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SNSアプリ制作→赤字、iOSアプリ制作で起業→もうからない――プロダクト開発に心血を注いだエンジニアの「うまくいかなかった」経験の評価新卒無職(2/3 ページ)

就職活動もアプリ作りもうまくいかず、それでも開発経験を買われてソーシャルゲーム開発会社に入社できた。自主制作アプリの事業化はうまくいかなかったが、今は名刺アプリ「Eight」iOS版のエンジニアリングマネジャー。人生はどこからでも軌道修正できるんだ。

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ゲーム開発のリーダー、そして実弟とアプリ制作ユニット立ち上げ

 KLabでは、いわゆる「版権もの」と呼ばれるソーシャルゲームの開発チームに参加し、途中から開発リーダーになった。チームをどう引っ張るか、負荷をどうさばくか、KPI(評価指標)をどう最大化するか、坂本さんはそれらの責任を引き受ける立場になった。

 当時の開発ターゲットは、PC上のブラウザとFlashだった。サーバサイドの開発環境はPHPだ。「週末に想定外のアクセスがあってサーバが止まり、泣きそうになりながらチューニングした」といった思い出が残っている。

 KLabでは3年間働いた。その後、徳島の実家に戻り、弟と2人でアプリ制作ユニット「Soragoto」を立ち上げた。「中学生時代に2人でやっていたWebサイトの延長で、サービスを作ってみよう。受託開発はせず、自分たちのサービスでどれだけできるかやってみよう」と考えた。

 「ひたすら部屋にひきこもって開発しました。実家に戻ったのはランニングコストを極限まで下げるためです」と坂本さんは当時のことを話す。

 最初に作ったのは写真の管理アプリだ。当時の写真管理アプリは海外製が多かった。そこに、かわいいデザインの「テーマ」を選べるようにし、ユーザーを集める。そのアプリへのアクセスを別のアプリに流入させていく作戦だった。

 しかし、うまくいかない。

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