秋葉原の思い出

株式会社ピーデー
川俣 晶
2001/12/19

秋葉原・今昔

 秋葉原といえば、最近気になるニュースが耳に入ってくる。例えばラジオ会館7FのBIT-INN跡地に記念プレートを付けたとか、秋葉原デパートがアキバ系ショッピング・センターに変わるとか、といった話だ。BIT-INNは、NECのパソコンを扱うショールーム的な販売店であり、かつては業界首位のNECの最新機種を他に先んじて展示する特権的な場所だった。それすら歴史的な過去の出来事として扱われるようになったいま、家電の秋葉原が過去のものになったどころか、パソコンの秋葉原すら歴史のひとコマになってしまったらしい。いまや秋葉原は、パソコンよりもゲーム、同人誌、ガレージ・キット、ドールなどのウエートが大きい街になりつつあるように思える。

 さて昔話に関して1つだけ気になることがある。実は過ぎ去った秋葉原のパソコン史を最初から最後までたどれる人は、どうやらそれほど多くないらしい。筆者なら最初から最後までたどれるなどと大口を叩く気はまったくないのだが、どうやら筆者は平均よりも古いところまでたどれるらしいと気付かされた。古株のマニアといわれる人と昔話をしていると、軽いすれ違いを起こすことがある。例えば、「インテルのCPUなんか駄目だよね。やっぱりモトローラの68系は最高」といわれれば同意する古株は多いと思うのだが、そこでいう具体的な68系とは、究極の8bit CPUと呼ばれた6809や、X68000に使用されてマニアの心をつかんだ68000などであることが多く、現在の常識からすればあまりに非力な6800(モトローラ初のMPU)を知っている人はごく少数派なのである。筆者は6800(正確には日立のセカンドソースのHD46800)を使用したワンボード・マイコンの日立H68/TRを使っていたので愛着を感じる。インテル系の話題でも、ゼッパチ(Z80)、MSX-BASIC、ベーマガ(BASICマガジン)などのキーワードが飛び交うことが多い(正確にはZ80はインテルではなくザイログ社製)。インテルを現在の地位に引き上げる原点になった8080Aを思い出す人は、今となっては少数派だ。筆者は8080Aを使ったマイコンを見よう見まねで回路図を引いてユニバーサル基板に組んでみたことがあるので、これも愛着を感じる。

 現実問題として、最初に使ったCPUが8080AかZ80かなどということは、いまとなってはどうでもよい誤差のような話である。だがかつての秋葉原を思い浮かべると、8080Aや6800の時代と、Z80や6809の時代ではまるで違う風景が見られたのも事実だ。

 この2つの時代の間に横たわる決定的な差は、「半田付け」や「マシン語」を当然の常識として要求するか否か、といえる。BIT-INNを飾った代表的な機種で説明すれば、NEC初のマイコンTK-80は半田付けして組み立てる必要のあるキット形式であり、プログラムはプログラマ自身で機械語に翻訳して16進キーで入力する必要があった。しかしNEC初のZ80搭載機(正確にはNEC製の互換CPUのμPD780搭載機)であるPC-8001は完全な完成品で、BASIC言語のインタープリタが標準装備されていた。コンセントを差し込めばすぐに稼働し、10分もレクチャーを受ければ、素人でも「?1+2」のように入力して簡易電卓として利用できるぐらいハードルは低くなっていた。

 ある意味で電子部品の街であり、電子工作少年御用達の街でもあった秋葉原が、半田付けを要求する文化を平然と受け入れたことは当然の成り行きといえるだろう。しかし個人でコンピュータを所有するという夢に酔った一般利用者は違う。彼らがやりたいのは、コンピュータを所有し使うことであって、慣れない半田ごてでイモ半田(半田がきれいに流れておらず、適切に通電しない状態。芋のように丸まっているのでこう呼ばれる)を作ることではなかったのだ。そこで少しずつ完成品形態の商品が増え、また商品そのものもきれいなケースに収納されて、ハードに触れることができない構造に変わっていく。その方向性が完結したものが、上記のPC-8001や、富士通初の6809搭載機であるFM-8のような、ワンボード・マイコンとは一線を画した8bitパソコンたちといえるだろう(正確には富士通のセカンドソースMBL6809を採用していたが、他メーカー品を搭載したものもあるらしい)。

 そこで疑問がわいてくる人もいるだろう。パソコンがコンセントを差し込むだけで利用できるのは当たり前のことであり、そこへ進化するのは必然ではなかったのか? メーカーは最初からそのような製品を作るべきで、半田ごてなど要求すべきではなかったのではないか?

