名前のない品質とパターン言語オブジェクト指向の世界(6)

» 2004年10月30日 12時00分 公開
[河合昭男((有)オブジェクトデザイン研究所),@IT]

 第5回は「全体最適とアーキテクチャ」と題して、まずバスルームを単なる「体の洗い場」ととらえるか、それとも「心身のリフレッシュの場」と見なすかという問題について考えました。バスルームを後者の機能としてとらえるには、全体は機能部品の単なる集合ではなくそこにコーディネーションが必要です。コーディネーションとは、つまり全体としての価値を高めるための設計であって、同様に考えると「ソフトウェアは機能の集合にあらず」であり、機能集合以上の価値を決めるのがアーキテクチャであるというお話をしました。コーディネーションに当たるのがアーキテクチャであり、ともにシステムとしての全体性の設計ということができます。

 ニューヨークの小売店舗を見学してあらためて感じたことは、繁盛している店舗には顧客志向実践のための企業戦略が強く出ています。店内に活気があり、買い物が楽しそうだし、買い物客のみならず店員も生き生きしています。口コミで新規顧客が増え、1度来た人はリピータになります。これは成功するビジネスの基本です。店舗、買い物客、従業員を含めた全体性があります。買い物客から直接は見えない仕入れ先などのパートナーとの関係も、当然ながらこの全体性に含まれているべきものです。

 ではなぜその店が繁盛しているのでしょう? なぜ買い物客も従業員も生き生きしているのでしょう? その店に備わりほかの店にはない品質とは何なのでしょう? 今回はこれらの問題に「名前のない品質」というキーワードで考えてみたいと思います。

繁盛店舗の品質とは

 ニューヨーク視察セミナーで、SOHOと呼ばれるマンハッタン南部の最近高級店舗が集まり始めた地域の見学に行ったときのことです。ポタリバーン(POTTERY BARN)というちょっとおしゃれな室内品(home furnishing)専門店に入ったとき、流れていたのが「アメリカ」のVentura Highwayという1970年代のヒットソングでした。インテリアにも古いデザインのラジオとか扇風機とか昔懐かしい小道具がそれとなく置いてあります。最近日本でもちょっとレトロがはやっていますね。

  「アメリカ」というロックグループは「名前のない馬」“A Horse with no Name”で名を上げました。CDのライナーノートにはグループ名と国の名前を引っかけて「名前のない馬が電波に乗ってギャロップを開始した1972年、世界はアメリカを発見した……」とありますが、以来今日でもスタンダードナンバーとして流れてるほのぼのとした古き良きアメリカの一側面を感じさせる曲です。話を本題に戻しますが、いまからお話しするのはクリストファー・アレグザンダー(Christopher Alexander)の「名前のない品質」“Quality Without a Name”です。

ALT 図1 名前のない品質とは?

 今回見学した繁盛店舗には共通点があります。(店に)入って何か好奇心をかき立てるものがある。店舗設計、取扱商品、商品の陳列方法などで差別化を工夫しています。ポタリバーンに入ったとき、入り口近くに神棚のような陳列がありハッとしました。もちろん神棚を陳列しているのではなく、商品は食器なのですが、白い皿を鏡のように立て掛け、その横に花ではなく大きな葉をグラスに挿してあるさまが神棚を連想させました。厚手の木材でできた棚の上部の見上げる位置に並べてあったせいもあります。

 店舗は1つの世界です。全体性と個々の細部に店舗のポリシーとして実践されている品質が宿っています。それは簡単にはまねができないものです。形だけまねても本物と偽物の違いは客にはすぐに感じ取られてしまいます。ちなみにポタリバーンの求人案内には3条件として知性、創造性、やる気(intelligent,imaginative and self-motivated)を挙げていますが、特に知性を感じる店舗でした。

名前のない品質

 建築家クリストファー・アレグザンダーは古くからある、素晴らしい、人に感動を与える歴史的建造物や街はどのようにしてできたのか、また近代の建造物や都市はなぜ人に感動を与えないのか、この違いは何か言葉では表現できない「質」があるからだと考えました。彼はそれを“Quality Without A Name”:QWAN(「無名の質」または「名前のない品質」と訳されています)と名付けました。

 彼の代表作の1つ「時を超えた建設の道(The Timeless Way of Building)」でこの「名前のない品質」とは何かについて次のような7つの側面で説明を試みています。

alive 生き生きとした。生物、無生物に関係なくそれぞれに生気のあるものとないものがある。そこには普遍的な美がある。
whole 全体性。内部の対立から解放されている。例えば「柳に風」、強風でも柳は折れないバランスの取れたシステムになっている。「雨と渓谷」、雨で渓谷は侵食され、システムとしてバランスが取れていない。
comfortable 居心地のよい。内的対立がない、何物にも妨げられない落ち着きがある。自分自身が本当にいい気分になれる。
free とらわれのない。閉鎖性を克服する自由奔放さ。
exact 正確な。居心地のよい、とらわれのないという言葉に欠けている正確さも必要。
egoless 無我の。正確さより奥の深い言葉。作り手の意図が強過ぎるのは良くない。
eternal 永遠の。調和が取れ、自己維持能力が高く、損なわれることがない。内的対立から解放された瞬間、それは時間をも超越する。

