというと違う。むしろ、さくららしいクラウドはどうあるべきかを考える上で、レファレンスにしている」という。

 そうした「さくららしい」サービスの1つが、専用サーバやVPS、クラウドをレイヤー2ネットワークでつなぎ、既存の資産を生かしつつ価格の最適化を図る「ハイブリッド接続」サービスだ。「開発センターが日本にあり、開発者が日本にそろっていることが大きい。大小合わせれば、月に10件ほどは新しい機能や修正をリリースしている」(横田氏)との言葉通り、さくらインターネットでは他にも、Dockerを活用したホスティングサービス「Arukas」など、次々に機能を追加し続けている。

 「さくらのクラウドは、インフラプラットフォーム、IaaSの決定版であり続けたい。最大の目的は、お客さまがしたいことをできるようにすること、お客さまが望むサーバサービスを作ること。やれることはまだまだある」(鷲北氏)

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 柔軟で風通しの良い組織風土と、エンジニアたちの地力によって時代の荒波を乗り越えてきたさくらインターネット。国内外のライバルたちがひしめき合う中で、同社が今後どのような成長を遂げていくのか、期待したいところだ。なお、さくらインターネットでは「さくらのクラウド」5周年を記念して5万円クーポンプレゼントキャンペーンを実施している。興味のある方は、この機会に試してみてはいかがだろう?


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提供:さくらインターネット株式会社
アイティメディア営業企画/制作:@IT 編集部/掲載内容有効期限:2016年12月15日

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