 この問いは現代的に考えれば非常に正しい。しかし日本でパソコンが商品として定着するには、半田ごてを要求する時代が不可避であったと筆者は考える。なぜなら、当時のコンピュータのプロは、マイコンやパソコンをまともなコンピュータとは見ておらず、単なるおもちゃ扱いしていたからだ。つまり、コンピュータ・メーカー内部でパソコンをコンピュータとして売るようなコンセンサスを得ることは、ほとんど不可能だったのではないかと考える。しかしCPUは高機能機器制御チップであると考え、それを技術者に使ってもらうためのトレーニング・キットという位置付けの商品なら発売は可能だったのだろう。そして、そのトレーニング・キットをコンピュータと見なして支持する大きなユーザー層が生まれれば、メーカーとしても、そのユーザー層に対する商品展開を考えないわけにはいかない。つまり、コンピュータとして利用するパソコンを商品化する説得力が初めて生まれたということである。

 そこから考えると、BIT-INNに利用者が殺到して人で埋まるような状況は、日本のパソコン史がスタートするために大きな役割を持っていたのではないかと考える。BIT-INNだけでなく、ラジオ会館7階には日立製作所のショールームもあり、ニューカクタX1には東芝のものもあった。いま思い出せば、各メーカーのこれらの施設には個人所有できるコンピュータを渇望する多くの利用者が訪れていた。彼らの熱意がメーカーを動かし、パソコン時代を招来したといえるかもしれない。

時代は一巡した?

ラジオ会館1階入り口
立派なラジオ会館のロゴなのに手前の照明が文字の一部を隠してしまっているのは何の手違いなのか?

 思い出を確認するために、筆者は秋葉原に出向いて久しぶりにラジオ会館7階まで行ってみた。BIT-INNのあった場所には模型店のボークスがあった。ガレージ・キットをワンダー・フェスティバルで販売するようになった筆者にとって、ボークスはおなじみのブランドなのだが、ラジオ会館7階で見るボークスのロゴは妙な違和感を覚えるものだった。だがよく見ると、ここではショーケースを区画で貸し出して物品販売を代行するという興味深い試みを行っていることが分かった。他人と違うことをやるというオリジナリティは、かつてのBIT-INNに相通じるものが感じられる。さらにラジオ会館7階を回って驚いたのは、模型店のイエローサブマリンが、スケール・モデルとヒストリカル・フィギュアの店を出していたことだ。スケール・モデルとは、過去に実在した飛行機や船の縮尺模型である。昔は戦艦大和や零戦のプラスチック・モデルは飛ぶように売れたようだが、現在は渋い大人の趣味の領域である。美少女ゲームを求めて秋葉原にやってくるオタク少年が欲しがるようなものではない。さらにヒストリカル・フィギュアというのは、それに輪をかけて渋い趣味だ。例えばナポレオン戦争の兵士をリアルな立体造形で表現するといった、むさくるしいオジサンのフィギュアが並ぶ趣味の世界なのである。反骨的、前衛的、一般のマニアの域を超えたマニアックさ、それでいてどこかわい雑な雰囲気は、まさにかつてのラジオ会館7階をほうふつとさせるものである。時代は一巡してしまったのだろうか?

ラジオ会館7階 ラジオ会館7階の記念プレート
左壁面に記念プレート。かつてのBIT-INN(当時は「Bit-INN」という名称だった)は、正面突き当たり右側。現在は正面と右側が連続した店舗になっているが、昔は連続していなかった。 

 そして、ここにはもうパソコンの居場所はないのだろうか。だがこれはむしろ、パソコン文化がインターネットというフィールドに主要な活動場所を移したことで、ラジオ会館から巣立ったと考えるべきかもしれない。しかし、まだパソコン文化はインターネット上で安定した姿を確立したとはいい難い。現在のパソコンは、しょせんスタンドアロンで使用されるシステムに通信機能を付加したものにすぎない。例えば一般ユーザーが常にセキュリティに気を使い、パッチを当て続けねばならないというのは、かつてのマイコンで言えば、半田ごてを要求するような時代に相当するのかもしれない。とすれば、現在のパソコン文化は過渡期のものにすぎず、本物の文化はこの先に花開くべく待ち構えている可能性がある。

 そのようなことを筆者が思ってしまうのは、何も秋葉原訪問だけが理由ではない。Visual Studio .NET Betaでプログラムを書いていると、Webサービスなどの通信を意識したプログラムの開発の手間が軽減されていることに驚かされる。ほとんど意識しなくても容易にWebサービスのメソッドなどが呼び出せるとすれば、これからは息をするように当たり前の感覚で、ネットワークを利用するアプリケーションが生まれてくる可能性がある。これが新しいパソコン文化を生み出すかもしれないと思えば、秋葉原のみならずパソコン文化そのものも、一巡して原点に回帰しているのかもしれない。End of Article


川俣 晶(かわまた あきら)
 株式会社ピーデー代表取締役、日本XMLユーザー・グループ代表、日本規格協会 次世代コンテンツの標準化に関する調査研究委員会 委員、日本規格協会XML関連標準化調査研究委員会 委員。1964年東京生まれ。東京農工大化学工学科卒。学生時代はENIXと契約して、ドラゴンクエスト2のMSXへの移植などの仕事を行う。卒業後はマイクロソフト株式会社に入社、Microsoft Windows 2.1〜3.0の日本語化に従事。退職後に株式会社ピーデーの代表取締役に就任し、ソフトウェア開発業を始めるとともに、パソコン雑誌などに技術解説などを執筆。Windows NT、Linux、FreeBSD、Java、XML、C#などの先進性をいち早く見抜き、率先して取り組んできている。代表的な著書は『パソコンにおける日本語処理/文字コードハンドブック』(技術評論社)。最近の代表作ソフトは、携帯用ゲーム機WonderSwanの一般向け開発キットであるWonderWitch用のプログラム言語『ワンべぇ』(小型BASICインタプリタ)。

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