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第233回 Armの「先行投資」の中身に見るIPビジネスの限界?頭脳放談

Armが同社の技術開発を披露する「Arm TechCon 2019」を開催した。このプレスリリースからArmの方向性を考察してみる。

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連載目次

 ソフトバンクグループ(ビジョンファンド)に買収された後、Armの業績は振るわないように見える。あまねく世界中にArmコアを搭載された装置が出荷されて続けていることは以前と全く変わらないにもかかわらずだ。実際、MicrosoftもArmベースの独自SoC「Microsoft SQ1」を搭載した「Surface Pro X」を発表するなど、Armコアの勢力拡大が続いているように見える。

 業績の低迷については、アナリストの方々がすでにいろいろと書いているのでそちらを参照していただきたいが、おおむね「過大な先行投資」という意見にまとまるようである。

 何にお金を使っているのか? ご存じの通り、Armは自社で工場を持つどころか、モノとしての半導体製品を作る会社ではないので、生産設備や製品の製造(仕込み)にかかわる費用がかかる会社ではない。

 お金がかかるとすれば、開発対象としての各種のIP(設計)であり、その開発力を支えるマンパワーが多くを占めるに違いない。その巨額費用を何に使っているのか? Armの技術開発を披露する場である「Arm TechCon 2019」に関するプレスリリース「Arm TechCon 2019: Showcasing the New Era of Total Compute」[英語]でも読んでみたら分かるのではないだろうか、ということで読んでみた。

Armの新方針「トータルコンピュート」は新しい?

 まずArmとして想定している市場環境は5Gの世界だ。そこを押しのけて別などこかにフォーカスするということはあり得ない。当然過ぎる結論である。順当だけれど驚きもない。

 5Gの時代がやって来たので、AI(人工知能)やxR(VRとARをまとめて「xR」と記すのがはやりだ)、IoTなどから要求される計算能力の土俵が変わってくる。そこにArmは応えていく、という感じだろうか。

 xRの中には4Kみたいなものも含まれている。そして強調しているのが、「トータルコンピュート」という考え方だ。個々のIPの最適化に走るのではなく、システム全体としての性能やセキュリティなどを最適化するといった考え方と理解した。

 しかし、何十年も前から「トータルソリューションズ」みたいなスローガンやコンセプトを聞かされ続けている年寄りには正直、新味がない。ここに挙げてあるような応用にフォーカスしないなどと言うことはあり得ないが、こういう当たり前のことを列挙されていくと、「何かもっと材料はないの?」と思ってしまう。

2020年リリースの新IP「Matterhorn」とは

 さて、メインの商売であるIP開発の目玉として発表されたのは、「Matterhorn(マッターホルン)」という開発コード名のものだ。2020年に新製品として登場するものらしい。

 ここで開発コード名にちょっとこだわりたい。現状の製品ラインアップ主力のCortex-A7xプロセッサは、Cortex-A72がMaya*1、Cortex-A73がArtemis、Cortex-A75がPrometheusといった具合で、神様、神話系のお名前が付けられていたんじゃないかと思う。そこから山の名前に変わっている。何か方針に変化があったのだろうか?

*1 「Maya(マヤ)」はユカタン半島付近の神話、またはインドの神話に登場する神様。「Artemis(アルテミス)」と「Prometheus(プロメテウス)」はギリシャ神話に登場する神様。


 しかしプレスリリースを読む限り、そんなArmの心境の変化をうかがうことはできない。比較対象というか、スタートポイントとして挙げられているのは、現行のCortex-A73プロセッサである。モバイル用でローパワー、「Premium Armv8-A」と呼ばれているシリーズで一番小さなコアである。

 それに対して、Matterhornという開発コアは、確かに性能は大幅に向上しているけれども、既存の製品の延長上にあるような書き方である。

 第1の売りとして挙げられているのが、Matrix Multiply命令(行列積)の追加だ。結果サイズで2行2列の行列積を1命令で求められるSIMD命令のようだ。既存上位機種A77と比べても5倍くらい速くなるらしい。行列計算は多くのアルゴリズム、特にAI系などの基本になっている。実際、使い道は広いだろうが、地道な改良の結果に見える。開発コード名の付け方を根本的に変えたくなるエポックメーキングな変化、というには程遠いのではないかと思う。

ArmがSIMD演算フォーマットに「BF16」を採用

 そこで一点、注意が必要だと思ったのは、SIMD演算で使える16bit幅浮動小数のフォーマットである。NVIDIAがGPUでサポートしている半精度浮動小数FP16とは異なるフォーマットなのだ。「BF16」という。単精度浮動小数FP32と指数部のbit幅の互換性を採って、ダイナミックレンジ的にはほぼ同等の範囲を表現できるようにしつつ、仮数部については大幅bit減というものだ。別にArmのオリジナルというわけではなく、GoogleやIntelが先行しているので、Armはそれに乗ったのだろう。

