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» 2019年06月05日 05時00分 公開

Go AbekawaのGo Global!〜Michael Schumacher編(前編):ミシガン生まれの「ごく普通の男の子」がプログラミングにハマるまで (2/3)

[取材・文:阿部川久広(Go Abekawa), 構成:高木理紗、中村篤志,@IT]

「コンピュータを使う」こと自体が、とても大変だった時代

阿部川 大学ではエンジニアリングに集中したんですか?

シューマッハ氏 物理学や化学など、エンジニアリングに関わる教科は全て履修しましたが、メインはコンピュータエンジニアリングでしたね。コンパイラ構成、OSデザイン、データベースデザインなども学びました。他に、財務会計や経済学といったビジネス科目も取りました。損益計算書くらい読めるようにならなきゃと思いましたから。今でも「自分はエンジニアだ」と思っていますが、こうしたクラスから得た知識もまた、成功するために必要だったと思います。

阿部川 卒業後して最初の仕事は、やはりエンジニアでしたか?

シューマッハ氏 在学中から大学のコンピュータセンターでソフトウェアエンジニアの仕事をしていました。私と同じ授業を取っている学生が「プログラムが動かないんだけど」とやってくるので、彼らにアドバイスしながら直してあげるわけです。他にも、研究機関でテープ、Jazといったストレージと格闘したり、メインフレームのサポートデスクなどを担当したりしていました。

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 大学の仕事は時給が良かったし、「好きなときに経費を気にせずコンピュータを使える」というメリットもありました。当時は1台のコンピュータを何人かでシェアして使うのが普通で、使いたいと思っても、行列ができていてなかなか使えないということがしょっちゅうありました。

「エンジニア」以外のキャリアからスタートして得たスキル

 シューマッハ氏は大学を卒業後、大学院に進んで情報科目や電源、温度調整といった制御のエンジニアリングを学び、数学の修士を取得した。大学院を出た後は、非営利のFA(ファクトリーオートメーション)技術に関するシンクタンクの仕事に就く。「ISO 7階層参照モデル」などを業界標準として浸透させるために世界各国を飛び回っていたという。

 このとき、シューマッハ氏はビジネスの多様なスキルを習得したという。例えば、会議で配布される膨大な量の報告書や調査書を熟読することで、参加者の考えが読み解けること。他にも当時の業界リーダーにビジネスでの交渉や説得の方法、ビジネスプランの作り方などさまざまなノウハウを学んだ。

 シューマッハ氏はその後、パラデータというソフトウェア製品開発企業に転職。そこでネットワーク製品の開発に携わる。パラデータがテレビットという企業にネットワーク製品部門を売却したため、同氏もテレビットの一員としてシリコンバレーに引っ越し、ネットワークエンジニアと新製品の開発という「二足のわらじ」を履いていた。

阿部川 その後、キュービックスという企業に転職されましたね。

シューマッハ氏 そうです。60人程度の中堅ハードウェア企業で、テレビットの顧客企業でした。私は2人のオーナーと懇意にしており、彼らが革新的なソフトウェア製品の設計からプログラミングまでやりたいということで、私が全ての仕事を仕切りました。

 私はそこで、ソフトウェアのマネジメントツールやファームウェアの診断用ソフトウェア、ハードウェアの問題を解決するためのソフトウェアなど「面白そうだ」と思ったあらゆる分野の製品を作りました。

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