連載インデックスへ
リッチクライアントの新たな潮流:エクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)とは?

新たな潮流:
エクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)とは?(1)


「売る」のではなく「買う経験」を与える



野村総合研究所
技術調査室 
田中 達雄
2009/7/1
ユーザーインターフェイス技術、分析・管理系技術、開発手法の3つの融合が実現する、新しい潮流を解説する

 モノがあふれる時代、多くの商品やサービスがコモディティ化し、その機能や性能だけでは差別化が困難になっている。そんな中、顧客の感情面に訴求する「顧客経験価値(Customer Experience)」というアプローチが北米中心に注目を浴びている。

 米国大手調査会社が2007年夏に発表したレポートによると、調査対象となった北米銀行約200社の半数以上がChief Customer Experience Officer(CCEO)を設置し、顧客経験価値に対して組織的に取り組み始めたと発表している。金融業界の商品やサービスは特にコモディティ化しやすく、顧客経験価値に対する期待や注目の高さをうかがわせるものだ。

 顧客経験価値をもう少し具体的に説明すると、以下のようになる。

  • 商品やサービスを購入したり使用したりする過程(経験)から得られる価値。
  • 顧客の内面に思い出/印象として残るもの。

 簡単にいえば、「何を売るか」ではなく「どう売るか」に重点を置いたマーケティング手法である。顧客は、商品やサービスを購入する場合、単に「商品やサービスを買う」だけでなく、「商品やサービスを買う経験をしている」という考えに基づいている。商品やサービスの機能や性能で差別化が困難となった業界で不毛な価格競争に陥らずに競争優位性を獲得/維持するには、この経験の良しあしが重要になる。

 では、顧客経験価値は、どこで生まれるのだろうか。顧客経験価値は、企業が用意したチャネルと顧客がインタラクションすることで生まれる(サービスと同じように生産と消費が同時に行われる)が、現在、インターネットやパソコン、携帯電話の普及により、その多くがIT化されている。例えば銀行の場合、日ごろの銀行口座の確認や振り込みはWebサイトのオンラインバンキングを使い、さすがにお金の出し入れは店舗に行かなければならないが、それでも対面接客を受けることはまずない。ほとんどATMで事足りてしまう。つまり銀行に対する顧客経験価値はその多くがITから生み出されており、ITから受ける印象がその銀行に対する印象(ブランド)となって内面に蓄積されることになる。

 このように、インターネットやパソコン、携帯電話が普及した現在、顧客接点の多くがIT化され、これまで「人」が行っていた接客の多くを「IT」が代行するようになっている。その結果、「人」と同じように高い顧客経験価値を創出することが「IT」にも求められ、ITの顧客経験価値を高める技術がさまざまな分野から登場し始めている。これらの技術を総称して「エクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)」と呼ぶ。

 エクスペリエンス・テクノロジーには、「ユーザーインターフェイス技術」「分析・管理系技術」「開発手法」の3つの技術分野があり、エクスペリエンスはそれらが融合することで実現される(図1参照)。

図1 エクスペリエンス・テクノロジーの全体像(出所)野村総合研究所

 つまり、顧客経験価値を創出し、ユーザーの満足度を向上させるには、ユーザーインターフェイスで仮にリッチクライアント技術を採用する場合も、ただ単にリッチクライアント技術で使うだけでなく、ユーザー中心デザインといった方法論に沿って開発したり、サーバ側に分析・管理系技術を配置し、顧客毎に最適な情報をレコメンドしたりするような仕組みを同時に検討する必要があるということである。

 この特集では、将来のリッチクライアントが密接なかかわりを持って、共に洗練されていかなくてはならないエクスペリエンス・テクノロジーとは何かについて解説していく。

 1.ユーザーインターフェイス技術

 ユーザーインターフェイスはユーザーとの直接的な接点であり、最終的にはこの良しあしがユーザーの受け取る印象を決定付ける。つまり、ユーザーインターフェイスでは、いかにポジティブな経験(心地よさ、楽しさなどの印象)をユーザーに提供するかが課題となる。一般的にユーザーインターフェイスがユーザーに与える経験(印象)には、「見た目のデザイン」「使いやすさ(操作性)」「内容(情報や機能)」「性能」がある。