 もともとFP16はグラフィックスの要求から決まってきた規格だと聞いている。グラフィックスベンダーのNVIDIAがそれを担いだのは必然であろう。それに対してBF16はAI応用から来たようだ。この先、NVIDIAがどうするのかは知らない。しかし、AIに関しては16bitより幅の狭い8bit以下の表現も使用されるようになってきている。そしてNVIDIAやGoogle、Intel、Armの全てがそのようなフォーマットをサポートしている。幅の狭いフォーマットは内部の計算に使うフォーマットでもあるので、当面、システムごと、学習や識別など用途ごとにいろいろと併用することになるのだろう。

引き続きセキュリティを強化

 第2の売りは、セキュリティだ。これが重要であることは言うまでもない。幾つか新機能を導入し、セキュリティを強化しつつ、使いやすくもしているように見える。

 しかし、セキュリティ機能自体、随分前からArmは取り組んできている。プロセッサIPベンダーの中でもトップクラスの熱心さで取り組んできたんじゃないかと思う(他のプロセッサIPベンダーも努力しているが、目立たないだけかもしれない)。バッサリ言ってしまえば、これも延長上である。

Unityとの連携強化はxRに必須

 最後に挙げている売りは、開発ツール「Unity」との連携強化である。Unityというと、ゲーム向けの開発環境で、C#で書く、といったイメージを持っていた。Androidのアプリも作れる。当然、以前からArmにも対応していた。

 しかし、Unityの主張だと「世の中のVRとARの3分の2以上で利用される」ということだ。前述の通り、xR重視のArmとしては、対応(といって何にどのくらいリソースをつぎ込むのかは明らかではない)するのは当然であろう。その裏でUnityのBlogを見ていると、ひっそりとx86ベースのAndroidのサポートを終了する件が書いてあった(x86ベースのAndroidのサポート終了については、「Android サポートに関するお知らせ:64 ビット対応および App Bundle サポートの 2017.4 LTS バックポート」の「x86ベースのAndroidサポートについて」参照のこと)。

 もともとPCゲームのプラットフォームであるから、x86(x64)のWindowsプラットフォームがメインの環境であることは変わらないと想像するが、Android向けでは、x86を捨てArmに一本化しているわけだ。Arm/Unity双方にとって、関係を深めるべき理由はある。しかし、Unityは以前からArmをサポートしていて、かつAR/VRの領域でかなりな実績があるのだから、何かそこに新たな地平が開けたのかと問えば、違うような気がする。これまた従前からある路線の延長ではないか。

Cortex-M系で新方針はどうなる?

 上記はフラグシップすなわちCortex-A系プロセッサの話であった。1点だけ、組み込み用途のCortex-M系で新方針が打ち出されていたので触れておきたい。命令セットの追加を許すという主として契約上の「規制緩和」の話である。

 Armは、ライセンス先が勝手に拡張できないようにいろいろな縛りをかけるのが通例だった。それを「無料」で許すというのだ。

 最近、目の上のたんこぶになりつつあるRISC-Vあたりへの対策かもしれない。確かに契約上は別次元ともいえる規制緩和なのだが、正直、ライセンス先がそれにどれだけの価値を見いだすかどうかには疑問が残る。

 マイコンにArmを使っているライセンス先でも比較的小規模なベンダーでは、下手に新命令など独自追加してもサポートしきれない恐れが大きい。また使う側のユーザーも、寄らば大樹のArm命令セット採用なので、そういう独自拡張に頼ればリスクになるのは明らかである。そんな保守的スタンスのケースでは宝の持ち腐れとなりそうだ。

 ごく一部のやる気のあるライセンス先には朗報かもしれないが、そういう所がどれだけあるか? 誰かがうまい活用方法を考えたら追従者が現れるだろうか? 解禁後の動向を見てみたいものだ。

Armの業績はIPビジネスの限界か?

 新味がない、などと批判的なことばかり書いてしまった。これら延長路線を継続していくだけで、Armの業績がすぐにV字回復するとも思われないからだ。確かにそれぞれ必要な一手であるように見える。

 けれど、Armの現状というのは、ここ20年くらい非常にうまく回っていたArmのビジネスモデルである「自らは製造せずIPを世界中に売ってきた」ものの限界を示しているのではないかと思える。

 小さくはないキャッシュフローを年々生み出してくれるArmの既存顧客と既成ビジネスの継続には延長路線は必須だ。しかし、それでは成長というものが見込めなくなっているのではないか。そのためには、何か「新味」のある展開が欲しいところじゃないか。「それで先行投資に金をかけているのだ」と言われれば、「ごもっとも」と言うしかないのだが。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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