電子出版の可能性と立ちはだかる壁

株式会社ピーデー
川俣 晶
2002/05/01


画面で本は読めるか?

 ここ10年ぐらい何度も繰り返されてきた不毛な論争がある。それは、「画面で本は読めるか?」という論争である。読めないという一派は最初から読めるわけがないと決めつけることからスタートしていることが多い。しかし、話をよく聞くと、現実と思い込みのギャップが大きいことが多く、冷静な第三者からは、にわかには同意できない意見が散見される。一方の電子出版をやりたい側も、皮算用が先行する例が多く、本当に読者にとって有益なものを作ろうとしているか疑問が残る。両者の間で、良心的な少数の電子出版推進派が右往左往しているが、大きなムーブメントにはならず、一部のユーザーの支持を受けるにとどまっている。

 この問題に関する結論は難しくはない。というのは、すでにわれわれは、本に相当する大量の文章を画面を通じて読んでいるからだ。Microsoft系の開発者ならMSDN Libraryの膨大な文書を画面を通じて読むようになって久しいし、インターネットの人気サイトの中には文章系のものもあり、相当量の文章が画面を通じて読まれていることは間違いないだろう。もちろん、すべての人が画面で本を読むことを好むか、すべての本が電子書籍になることが正しいか、という問いに関しては安易に答えを出すことはできない。だが、好き嫌いは別として、一般論として読めるかどうか、というだけの話なら「読める」というのが経験的な結論といってよいだろう。結局のところ、数十年の人生を、紙の本を読んできた読書人が生まれて初めて画面上の文章を見ても読めないというだけで、普段から画面で文章を読むことに慣れていれば、自然と読めてしまうものなのだ。

 いまや問題は、「読めるか?」ではなく、「どう読むか?」に変わってきたように思える。紙の本にはない、何か大きなメリットがなければ読む意義はないし、電子書籍であることに大きなデメリットが付いてくるなら、やはり読む意義はない。

ここまではきた

 年末から新年にかけて、筆者がない時間を割いてやっと作ったのが、株式会社ピーデー出版事業部である。なぞの技術系オンライン作家・遠野秋彦氏より、書きためた小説原稿をどう公開しようかと相談されていたところに、イースト株式会社が電子書籍の販売システムを構築したというので、それを利用させていただくことにしたものである。急いで作ったので大したサイトではないが、構築作業を通じて電子出版をめぐる最先端の水準はよく分かった。

 このサイトで使用しているのは、「Adobe Acrobat eBook Reader」(以下eBook Reader)というアドビシステムズによるPDFの応用技術である。

Adobe eBook Readerで表示したコンテンツ
データ形式は基本的にはPDFだが、PDF Readerとは違い、厳密なライセンス管理技術が導入されている。ピーデー出版事業部の近刊予定書籍より転載。

Adobe eBook Readerの読書画面

 コンテンツは基本的にはPDFなのだが、厳格なライセンス管理技術が導入されており、専用ビューア・ソフトでのみ読むことができる。この専用ビューア・ソフト(Adobe eBook Reader)は、PDF Readerとは異なる読書向けのユーザー・インターフェイスを持っている。コンテンツは、PDFファイルを基に変換するので、オーサリングはDTPソフトなどで行うことができる。

 特にeBook Readerに注目したのは、出版関係者にも絶大な信頼のある「アドビ」ブランドから出てきたということと、出版関係者がこれまで使ってきたDTPソフトでオーサリングできるという特徴による。もしかしたら、最初にデファクト・スタンダードとして定着する電子出版フォーマットの座を射止めるかもしれない、という期待が多少ある。

 なお、この手の電子出版技術はアドビだけでなく、マイクロソフトも持っているのだが、残念ながらまだ日本語版が存在しない。これは寂しいので、ぜひマイクロソフトにも頑張ってほしいと思う。