 見た目のデザインでは、FlashやAjaxといったリッチクライアント技術の台頭やブロードバンド化に伴う動画や音声といったリッチコンテンツの利用により、数年前とは比べ物にならないほど魅力的なものをつくれるようになった。またいまもなお、次世代HTML仕様であるHTML 5、Googleが発表したWebブラウザで3Dグラフィックスを実現するオープンソースAPI「O3D」(参照記事:Webの3Dグラフィックスが変わる?! GoogleのO3Dとは?)、モーションポートレートの「MotionPortrait」、セカイカメラのようなAR(拡張現実)などにより、見た目のデザインの技術的なポテンシャルは向上し続けている。

 性能面についてもコンピュータ性能やブロードバンド化に伴い高速化した。

 内容(情報や機能)においても多くの情報や機能がウェブから利用可能になり充実した。例えば、アウトドア商品を販売するBackcountry.comのようにライブチャットのような接客機能を提供する企業、資生堂のように顧客とのコミュニティ「資生堂アイディアガーデン」を開設して顧客の要望や不満などを情報共有するとともにそれらの顧客の声から新製品や既存製品の改良を行う企業、ヘンケルジャパンの「Virtual Preview」のように顧客が自分のヘアスタイルを仮想的に体験できる機能を提供する企業などが挙げられる。

図2 ヘンケルジャパンの「Virtual Preview」
(出所)モーションポートレート株式会社の資料より抜粋

 使いやすさに関しては、近年、マルチタッチスクリーンや音声認識/音声応答技術、脳波を使ったブレイン・コンピュータ・インターフェイスなどの進化により、従来のマウスやキーボードといったヒューマン・コンピューター・インターフェイスとは異なる、より人間にとって自然なナチュラル・インターフェイスが普及し始めている。また従来は、企業内に閉じていたソフトウェアの使いやすいUIデザインもインターネットの普及により多くの人の目に触れるようになり、その優劣が公の下にはっきりと評価され、認知心理学の観点からも使いやすいUIがある程度共通認識され始めている。ソシオメディアの上野学氏が解説するUIデザインパターンもその一例といえよう(参照記事:UIデザインパターン)。

図3 消費者の使いこなしレベルと商品やサービスの機能・性能
出所)野村総合研究所

 実はユーザーインターフェイスにおいては、使いやすさのイノベーションが競争優位上非常に重要な要素になっている。図3を見てほしい。図3には2つの線があり、実線は時間の経過とともに商品やサービスの機能や性能が高度化・多様化することを示した線、点線は消費者が使いこなせる機能や性能を示した線である。2つの線には交点があり、点線より上は過剰品質と呼ばれる機能・性能となり、これを消費者にいくら訴求しても反応は鈍くなる。とはいえ機能や性能の改良や革新を止めることはできない。他社より明らかに見劣りする機能や性能では、初めから勝負にならないからである。

 ではどうすればよいのか? ここで重要となるのが「使いやすさ」という要素である。ユーザーインターフェイスを期待以上に使いやすいものにすることで、高度化・多様化した機能や性能を消費者が使いこなせるレベルに押し下げることができるからだ。任天堂のゲーム機Wiiの「Wiiリモコン」「Wii Fit」はその好例だ。Wiiではモーションキャプチャー技術を使い「コントロール機を振る」という人間的なユーザーインターフェイスにしたことで、ゲームの習熟度の低い消費者であっても使える(使ってみたい)レベルまで押し下げたのである。

 このように、ユーザーインターフェイスでユーザーにポジティブな経験を提供するには、「見た目のデザイン」「使いやすさ」「内容」「性能」の4つの要素が大切であり、中でも「使いやすさ」は現在、競争優位上重要な要素となる。ほかの3つの要素を生かすも殺すも「使いやすさ」次第といっても過言ではないだろう。今後、ハードウェア(ロボットも含む)とソフトウェアの両面で、ITとして期待以上の使いやすさ、つまり、いかに人間的なインターフェイスに近づけることができるかがポイントとなる。

 2. 分析・管理系技術

 前述したとおり、確かにユーザーインターフェイスは重要であるが、それだけでは高いエクスペリエンス(経験価値)を提供することはできない。それは経験を受け取るユーザーによってその価値が異なるためである。仮に開発者が素晴らしいと感じた「見た目のデザイン」もユーザーによっては、何も感じなかったり、嫌悪感を示したりする場合もある。つまり、ユーザーにとってどのような経験が最適なのかを考える頭脳が必要になる。それがこの分析・管理系技術である。

