大方、椎名との顧客回りが一区切りした昼、坂口は社員食堂で、レポート片手にカレーライスをほおばっていた。仕事しながらでも簡単に食べられるカレーは、坂口の昼食の定番である。『しかし、仙台と比べるとここのカレーは肉が少ないな』と思っていると、そこに西田社長が現れた。偶然通りかかったらしい。坂口を見るとニコニコしながら近づいてきた。
社長 「君が坂口君か。噂は聞いているよ。仙台でもだいぶ活躍していたようだね」
坂口はほおばっていたカレーを慌てて水で流し込み、姿勢を正した。
坂口 「社長、ありがとうございます!まだまだ修行の身ですが」
社長 「ところで、新営業支援システムの方はどうかね」
坂口 「情報収集に時間がかかっていますが、来週中には、キックオフミーティングを行いたいと思っています」
社長 「そうか、大変そうだが、頑張ってくれ………。そうだ。食事が終わったら社長室まで来てくれるか」
坂口 「はい、分かりました。すぐお伺いします!」
西田社長は、今期で親会社であるサンドラフトに戻って役員になることが予定されている。ITに関しては秘書にお任せ状態で、メールすら印刷してではないと目を通せないありさまだ。しかし、サンドラフトを大きくしたい思いは強いので、いろいろ試すことにはちゅうちょがないと聞く。
坂口は食事を慌てて終えると、資料を取りに自分の席へと戻った。資料を持って社長室へと向かうと、社長が大事そうに釣りざおを手入れしながらソファーに座っていた。
坂口 「すみません。遅くなりました」
社長 「待っていたよ。まぁ、座りたまえ」
少しフカフカ過ぎるソファーに座りながら、坂口は資料を社長に差し出した。
坂口 「概略ですが、基本構想をまとめたものです」
社長 「ああっ、いいんだ。いいんだ。途中経過は見てもしょうがないから。取りあえず、私の思いというものを聞いてもらおうと思ってな」
坂口 「はい。ぜひお願いします」
社長 「とにかく派手なものを頼むよ、坂口君。業界に強烈なインパクトを与えるぐらい派手なやつがいいなぁ……」
坂口 「はぁ……。しかし、ユーザーの使いやすさや機能を中心に考えると、いきなり派手というわけには……」
社長 「そこを何とかするのが、坂口君! 君の役目なんだよ。とにかく、パァ〜!! としたものを作ってほしいんだ。パチパチ、ピッでドーン!! というやつを!」
坂口 「パチパチ、ピッでドーン! ……ですか?」
社長 「そぉだ! そのためには、どんなメンバーを招集してもいいぞぉ。必要であれば、社長命令で何でも指示するからな」
坂口 「あ、ありがとうございます。ほかに何かあるでしょうか?」
社長 「そうだなぁ、携帯やPDAを使って、ありとあらゆる情報が見られるといいな。もちろん、入力もスムーズに……。そうだQRコード(2次元バーコード)を利用したらどうだ?」
流行の単語を並べているが、営業支援のための言葉は1つもない。理想論というか、机上の空論ばかりである。豊若さんのいっていたことは、これなんだなと坂口は思った。
社長 「とにかく、みんなの総力を結集して最高のものを作ってくれ。まあ予算に限りがあるからむちゃはやめてくれよ。はっ、はっ、はっ」
坂口 「はい、可能な限り良いものができるよう頑張ります!!……あっ、昼休みが終わりますので失礼します」
長居は無用、これ以上の話は無駄である。坂口はソファーから立ち上がり、話を切り上げようとした。
社長 「ところで、坂口君は釣りはやるかね?」
坂口 「いえ、サーフィンとスキューバはやりますが、釣りはやりません」
社長 「そうか、釣りはいいぞぉ、坂口君。今度どうかね?」
坂口 「すみませんが、じっとしているのが苦手なものですから……。遠慮します!」
坂口は礼をしつつ、受け取ってもらえなかった資料をまとめて手に持ち、ドアに向かった。その後姿に社長が声を掛けた。
社長 「それは残念だな。釣りはいいぞぉ。そのうち1回は行こうな!」
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