いま立ちはだかる問題とは

 現在立ちはだかっている最大の問題は、著作権保護の問題ではないかと思う。これがさまざまな使い勝手の制約を派生させているからだ。例えば、MSDN Libraryはインターネットでも参照することができ、だれでもタダで読めてしまう。しかし、これはほかの製品をサポートする技術情報だからできることで、売りたいコンテンツそのものが電子書籍である場合、このような開かれた態度は取れない。その結果、ガチガチに厳格な著作権管理機構を導入することになる。eBook Readerの場合、コンテンツはダウンロードしたPCでしか閲覧できない。貸し借りの機能はあるので、ほかのパソコンにコンテンツを移動させることはできるが、読む権利を持つPCは常に1台ということになる。そのため、会社のPCで読んでいて、帰宅中はノートPCで続きを読み、帰宅後は自宅のPCの画面で読む、といったことをするだけでも面倒な手間がかかる。また、ハードディスクを飛ばしてしまった場合、コンテンツを読む権利も一緒に飛んでしまう可能性がある。書籍を購入した電子書店に連絡を取れば再度権利を取得できるが、電子書店そのものがずっと存続するものかどうか分からない。

 このような問題が起こる直接的な原因は、著作権管理が厳格化することにあるが、その背景には不正なコピーが横行しているという状況があることは間違いない。不正コピー・ユーザーだけが得をして、正規ユーザーに理不尽な制約が課せられる世の中は、どう考えても間違っている。不正コピーによって発生する損害は、単にコンテンツの価格だけから計算されるべきものではなく、それによって間接的に発生するさまざまな不利益を含めて考えるべきではないだろうか? それは決して軽い被害金額では済まされないはずである。

期待される電子出版

 本来、本は買った人の自由になるものである。書き込むのも自由だし、好きなときに好きなところで読めるものである。これが本のあるべき基本的な姿だとすれば、現在の電子書籍は、まだその段階に達していないといえる。eBook Readerの場合、本にマーカーを引いたり、注釈を書き込んだりする機能があるが、どこでも自由に読めるというには制約が大きすぎる。例えば、「電車の中ではPDAで読みたい」と思っても、ビューア・ソフトはアドビが提供したWindows版とMacintosh版しかない。だからといってビューアを自作できるだけの技術情報が公開されることは、著作権保護の本意からすればあり得ないし、あってはならない事態である。

 本来はすべての利用者がモラルを持って不正コピーを行わない(行ったとしても、損害として意識されないぐらい軽微なものである)という状況がくることが、最も望ましい。そのため、明らかな不正コピー行為を取り締まって罰したり、不正コピーが回り回って自分を苦しめることを分からせたりする利用者教育が進むなら、これは歓迎すべきことだろう。

 それが実現できないのであれば、せめて著作権管理メカニズムをネットワーク上で稼働させられないものだろうか。例えば、Webサービス・ベースの個人認証機構と連動して、認証を受ければどのような機器からでも即座に読めるということが望ましい。さらに、個人的な読書情報を管理するWebサービスなどがあり、読んでいるページ位置や、個人的な書き込みを管理して、どの機器から読んでも、自分の読書環境をシームレスに扱うことができれば、相当使い勝手は良くなるのではないかと思う。

 少なくとも、個人情報をWebサービス・ベースで扱っていくことは現在のトレンドであり、.NET My Servicesなどの提案がある。この流れに電子出版の技術も乗り込んで、よりよい読書環境を目指すことに価値があるのではないだろうか?End of Article


川俣 晶(かわまた あきら)
 株式会社ピーデー代表取締役、日本XMLユーザー・グループ代表、日本規格協会 次世代コンテンツの標準化に関する調査研究委員会 委員、日本規格協会XML関連標準化調査研究委員会 委員。1964年東京生まれ。東京農工大化学工学科卒。学生時代はENIXと契約して、ドラゴンクエスト2のMSXへの移植などの仕事を行う。卒業後はマイクロソフト株式会社に入社、Microsoft Windows 2.1〜3.0の日本語化に従事。退職後に株式会社ピーデーの代表取締役に就任し、ソフトウェア開発業を始めるとともに、パソコン雑誌などに技術解説などを執筆。Windows NT、Linux、FreeBSD、Java、XML、C#などの先進性をいち早く見抜き、率先して取り組んできている。代表的な著書は『パソコンにおける日本語処理/文字コードハンドブック』(技術評論社)。最近の代表作ソフトは、携帯用ゲーム機WonderSwanの一般向け開発キットであるWonderWitch用のプログラム言語『ワンべぇ』(小型BASICインタプリタ)。

 「Insider.NET - Opinion」


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