 分析・管理系技術には、いまもデータマイニングやビジネス・インテリジェンスなどのソリューションがあるが、これらの結果の最終的な判断は人に委ねられている。経営判断や事業戦略の立案のように人が判断すべきタスクの場合にはそれらのソリューションでも十分であるが、ITチャネルのように日々ユーザーを接客するタスクにおいて、人の判断が介在するこれらのソリューションだけでは不十分である。

 日々変化する市場の中で顧客ごとに適切なエクスペリエンスを提供し続けるには、蓄積された情報を分析するだけでなく、分析結果を知識ベースとして蓄積・更新し、その知識ベースに基づきITが自律的に考え実行に移す最適化技術が必要になる。このような要求を満たす最適化技術には図4のようなものがある。

ソリューション名 概要 主要ベンダ
サイト最適化 ユーザーがポジティブな反応を示した最適な見た目や内容をユーザーごとに提供する InterwovenOptimost)、[x+1]、Accenture(Memetrics、2008年買収)、AcxiomKefta、2007年買収)、Magnify 360Omnitureスパイスボックス
インタラクティブ最適化 ユーザーの習得度や行動履歴などから最適なフロー(次のアクション)を提供する(使いやすさ) chordiantPegasystems、Onyx、Fair Isaac
レコメンド・エンジン ユーザーの行動履歴などからユーザーに最適な内容をレコメンドする Aggregate KnowledgeATG(CleverSet、2008年買収)、Avail IntelligenceBaynoteCertonaChoiceStreamCoremetricsCriteoLoomiaホットリンク
セマンティック検索 ユーザーの要求に対して最適な検索結果(内容)を提供する HakiaAutonomyPowerset
マーケティング最適化 ユーザーの属性や行動履歴などから最適な商品やサービスをオファーする(内容) UnicaAprimoSASTeradataSPSSExperian
図4 主な最適化技術(分析・管理系技術の分類とソリューション提供者)
出所)野村総合研究所

 Amazon.comでよく知られたレコメンド・エンジンも最適化技術の1つである。最適化技術の中には人工知能を採用しているツールもあり、今後のITチャネルの頭脳として人工知能が徐々に普及していくことが予測される。

 3. 開発手法

 進化した分析・管理系技術を使えば、確かに顧客へ最適なエクスペリエンスを提供できるようになるが、あまりにも行き過ぎると企業としてのブランドが不明瞭になってしまう場合がある。極端な例ではあるが、サウスウエスト航空ではマーケティング結果で、ヒューストンからラスベガスのフライトの顧客が軽食を望んでいることを知ったが、他社の追随を許さない低運賃航空会社という戦略を維持するためにこれをあえて無視した。サウスウエスト航空は、顧客の望むエクスペリエンスであっても企業ブランドや戦略と一致しないエクスペリエンスは提供しなかったのである。

 顧客の望むエクスペリエンスであればどんなエクスペリエンスであっても提供すべきという単純なものではない。そこには企業ブランドや戦略と一致したエクスペリエンスを提供するデザイン「エクスペリエンス・デザイン」が必要となる。

 次に図5を見てほしい。これはエモーション・カーブと呼ぶエクスペリエンス・デザインの1つである。この例では、マクドナルドとバーガーキングの店舗に入ってから出るまでの顧客のエモーション(情動)をグラフ化している。このグラフを見ると、マクドナルドは「食べ物のカスタマイズ」で評価が低い(不満)が、この経験を満足するレベルに押し上げるべきだろうか。不満を満足するレベルに改善しても顧客ロイヤリティは獲得できないことは分かっている。それよりも満足しているレベルの「作業の効率性」を非常に満足するレベルに押し上げた方が顧客ロイヤリティの獲得には効果的なはずだ。このように企業としてどのようなブランド経験を顧客に提供すべきかをまずデザインし、そのうえで分析・管理系技術の適用を行うべきである。

図5 エモーション・カーブ 出所)GCCRM

 エクスペリエンス・デザインを行う開発手法には、ほかにも「ペルソナ」などがある。ペルソナはユーザー中心デザイン手法の1つであり、徹底したユーザー調査の結果に基づき、ペルソナと呼ぶ仮想のユーザーを作り上げ、そのペルソナが心地よく感じるエクスペリエンスを意識しながらWebアプリケーションなどの設計を行う手法である。これも先のエモーション・カーブにてブランド経験をデザインした後に用いるとよいだろう。

