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「簡単に作れる」なんて言うから
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投稿日時: 2004-07-14 13:13
るぱんです。 >ぼんす様 「物にはメリットとデメリットと有って、 両方を見極めて使わないと弊害を生み出す可能性が高い。 ただ一方的に良くなる事だけが有るわけではない。」 と言う御指摘でしょうか? 「メリットばかり喧伝するのではなくて、 デメリットもちゃんと公開して欲しい。」 という意味でしょうか? | ||||||||
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投稿日時: 2004-07-14 14:18
たしかにその通りですが、簡単に作れるから熟考しないですむということはないと 思います。簡単に作れるの考え方がちがうのかも知れませんが、 私の場合は規格品に相当するものを、使って作る あるいは組みあわせるというイメージです。 ない場合にはカスタマイズする必要がありますが、そうすることのより品質、工数ともに 向上するのではないかと考えています。 いろいろな例が挙がってますが、製作者自身の問題であって 道具の問題ではないと思います。 | ||||||||
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投稿日時: 2004-07-14 14:46
どもでふ。んと…色々話が広がっているような気がするので(笑
個人的な、「簡単に出来る道具」のメリットデメリットを。 っつかメリットは分かりきっているところだと思うので。 まぁ「工数削減」が顕著なものか、と。 ちなみに「誰にでも作れる」は、メリットになりうる場合とそうでない 場合があるのでとりあえず置いておきます。 デメリットは「学習の妨げになる可能性がある」ことと、その 付随としての「品質低下の可能性」。 便利な道具が「ない場合における作業を把握」したうえで、自分の 工数を「削減」するために道具を使う分には良いと思うのですが。 便利な道具がない場合の作業を理解/把握せず、その道具に依存している 状態は非常に危険だと思います(少なくとも「応用が利かない」 という点において)。 もう一つ。道具は所詮「補助」でしかないことを忘れると、やはり 大抵痛い目にあっているような。 ストラディヴァリウスを持てば誰でも素晴らしい演奏が出来るわけでは なくて。「素晴らしい腕を持つ」人が引くからこそ「より素晴らしい」 演奏が出来るようになるだけだと思います。 ただ、多くの人たちが「良い道具を持てば自分の腕が上がる」と 錯覚しがちなのはまぁよくある話で。 私もまぁ「よい道具」にはむしろ警戒感をあらわにするほうですが、 それはつまり「道具によって自身の腕が上がると錯覚する」人たちを 多く見ているから、だと思うんですね。 なんとなく、個人的なまとめを書いてみました。 | ||||||||
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投稿日時: 2004-07-14 23:50
一般化すればそういうことになりますが、いまはもう少し狭い範囲で みていまして。 作業量の面だけみると、高級なツールを使うと、ほぼメリットのみが 得られますね。(適用しにくい課題もあるでしょうが、そういうのに 対しては使わなければいいわけで) 一方、品質の面だけをみると、ほとんどの場合にはデメリットとなるか あるいはメリットがないか、どちらかになるだろうと思います。 「作業量を節約できたことで、別のところに頭を使う余裕が生まれる のではないか」と思われるかもしれませんが、おそらくそうはならない と私は思います。節約した時間は、別の低品質なプログラムを作るのに 充てられるか、そうでなければ何もせずに遊んでるだけか、どちらかに なるのではないかと。 そうは言っても、低レベルなAPIだけ使ってGUIプログラミングをする、 なんてことを続けていれば脳ミソが腐ってしまうし 大規模なプログラムを作るのは不可能に近いし。労力の無駄遣いだし。 便利ツールを否定するつもりは全く無いのですが。 | ||||||||
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投稿日時: 2004-07-15 09:25
おはようございます。
当初、「プログラマーが不要になり、プログラマーの存在意義が問われるくらい簡単に アプリケーションが作れると宣伝するツール」についての話題だと思っていた(今も思ってい るが)のですが、一部、生産性があがるGUI設計ツールや機能、オブジェクト指向の方法論 なども含めた話になっているのは気のせいでしょうか? 混ぜた話になるとおそらくかみ合わない議論になるのではないでしょうか? ”生産性の向上”と”簡単に作れる”は別物だと思います。 世の中のあらゆる事象をコンピュータ上に再現し、処理するためにソフトウェアが必要とな ります。 現在ではソフトウェアを作るためにプログラミングが必要でありプログラマが必要です。 いままで生産性向上のための方法論や技術が登場して、使える技術や方法論は世の中に浸透し て使われています。 その技術や方法論も、ソフトウェアという抽象的で複雑怪奇なものの一部に着目して、改善・ 改良してきたものだと思います。 今は、それら技術や方法論を巧みに組み合わせ連携して開発を行っています。 そして、生産性が向上したり、実現可能な技術の幅が広がったとき、人間はさらに幅広い要求 を求めます。しかし、その要求はそれまでの技術や方法論では対応できない高度な要求もあり ます。したがってその時点で存在する技術・方法論で直接コンピュータに命令を吹き込むこと になるでしょう。 「プログラマーが不要になり、プログラマーの存在意義が問われるくらい簡単にアプリケー ションが作れるツール」という宣伝文句のツールが出ても、コンピュータが自我に目覚めない 限りプログラマが不要になることはないでしょう。 技術に浅いエンジニアや経営者、エンドユーザに誤解を招くだけのような気がします。 ※言葉足らずにより追記 [ メッセージ編集済み 編集者: maru 編集日時 2004-07-15 10:55 ] | ||||||||
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投稿日時: 2004-07-15 10:21
私が疑問に思ったのは、「宣伝の仕方」、だったんだけどなぁ...ボソ
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投稿日時: 2004-07-15 10:26
井上です。
一連の流れを見ていると、開発ツールそのものの問題というよりも、使い手、あるいは組織のマネジメントに属する問題がごっちゃになった挙句、その原因を「簡単に開発できてしまうツール」あるいは「簡単に開発できると宣伝するベンダ」にぶつけてしまっているように思えます。いくらなんでも、開発ツールを開発しているベンダはそこまで責任を持てません。 多分、この調子で話が続くと、いつになっても終息しないでしょう。「簡単に開発できるように見えても、実際には勉強しなければならないことは多い」ということをどう啓蒙していくか、というような方向に話を持っていかないと、ただの八つ当たりで終わってしまいます。 _________________ www.kojii.net | ||||||||
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投稿日時: 2004-07-15 13:41
私はマスコミなんて信用していないので、こういった記事を見かけても「フン」と鼻で笑うだけですね。 マスコミにしろあくまで商売でやっているのであって、読ませてなんぼ、観させてなんぼの世界です。それだけに、往々にしてタイトルにはこのような「お?」と思わせるようなものが付けられるわけですね。真実かどうかは二の次にして。 特にTVの場合、 法律に触れるような内容でもない限り、視聴率を取れればそれでOK。そんな番組ばかり観ることにより視聴者がおかしな倫理観を持つようになったって知るものか。 という態度が見え見えなので、私はTVは極力観ないようにしています。 新聞もまた然りで、朝日毎日読売産経なんて読む気しません(全部購読した経験があります)。 せめて@ITさんはこのような不誠実な記事を書かないでほしいですね。 |