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» 2019年12月09日 05時00分 公開

Go AbekawaのGo Global!〜Arnar Jensson編(前):3キロ先の父の職場まで三輪車で走破 内向的で行動派なアイスランド生まれのCTOが東京工業大学を選んだ理由 (1/2)

AI(人工知能)を活用した英語学習サービスを提供する「Cooori」でCTOを務めるArnar Jensson(アルナ・イエンソン)氏。小さなころから何でもやってみる子だったアルナ氏はどういうきっかけで日本の大学に入学し、音声認識の道を選んだのか。

[取材・文:阿部川久広(Go Abekawa), 構成:中村篤志,@IT]

 世界で活躍するエンジニアの先輩たちにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はAI(人工知能)を活用した英語学習サービスを提供する「Cooori」でCTO(最高技術責任者)を務めるArnar Jensson(アルナ・イエンソン)氏にご登場いただく。

3キロ先の父の職場まで三輪車で走破

阿部川“Go”久広(以降、阿部川) お生まれはどちらですか。

イエンソン氏 1976年にアイスランドの首都のレイキャビックで生まれました。

阿部川 小さいときはどんなお子さんでしたか。

イエンソン氏 「冒険好き」でしょうか。父と母にとっては、ゾッとするほど心配した場面が何度もあったと思います。というのは、私は時々「脱走」していましたから。

阿部川 脱走ですか!

イエンソン氏 確か3歳ぐらいのときです。どうしても3キロ先にある父の仕事場(工場)に行きたくて、家を抜け出しました。移動手段は三輪車です(笑)。母は心底、心配したと思います。ふと見ると、そこにいた息子がいない。母は1時間近く、家の周りを血眼になって探し、父の工場の近くで私を見つけるわけです。

 私は「あと少しで着くところだったのに」と悔しがっていたそうです(笑)。しかもそれを2回やりました。

画像 三輪車で“脱走”していたころのイエンソン氏

阿部川 2回!

イエンソン氏 2回目は、祖父母の家で遊んでいたときですね。愛煙家である祖父のタバコ用のパイプをこっそり隠して、怒られたことが原因でした。

阿部川 やんちゃだったのですね(笑)。

イエンソン氏 そうかもしれませんね。パイプを隠したら祖母にこっぴどく叱られたので「ここにはいたくない」と思い、歩いて母のいる自宅に帰りました。

 母は看護師で夜間勤務に出るところだったので、それで祖父母の家に預けられていたのですが、ドアベルが鳴って玄関に出ると預けたはずの息子が立っているわけです。あのときの母のびっくりした顔を今でもはっきり覚えています。

 祖父母の家から帰る途中の大きな道路で、歩道の信号のボタンを押して、細心の注意を払って初めて一人で道路を渡る……。そう考えると、かなりの冒険好きで、わが道を行くタイプだったと思います。

阿部川 とても外向的な性格だったのですね。

イエンソン氏 いえいえ。どちらかというと、内向的な方でしたよ。

阿部川 えっ! そうですか……、それはより危ない。内向的な人が自分だけの考えで行動に移す、これは危険なことですよ(笑)。

イエンソン氏 (笑)。一人でいることは好きでしたが、努力して外向的に見えるようにしていました。米国の大学にいるときはスピーチの授業を取りました。

阿部川 強いて外向的にしていたということでしょうか。

イエンソン氏 はい。私は自分が内向的であることを十分理解していましたから、外向的になりたかったのです。

お小遣い欲しさに12歳で起業

阿部川 人生で最初にコンピュータに出会ったのはいつですか。

イエンソン氏 1980年代のことですからねえ……(と少し考えて)。少なくともアイスランドではおいそれと手に入る代物ではありませんでした。初めてのコンピュータは父と母からのクリスマスプレゼントだったと思います。名前は忘れましたが、基本的な組み立てキットのようなもので、ゲームができました。GUIはなかったので、コンピュータを立ち上げるとまずはテキスト画面が出てくる、といったものでした。

阿部川 当時コンピュータは「コンピュータを使いこなせるエンジニア」にしか使えないものでした。一般の人は到底使いこなせなかった。

イエンソン氏 はい、コンピュータとはそういうものでした。ですから逆説的に、このころの方が今よりもコンピュータをしっかり学ぶことができました。セットアップはコマンドを打ち込んで自分でしなければならないし、プログラミングも一から学んで自分でやらなければならない。

 ただ、そのキットで使うプログラム言語「BASIC」はとてもシンプルでしたから、学ぶとすぐにできるようになりました。結果が見えると楽しくなり、もっとうまくなりたいとコーディングを解説した本を読んだり、ゲームを手に入れたり。でもプログラムを作って、いそいそとスタートボタンを押してもいきなりエラーメッセージが出る。経験も知識も浅かったですから、そんなことばかりでした。

画像 Cooori」のArnar Jensson(アルナ・イエンソン)氏

 それでも友人と「一緒にソフトウェアの会社を作ろう」などと話していました。会社名は、3人だったのでそれぞれの名前の頭文字をとって、「RGA Disc」といいました。この話を第三者にするのは初めてですよ!(笑)。

阿部川 それは光栄です(笑)。実際、会社は設立されたんですか。

イエンソン氏 そのときは設立していないのですが、確か12歳か13歳のときにお小遣いが欲しくて「芝を刈る」会社を友人と作りました。私の最初の仕事でした。

 近所の家のドアというドアをたたいて歩きました。まあ芝を刈るだけの仕事ですから、芝刈りが必要なほど草が伸びている家でないと需要はありません。そこで芝が伸びている家を重点的に探しました。結構もうけたんですよ。夏の間の、程よい仕事でした。夏が終わるころには、リッチなキッズでしたね(笑)。

阿部川 その会社に名前はつけましたか。

イエンソン氏 いいえ。「Cut Grass」ですから、「CGなんとか」と付ければよかったですね。このころから常に新しいアイデアや「誰も見たことがないもの」についていつも考えていました。

 そして18歳のときに友人とWebサイトを構築する会社を立ち上げました。今から思えばお遊びのような経営でしたが、「会社に名前を付け、プログラムを作り、顧客に提供する」という、会社経営のまね事のようなことはできたと思いますし、多くのことを学べてよかったと思っています。

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