 名前のない品質はこれら7つの特性の共通部分に確かに存在するものです。それは真善美の本質とも通じるものです。

ALT 図2 名前のない品質の特性

働きたい店 ベスト100

 働きたい店 ベスト100(The 100 Best Companies to work for)というランキングが「Fortune」誌で公開されています。例えば今回見学した3つの生鮮食品スーパーマーケットWhole Foods、Stew Leonald’s、Wegman’s Food Marketはいずれもここにランキングされています。

 Stew Leonald’sはニューヨーク周辺にわずか3店舗しかないローカルなスーパーマーケットです。見学した店舗は牧場の一部にあり乳製品が強みです。周辺には何もないところで、その店だけを目的に買い物客が集まります。店舗の内装が東南アジアかあるいはカリブ海辺りのトロピカルアイランドにありそうな市場といった設計でちょっとしたテーマパークです。通路がくねくねしていて全体を見渡せないようになっている分、余計に好奇心をかき立てられます。

 これら3店の強みは、当然ですが生鮮食品でカラフルな大量の野菜、果物がきれいに並べられています。アメリカ人はカラーコーディネートを重視します。当然ミート、シーフードも豊富です。ウォルマートは日用雑貨品、食品、衣料品全部門で売上高ではトップですが、この生鮮食品の品ぞろえと品質はこれら専門店にはかないません。

 3つの生鮮食品専門スーパーには確かに「名前のない品質」が備わっています。活気(alive)、全体性(whole)、居心地の良さ(comfortable)があります。これらは働きたい店の必要条件ですね。

ALT 図3 繁盛店舗には名前のない品質がある

全体性

 名前のない品質の中には“whole”というキーワードが入っていますが、アレグザンダーのライフワークは真の全体性あるいは調和とは何であるかを追求し、それを建築の世界でどのように実現するかその技法を模索することにあるようです。建造物や都市はそのものが目的ではなく、そこで生活する人間のためのものです。快適な生活というものが目的ですが、近代建築はハードウェアの性能を競っており、人間性を無視してはいないが快適性の実践方法がまだまだ確立できていない。全体性の中には当然ながらその住人の快適性も含まれている、というよりそちらが主体のはずです。

 部分は自律しているが全体から孤立しているのではない。自由の中にも制約があり、全体調和を乱すようなエゴがあってはならない。部分は自由であるが全体あっての部分なので全体と共存共栄である。ここから生き生きした居心地のよい全体性が生まれる。これが「名前のない品質」です。

リフレッシュの場としてのバスルーム

 前回の「バスルームは洗い場にあらず」に、無名の質が備わっているか考えてみましょう。コーディネートされたバスルームには全体性(whole)があり、それは備品の統一性だけでなく自分自身も一体になれることが必要です。バスルームといっても全体性はバスタブ、シャワーだけでなく、壁、カーテン、ドア、窓、照明、せっけん、タオル、入浴剤、中で音楽が聴ける、中で雑誌が読める、……とどこまでも広がります。コーディネートがうまくできているかどうかは実際に使用してみて気持ちが良いか(comfortable)、疲れた心身がいやされ生気がわいてくるか(alive)、そして日々の日常生活までその影響が表れてくるかということです。

ALT 図4 バスルームには名前のない品質がある

 ビジネスに備わるべき名前のない品質も同様です。企業内部だけでなく顧客、パートナーまで含めた全体性(whole)が必要です。経営者、従業員、パートナー、顧客皆が快適(comfortable)で活性化され(alive)幸せであるようなビジネスが繁栄します。これをサポートするのに重要な役割を果たすのが情報システムです。情報システムは一部分の機能のみではなくそこまでを視野に入れて設計すべきです。

ALT 図5 繁栄するビジネスには名前のない品質がある

 アレグザンダーは名前のない品質を建築で実践するための技法として「パターン言語」を提唱しました。デザインパターンなどのソフトウェアパターンのルーツはこのアレグザンダーのパターン言語です。これについては稿を改めてお話ししたいと考えています。

 なお、『筆者主催のオブジェクト指向教育オープンコースを開催します。詳細は有限会社オブジェクトデザイン研究所のホームページをご参照ください。皆様とお会いできることを楽しみにしています。』

プロフィール

河合昭男(かわいあきお)

 大阪大学理学部数学科卒業、日本ユニシス株式会社にてメインフレームのOS保守、性能評価の後、PCのGUI系基本ソフト開発、クライアント/サーバシステム開発を通してオブジェクト指向分析・設計に携わる。

 オブジェクト指向の本質を追究すべく1998年に独立後、有限会社オブジェクトデザイン研究所設立、理論と実践を目指し現在に至る。ビジネスモデリング、パターン言語の学習と普及を行うコミュニティ活動に参画。ホームページ「オブジェクト指向と哲学」 。

 著書に『JavaデベロッパーのためのUML入門』『明解UML−オブジェクト指向&モデリング入門』など。



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