 アプリケーションを設計する開発手法には、従来から構造化手法、データ中心手法、オブジェクト指向、プロセス指向などがあるが、これら従来手法とユーザー中心デザイン手法では180度考え方が異なる。従来手法の場合、機能・データ・プロセスを起点とした設計を行うのに対し、ユーザー中心デザイン手法の場合、ユーザーのエクスペリエンスを起点に機能やデータ、プロセスを決めていく方法を取る。つまり、顧客にとって心地よいエクスペリエンスを提供するために必要な機能は何か、どのようなデータが必要になるのか、どのようなプロセスにすべきかを決めていくのだ。

 ユーザー中心デザイン手法は、決して新しい手法ではないが(ペルソナは1983年から使われている言葉である)、エクスペリエンスに対する認識の高まりから、いままさにその重要性が再認識されている。

 今回は初回ということで、今後IT業界の大きなトレンドとなる「エクスペリエンス・テクノロジーとは何か」について解説した。次回は、エクスペリエンス・テクノロジーをいち早く採用した企業の事例を紹介したい。

@IT関連記事


いまさら聞けないリッチクライアント技術
毎回1つのリッチクライアント用語・技術を取り上げて解説します。初心者から中級者まで気軽に読んでください。あなたはリッチクライアントについて本当に説明できますか?
結局、RIAはどれを使うべきなのか?
いま注目されている“RIA”に関しての入門連載です。RIAの概要と主要なRIA技術たちを紹介し、サンプルアプリケーションも作ってそれぞれを検証します
新時代の業務用モバイルRIAを考える
iPhoneやAndroid、ネットブックの登場で盛り上がるモバイル業界。本特集では「業務でのモバイル利用」において、どの端末やプラットフォームを検討すべきか、また使い勝手において重要なUIのあり方などについて考察する
アプリの“使いやすさ”は“数値”として見積もれるのか
「リッチクライアント・カンファレンスIV」パネルレポート 「使いやすさなんて人によって違うから」と、あいまいにしていませんか? もしも数値として目に見える形にできたら…
リッチクライアント & 帳票」フォーラム 2008/10/28
業務アプリケーションに最適なUI/UXを考える
VB研公開ゼミ議事録(8)
 WPFやSilverlight 2などの登場で、現在の業務アプリは今後どのように変わっていくのか。優れたユーザー・インターフェイスについて徹底討論
Insider.NET」フォーラム 2009/1/23
次世代のインプットを考えよう──マウスとキーボードを超えたフィジカルコンピューティング
マウスやキーボードだけではつまらない。Flashを応用して、iPhoneやバランスWiiボード、Chumbyを入力デバイスにしてみよう
デザインハック」コーナー
飛び出すFlash、知ってますか?
Flashと人〜あの人からの6つの回答(2) 四角いマーカーをWebカメラ画像から探し出しCGを合成することで、その場にオブジェクトを存在して見せるARToolKitをご存じですか
アクセス解析結果を活かす術
あなたは、Web解析をうまく利用できていますか? 指標の意味を理解し、ひとつひとつの要素を分析していくことが重要です。サイトの運営戦略に役立てる方法を伝授します
話題のアイトラッキングを使ってみた
アイトラッキング調査の実践 ユーザーはどのようにWebページを閲覧しているのか? @ITの直帰率を下げるための方法を探る方法として、アイトラッキングで調査してみた
最高の習得性はゲームのステップアップにあり
デザイナにおすすめのUIデザイン6つのポイント(2) どうすればアプリの習得性を高められるのか。答えはストーリーのなかで自然に操作を学べるゲームのUIにあった
開発現場のUIトラブルを解決!? 画面プロトタイプ入門
いまさら聞けないリッチクライアント技術(16) アプリ/サイト納品後に顧客に「使いにくい」「あれ追加して」といわれた方へ。前もって画面イメージを簡単に作る方法が……
リッチクライアント & 帳票」フォーラム 2009/3/11



リッチクライアント&帳票 全記事一覧へ



HTML5 + UX フォーラム 新着記事
@ITメールマガジン 新着情報やスタッフのコラムがメールで届きます(無料)

注目のテーマ

HTML5+UX 記事ランキング

本日 月間