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「全く分からないけど、しょうがないので超スピードで学んだ」――勉強嫌いの少年がスーパーマンにGo AbekawaのGo Global!〜Juan Martinez編(前)(2/2 ページ)

エルサルバドル出身のJuan Martinez(ファン・マルティネス)氏。大学院に行くまでプログラムとは無縁だった同氏が「新しい言語を覚えるのが苦じゃなくなった」理由とは何か。

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日本を選んだ理由は「どうせなら何もかも違う国に行きたい」

阿部川 大学卒業後は、エルサルバドルの2大銀行の1つ、Banco Agricola農業銀行に入行されます。

マルティネス氏 入行したのはコロンビア銀行に買収された後、リーマンショックが起こった直後でした。私の仕事は、リスクアナリストとして主に銀行内や政府機関向けにリスクアナリストレポートを作成することでした。

阿部川 歴史に残るような金融危機の時期でしたから大変だったでしょう。

マルティネス氏 おっしゃる通り、ストレスがかかる仕事でした。ただ、とても刺激的な仕事でもありました。エルサルバドルでは、銀行のアナリストがリスク分析の判断を誤って悪いスコアを与えてしまった場合、大きな建設会社であっても国家的なプロジェクトを担当できません。そうなると大企業の倒産リスクを招き、銀行の利益も落ちてしまう。そうした事態を避けるよう、さまざまな分析をする重要な仕事だったので充実していました。

阿部川 リスクアナリストの仕事ではプログラミングなどは活用されたのですか。

マルティネス氏 いいえ。データベースからデータを抽出するくらいのことはしましたが、後は専ら「Microsoft Excel」で分析やシミュレーションをしていました。

阿部川 その後、日本にいらっしゃいましたが、なぜ日本に来ようと思われたのですか。

マルティネス氏 もともと外国で勉強したいという思いがあったんです。最初に考えたのは米国でしたが、地理的にも文化的にも近すぎて「面白味がない」と思いました。「海外に行くのは最初で最後かもしれない」――そう考えたら、言葉や文化が全く違う国に行きたいと思いました。そのころ日本の文科省の奨学制度を知り、応募して無事合格できました。

阿部川 それで、すぐ来日されて慶応大学に入学されたんですね。そんないきさつであれば、恐らく日本語は全くできなかったんですよね。

マルティネス氏 奨学制度で合格すると私の指導教授は、すぐに日本に来るようにと言ってくれました。平仮名と片仮名しか分からなかったので、教授のリサーチャーのアシスタントをしながら、日本語の勉強に時間を費やしました。

論文掲載の待ち時間で勉強したプログラミングにハマる

阿部川 この時点でもまだコンピュータ関連の話がありませんね(笑)。

マルティネス氏 大丈夫です、この後です(笑)。あるとき、指導教授が「他の教授が実施した研究内容を読んでみるように」とFortranのコードをくれたんです。「Fortranを使って論文の内容を検証して、教授に説明するように」という意味でしたが、私はFortranが分かりませんでした。

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「まだコンピュータの話がないですね(笑)」「この後です(笑)」

 仕方がないのでそこから3カ月、勉強しました。AI(人工知能)やMachine Learning(機械学習)などの言葉や概念が広まってきた時期でしたから、「プログラミングを知らないままでは勉強を続けられない」と思いましたので、プログラミングの勉強を始めたのです。

阿部川 全く未知の領域なのに将来を見越して勉強を始めたのですね。すごいです。

マルティネス氏 時間がありましたからね(笑)。ご承知のようにPh.D(日本でいう博士号)は、論文を書いて学会誌などに投稿したら、雑誌に載るかどうかを待たなければなりません。結果が出るまでにはとても時間がかかります。そこでこの時間を有効に使おうと思い、集中してプログラミングを学びました。

阿部川 どのように勉強したのですか。

マルティネス氏 freeCodeCampというWebページを使いました。JavaScript(Node.js)、HTML、CSSなどのコードの書き方を学んだり、練習ができたりしました。サーバの対応やマイクロサービスの作り方なども解説していて非常に勉強になりました。

 昼は学科や論文の勉強のために大学に行き、帰宅してから3〜4時間はプログラミングを勉強し、寝て、そしてまた次の日に同じように学校に行く、といった生活でした。集中して学習した時期ですが、とても楽しい時期でもありました。

阿部川 素晴らしい体験でしたね。マスターコースを修了した後はどうされたのですか。

マルティネス氏 論文の記事化を待つ間にUniva Paycastという企業でインターンとして働きました。

しょうがないので超スピードで学んだ

マルティネス氏 Univa Paycastでは知らないプログラムに触れる機会が多く、とても勉強になりました。あるときは「このScalaのプログラムを直してほしい」と言われ、分からなかったのでとにかく超スピードでScalaを学び、修正作業をしました。またあるときは「Javaのライブラリを作ってほしい」と言われたのでJavaを学び、ライブラリを構築し、「クラウドインフラを作ってくれ」と言われたのでPythonを学び対処する、といった感じでした。

 このようして数年間、毎日毎日、幾つもの異なる言語を集中して学習し、コーディングしていたおかげで、1つのプログラム言語から他の言語へとスイッチすることをあまり大変だと思わなくなりました。もちろんプログラムの習得だけではなく、Ph.Dのための勉強も手を抜かずに続けました。

阿部川 プログラミングは楽しかったですか。

マルティネス氏 そうですね。幸運にも周りにたくさんのスーパープログラマーがいたので、プログラムを楽しめました。彼らの物言いはとてもストレートですが、的確に重要なことを教えてくれます。例えば私がコードを書いてレビューを依頼すると、3人のプログラマーが私のコードの「スタイル」に対して手厳しいコメントを返してくれます。「確かに問題はないけど、こっちの方が美しいよ」と(笑)。

 おかげで「スタイルの美しさ」がどんなに大切かを理解できました。コードの書き方は基本的に自由で、必ずしも正解が1つとは限りませんからね。それを知ることができたことはとてもエキサイティングなことでした。

阿部川 スタイルの美しさはとても重要ですよね。単にプログラムが動作すればいいということから一歩上を目指してスタイルを考える。そうすることで、将来的な拡張がより簡素にできたり、プログラムの質を向上させたりできます。よくこの短期間で習得されましたね。

マルティネス氏 やはり私は「分からないことを分かるようになる」ことが好きなんです。

阿部川 厳しいけれど面倒を見てくれる先輩や先生にも恵まれましたしね。

マルティネス氏 はい、心から感謝しています。ベストな先生たちでした。


 ゲーム、サッカー、恐竜が好きなどこにでもいる少年は「できなかったことができるようになる」魅力に目覚め、より困難な課題を自ら立て、次々とクリアしていく「スーパーマン」になった。後編「「勉強にコツはない」――両手で考え両手でプログラミングするドクターマルティネス」では、同氏が考えるキャリアの広げ方について話を聞く。

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