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» 2019年10月07日 05時00分 公開

Go AbekawaのGo Global!〜David Malkin編(前):「起業していたけど翌日にクローズを決めた」――英国育ちの社交的なエンジニアが日本で働く理由 (1/2)

手書き文字認識「Tegaki」などAIを使ったサービス開発をするDavid Malkin(デイビッド・マルキン)氏。本を読むのが大好きだった少年は、「起業した次の日にスカウト」されるほどのAIエンジニアとなった。しかし、同氏はエンジニアリングだけが仕事ではないと語る。マルキン氏が考える本当の問題解決とは何か。

[取材・文:阿部川久広(Go Abekawa), 構成:中村篤志,@IT]

 世界で活躍するエンジニアの先輩たちにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は手書き文字認識「Tegaki」などのAI(人工知能)を活用したサービスを開発する「Cogent Labs」のDavid Malkin(デイビッド・マルキン)氏にご登場いただく。

マニュアルが読めるようになったらすぐプログラミングできた

阿部川“Go”久広(以降、阿部川) マルキンさんのお生まれはいつですか。

マルキン氏 1981年の1月14日ですから、今38歳です。生まれたのは北アフリカのリビアですが、その後両親の仕事の関係でクロアチアに移りました。4歳のときでした。その後、12歳で英国に渡ったので高校は英国でした。ロンドンの大学に入り、大学院まで勉強してPh.D.(日本でいう博士号の学位)を修得しました。

阿部川 子どものころはどんなお子さんでしたか。内気でしたか、社交的でしたか。

画像 Cogent Labs」のDavid Malkin(デイビッド・マルキン)氏(右)

マルキン氏 「テクノロジーに関しては社交的」といったところでしょうか。というのも、IBMの初期型コンピュータに出会ったのが5歳のときでしたから。父が英国空軍のエンジニアだったのでテクノロジーに関してたくさんのことを父から教わり、多くの影響を受けたと思います。

阿部川 プログラムを始めたのは何歳か覚えていらっしゃいますか。

マルキン氏 マニュアルが読めるようになってからなので、8歳か9歳だと思います。最初のプログラムは「三角法を解く」というものです。自分の力で解くという宿題だったので、言ってみればカンニングのようなものですね。おかげであっという間に宿題を終えることができましたが、今でも三角法は苦手です(笑)。

阿部川 地道な勉強は大切ですね(笑)。高校では何を勉強されましたか?

マルキン氏 満遍なく勉強しました。どちらかといえば科学や数学などが中心でしたが。社交的ではあったので、パブリックスピーキング(人前で話すこと全般の技術を習得するためのトレーニング)のクラスも受けました。科学が得意な人は大概内向的ですから、多少奇妙な組み合わせだったかもしれません。

阿部川 いえいえ、そんなことはないと思いますよ。スピーキングのクラスを取ろうと思ったのはなぜですか。

マルキン氏 話すのが好きだったのでしょうね。ただ学校で一番好きだったのは、たくさんの本が読めることでした。必ずしも専門的なものばかりではなくいろいろな本を読みました。伝記とか歴史とか。それから16歳になるくらいまで、週に2、3冊は読んでいたと思います。

阿部川 読書家だったのですね、その後大学に入学されますが、ニューヨークの大学に留学されたのですよね。

マルキン氏 ロンドンの大学に交換留学生の制度があり、ニューヨークのクーパーユニオンという非常に自由な大学に行くことができました。学生1人に、1人の担当教授がつくという非常にぜいたくな環境でした。しかも留学中、2カ月の間はどのような研究をしてもいいのです。例えば、「幻覚や錯覚に基づいたコンピューティング」といった、突拍子もないことが研究できました。私は「知性を持ったプログラム」というテーマで研究しました。

画像 阿部川“Go”久広(左)

 その後、英国に戻り、そのプロジェクトについて書いた論文を教授に見せたところ、「この内容そのものは1970年代から取り組まれてはいるが、この解法は君の発明かもしれない」と言ってくれました。このプログラムは後にAI(人工知能)の研究に進化しました。

「私はエンジニアじゃない」

阿部川 自由な校風がAI研究に進む道を教えてくれたということですね。

マルキン氏 そうですね。当時はどちらかといえばテレコミュニケーション(遠隔通信)、ネットワークなどがエンジニアの憧れでした。誰もAIになど見向きもしませんでしたし、そもそもAIを知っている人はほとんどいませんでした。AIのクラス自体は、政府が資金を提供して運営されるほど注目されていたのですが、受講した20人の内、11人が辞めてしまいました。というのも、具体的な成果が見えづらく「こんなことをやっても意味がない」と思えるところもある研究だったのです。2001年くらいのことです。

阿部川 本当にAIの黎明(れいめい)期ですね。

マルキン氏 おっしゃり通りです。まだまだAIはみなさんの興味を引くようなものではありませんでした。私がニューラルネットワークの研究を始めたのがそのころです。「少し外れたところにヒントがある」というのはよく聞く話ですが、全く関係ない分野と思われる生物学から、ニューラルネットワークのアイデアが生まれたことは面白いと思います。

阿部川 分かります。でもなぜ、そのような時期にAIにのめり込んでいったのですか。

マルキン氏 AIがパワフルなテクノロジーであることを分かっていたからです。明確ではなくとも、未来のことを考えれば、その未来のために今から準備しなければならなりません。それが私にとってはAIだったのです。未来のイメージがある程度明確になれば、何をしたらいいかが分かります。それは現在ここ(Cogent Labs)でやっていることにも通じます。

 未来のイメージを具体化するためには、たくさん本を読まなければなりませんし、リサーチもしなければなりませんし、多くの人とも話さなければなりません。大学での「機械学習(マシンラーニング)を学ぶために神経回路を学ぶ」といった分野を跨いだ学際的な勉強がとても役に立ちました。

阿部川 遺伝的アルゴリズムやニューラルネットワーク、「アリ塚の最適化理論」やマルコフ過程などを学ぶには、学際的な思考が必要ということですね。マスターまで進んだということは25歳くらいだと思いますが、そのときにはエンジニアになろうとお考えでしたか、あるいはそのままアカデミックな道に進もうとお考えでしたか。

マルキン氏 うーんと(と、少し考えて)エンジニアになろうとは思っていませんでしたね。Ph.D.のときに常に考えていたことは「どうやったらこの問題は解決するのか」ということでした。Ph.D.まで研究している人で単にエンジニアリングのことだけを考えているという人は、少ないと思います。

 実は今でも自分のことをエンジニアとは思っていません。エンジニアリングとは「問題解決」の一つの要素です。根本的な問題解決のためには全体像と、ビジネスとテクノロジーの両面の課題を理解しなければなりません。ですから私の仕事を端的にいえば問題解決ということになりますが、やっていることはとても広範囲にわたっています。

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